Okinawa 沖縄の旅 Day 40 (10/09/19) Urasoe Udun 浦添御殿跡
Urasoe Udun 浦添御殿跡
Tomb of Tamagusuku Cokun 玉城朝薫墓
Ahacha Hija Public Well 安波茶樋川
Great Bishop Wood in Uchima 内間の大アカギ
内間根屋宮里アジシ墓
昨日来た浦添に今日も来た。浦添も色々と見たいところがあり、1日では十分でない。今日で予定しているところ全部回れれば良いのだが。
Urasoe Udun 浦添御殿
第二尚氏王統第14代尚穆王の次男・尚図、浦添王子朝央 (1762年 - 1797年) を元祖とする御殿 (うどぅん、王家分家) である。一世・朝央は、第二尚氏 第14代 尚穆王、第15代 尚温王の摂政を務めた。特に尚温王は11歳で即位、19歳で無くなっているので、この期間の政治は実質上朝央が行なっていたと言えるだろう。この朝央を葬るために造られたのが、浦添御殿の墓。正確な造墓年は不明であるが、朝央が「沢岻之墓」に葬られたと『王代記』に記されているので、18世紀末には完成していたと推定されている。以後、この墓は浦添御殿の歴代墓となった。
Tomb of Tamagusuku Cokun 玉城朝薫墓
組踊りの創始者の玉城朝薫個人の墓ではなく、朝薫を含む向氏辺土名殿内の歴代墓 (家族墓) 。墓室内には25基の厨子甕がある。確認さ沖縄では個人の墓は少なく歴代墓が一般的。辺土名殿内は、琉球王国末期には国頭間切辺土名村の脇地頭を務めたが、玉城朝薫存命の頃は、玉城間切の総地頭職の地位にある大名家であった。玉城朝薫の墓は元々は首里石嶺町にあり、「一ツ(一人)墓」と呼ばれる個人墓であった。1899 (明治32) 年に前田の墓の厨子甕整理が行われ、その際に石嶺の墓から朝薫の厨子甕が移葬されたと推測されている。移葬後、一ツ墓は空き墓となったが昭和初期まではまだ残っていた。王国時代、個人墓はハンセン病患者など特殊な事例に限られており、朝薫が個人墓に葬られたのは当時としては異様な出来事であるが、なにゆえそうなったのかは不明。また、厨子甕の銘書から洗骨が死後71年後の1805(嘉慶10)年であったことが判明しているが、これも通常の洗骨年(3~7年)から考えると異例である。玉城朝薫をめぐる何かがあったのであろうか?
Ahacha Hija Public Well 安波茶樋川
18世紀前半には既に存在していた記録がある。古くからある樋川で、安波茶集落の住民のための飲料、生活用水であった。拝所にもなっていた。樋川や井戸が拝所になっているところが多いのは、やはり、当時の住民にとって水は命にとって非常に重要であった。そのことより信仰の対象となったのであろう。
Great Bishop Wood in Uchima 内間の大アカギ
内間の大アカギの樹齢は推定でおよそ400年と言われている。アカギは平安時代、朝廷への朝貢物として重宝され、位記の軸や太刀の柄、和琴の脚や櫛などに用いられていた。近代では防風樹としての役割、採種油圧搾器、精糖車台などに使用される有用材であった。当樹木の下に村の井戸があったため、内間の大アカギは「神木」とされ大切にされてきた。戦前の村の祭りではアカギの前で組棒を行ったという。また、戦災を免れて生き残った数少ない樹木の一つ。
内間根屋宮里アジシ墓
大アカギの近くに一帯を支配したと思われる支配者のアジシ墓 (按司墓) がある。道路の分岐点の場所に丘ほどではなく盛土ぐらいのところにひっそりとある。何かの遺構と思われるものが3つ並んでいた。一つは表示もあり按司のアジシ墓だが、もう一つは後から調べて、鍛冶屋が鍛冶を行ったカンジャーガマという洞窟で、今はブロックで入り口が塞がれている。もう一つは何かは不明だが、何かの拝所の様な気もする。
今日は途中で、昨日訪れた浦添城のガイドセンターに寄ってみたところ、40を過ぎぐらいの女性の係員さんが親切で、閉館時間の5時まで色々な話に付き合ってくれた。聞いた話は、その訪問記の場所に含めて書いているが、ひとつだけ印象に残っているところがある。沖縄の人は戦争中は日本兵に怯え、戦後はアメリカ兵に怯え、未だに米軍基地の不安は続いている。戦前も戦後も何も本質的には変わっていない。沖縄は琉球という独立国家だった事を誇りに語ってくれた。はっきりとは言わなかったが、日本に対して、日本が過去にそして現在、琉球/沖縄にしてきたことには良い感情は持っていない様だった。しかしそれは、国に対してだけで、人に対しては同じような感情はない。外部からの人に対してはオープンでフレンドリーと言っていた。確かに、2時間ほど話して、それはよくわかった。
という事で、今日は有意義な会話に時間を使ったので、訪問できたところは少なめにした。今日を切り上げるかと思った時は既に6時を回っていた。結局、浦添は未だ全部観れていない。明日も浦添になりそうだ。