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GRADi

「No Rain, No Rainbow」

2019.09.11 16:00

2019年7月1日、「GRADiメールマガジン」(No.100)に書いた文章。同メルマガは、2012年から、個人で友人や知人に、月1−2回送っていた。今年の7月1日で休刊。

▼聴き取っていなかった「RAIN」

「Living Together のど自慢」に、コメンテーターとして参加した。この催しは、5-6人のゲストが、自分で選んだHIV陽性の人やその周りの人の手記を朗読し、感想を述べ、カラオケで一曲歌うというもの。コメンテーターは、それを受けてコメントをする、というもの。


Living Together とは、「HIVをもっている人も、そうじゃない人も、僕らはすでに一緒に生きている」というメッセージを伝えていくため、2002年に始まったキャンペーンで、様々な形で展開されてきた。のど自慢は、今回で54回目だった。


会場入りし、進行表でその日のゲストが歌う曲目を見て、『あっ』と思った。トップバッターの選曲が、SEKAI NO OWARI(通称セカオワ)の「RAIN」だ。


実は、その日、自宅でPCのiTuneでの曲リストを眺めていて、『あれ、竹原ピストルの『RAIN』と全く同じタイトルの曲がある』と思って気になり、この曲をかけたのだ。


自分で購入した曲なわけだから何度かかけていたはずだが、この時、あらためて意識したせいか、歌詞が新鮮に響き、そして、冒頭の歌詞がとても印象に残った。

「魔法は いつか解けると 僕らは知ってる」

『これが、今の多くの若い人が共有している感覚なのかな』と思った。そして、『じゃあ、今の自分はどうなんだろう?昔はどうだったろう?』という疑問がよぎった。でも、答えは出なかった。ただ、この歌詞が自分には悲しく響き、その後は、PC作業に意識を集中して聞き流した。


『そんな風にさっき聞いたばかりの曲を聞くことになるなんて、不思議なことがあるもんだな』


そう思い、モニターに表示される歌詞を追いながら、ゲストの歌を聴いていた。すると、こんな歌詞が出てきた。

「虹が架かる空には 雨が降ってたんだ  虹はいずれ消えるけど 雨は 草木を育てていたんだ」

これまで何度も聞きつつ、直前にも聞きつつ、聴き取っていなかった言葉。『ああ、そうか、雨の後の虹こそが希望のような気がしていたけれど、その先にさらなる希望があるんだ』。そのとき、この曲が決して厭世的なものではないことを知った。


▼刻み込まれた「RAIN」

セカオワの「RAIN」に気が向いたのは、その曲が竹原ピストルの「RAIN」と表記まで同じだったことがきっかけだった。その竹原ピストルの「RAIN」の方は、改めて気づく前のセカオワの「RAIN」と真反対のように、僕の体に刻み込まれているかのような曲だ。


この曲を聞くと、それが収められているアルバム「BEST BOUT」を毎日繰り返し聴いてた日々がよみがえる。それは、その頃の情景を思い出すだけでなく、その頃経験していた様々な身体感覚が体の奥からうっすら浮かび上がってくるような感じが伴う。


曲の冒頭の低めに繰り返される単純なビートが当時の感覚を呼び起こす。そのビートに乗って竹原ピストルのシャウトが始まり、その流れに、異なるリズム、メロディーが重ね合わされていく。

「このまま土足でお邪魔していいかい? 裸足の方が汚れているんだ」
「長グツの色を変えるくらいの調子で 何かにつけてやすやすと自分の色をかえて」

つながりのあるような無いような独特なフレーズが、変奏するかのように続く。明るい印象は受けないが、不思議と暗くもない、弱気のような、しかし力強い歌詞。けれど、この曲を聴きながら僕の身体に蘇るのは、自分が暗くて弱気だったときの感覚。


当時(と言っても、ほんの1年前までの話)、生活が苦しくて、友人宅に間借り生活をしていた。ふすまを閉めて電気を消せば真っ暗になる窓のない四畳半が僕の部屋。その部屋で、煩悶し身悶えしていた感覚、切迫するような思いに胸が押しつぶされそうになり、おののいていた感覚。つらくて、ふらふら出歩き、寒い冬の夜の街を、身を引きずりながら歩いているかのような感覚。


そんな感覚が度々訪れる中、「BEST BOUT」は、自分を支えてくれるアルバムだった。

「どんな大きなカサを用意しても 何故かいつもどちらかの肩が濡れてしまう」

この歌詞を、僕は、相手を気遣う気持ちとして読んだ。そして、どんなときも、僕のそばには、いつも私を気遣う人たちがいてくれることを、この歌詞を聴きながら思い出していた。やはり、僕は、そんな周りの人たちに救われてきた。


▼「No Rain, No Rainbow」

「雨があがれば 人のなかに 暖かい虹がかかるのさ」

12年前に亡くなった親友がんすけ(春日亮二)が遺した曲「No Rain, No Rainbow」(Genetic LOAD PROJECT)に、そんな歌詞が出てくる。


その暖かい虹を、僕は何度も見てきた。だから、いくら雨の中で打ちひしがれ凍えても、どしゃぶりの雨に流されそうになっても、生き延びてこられた。


そして、がんすけは、この曲をこうしめくくっている。

「果てしなく続くホライゾン 無数の未来 また雨が降る NO RAIN NO RAINBOW」

どこまで行っても、ゴールがあるわけでもない。ときどき、歩くのはもう疲れたと思う。でも、やはり先へ向けて歩き続ける。いろんな可能性に開かれている先へ。


もちろん、その途中で、幾度も雨は降る。そして、また打ちひしがれることもあるだろう。でも、きっと虹もまたかかるし、雨の恵みを受けて草木は育つ。


その風景を、これまで共に歩んで来た人たちと、そして、これから出会い共に歩んで行く人たちと見て行きたいと思う。

「雨が止んだ庭に 花が咲いていたんだ きっともう大丈夫 そうだ 次の雨の日のために 傘を探しに行こう」(「RAIN」by SEKAI NO OWARI)