春の嵐15-神聖同盟結成フランス敗北
2019.09.14 02:14
1510年、教皇ユリウス2世が掌を返してヴェネツィアと組んで起こした対フランス戦争は、一転ピンチとなり、フランスはボローニャに向けて進軍を開始した。さらにルイ12世はピサで教会会議を開催し、フランス司教を中心に、ユリウス2世を廃して別教皇を擁立しようとした。
11年5月23日、ボローニャは早々とフランスに降伏し、なんと教皇領であるロマーニャ地方の大半をフランスが占拠してしまったのだ。絶体絶命のピンチに立った教皇はなりふりかまわず神聖ローマやスペインはおろかイングランドまでも声をかけ、対仏神聖同盟をつくった。
また教皇は、フランス主催の教会会議に対抗して、ローマで第5回ラテラノ公会議を開催した。しかしフランス軍の進撃は止まらず、ブレシアに続きラヴェンナまで陥落してしまった。だがこの戦いで、仏軍司令官ガストン・ド・フォアが戦死、ルイ12世も進軍をストップしたため一転して戦況はピンチとなった。
さすがに対仏同盟は広範である。元ミラノ公スフォルツア家のマクシミリアーノを推し立て、教皇に雇われたスイス兵、スペイン、それに神聖ローマが組んでフランスの本拠ミラノを攻撃。仏軍はロマーニャ地方を撤退し、応援に向かうが一足早くミラノは陥落し、フランスは一転すべてのイタリア領を失ってしまった。
下はラヴェンナの戦いでのガストン・ド・フォアの戦死