9/14 服の力と時代性
服の力
服は他者の視線と自我との、空間をコントロールすることができる、
ここでは「等身大」であるかという
相手に対する探りが入る、そしてその間にある「嘘」にぶつかる。
嘘にぶつかるという事実を誰もが知っているから、何を着るかと考えた時、自我との戦いを余儀なくされる。
若い頃の服装が着崩しや、発色の良いものを着たり、前衛的な服を着てみたりするのは
自我が確立していないから
自分が誰なのかわからないから
試す、服との間の空間の嘘を。
自分の確立を検証する過程が外見に出る。
服は時代性と密接な関係を持っているんです。
70-90年代あたりまでは
他者と少しでも差をつけたい という「気がい」社会の雰囲気として有ったらしいですが。(僕は生まれてないのでこの目で確かめてないです!。)
現代は他者の目を気にする事に気疲れしてきたんだと僕は大体結論付けています。
服はファストファッションでおk
snsの発達で他者の目をますます気にするクソ社会になってしまった。
そういった社会の雰囲気になってしまったから
それが同調圧として 服を選ぶ「気がい」を持つ事自体がダサく写ってしまう時代なのかなとも思います。
しかしそれは悪いことではなく 時代性です。
時代の空気に合わせて作りだすことがクラフトマンの使命であると、思います。
モードが崩れ アンチモード全盛だからこそ
服にルールはほぼ無くなってしまいました。
自由を求める時代性だからこそ です。
かつて階級社会的に意味が1つ1つあったディテールももはや破綻していると思います。
自由にディテールを組み合わせ 時代の波に合っているからこそ sacai やAder error
Vetements balenciaga率いるデムナ等が若者の心を掴みました。
時代は移り変わりますね。
いつも時代の先駆者は嫌われ者です。