赤点ギリギリ
痛みの質に点数をつけると何点?
なんてことをよく聞きます。
しかし、痛みは情動と大きく関係します。
かなり主観的なものです。
シビレでもそうです。
あらゆる症状は情動と無関係ではありません。
点数は、それを公平に評価する一つの道具にはなります。
確かに便利!!
でもよく考えてください。
例えば鍼灸学校を卒業したいとします。入学しました。
期末のテストがあったとします。
そこで赤点ギリギリだった人、100点とった人
どちらが優秀か?
それは誰にも決められないんじゃないかと思います。
私が通っていたクラスは3年間同じ顔ぶれでした。
クラスが変わることはありません。
入学時は50人でしたが、途中辞めていった方も結構いました。
さて鍼灸学校に通う目的はなんでしょうか?
国家試験にうかって鍼灸の免許をとることです。
赤点ギリギリで、国試をやっと受かったという人は、不良学生?
それが面白いことに、クラスで1、2を争う赤点とりの名人がいました。
しかし、卒業後努力を重ねて今では、海外にも行って講習会をする有名な鍼灸師になっています。
クラスで1番か2番だった人を、軽く超えて良い鍼灸師になっているし、今も更に上を目指そうとして努力を怠りません。
そしていつも明るいし、赤点とっても全然物怖じしない。
そういう性格でした。
もちろん成績が悪くて鍼灸師になってからも、あまり活躍していない人もいます。
だから、その時の点数なんてホントに一部の一部を切り取っただけだとわかります。
しかし、鍼灸師になるという目的を達成するという意味からすれば、赤点ギリギリでも100点満点でも、基本のスタートは同じということです。
彼は、それをやりとおし、卒業後には、人以上に情熱を鍼灸治療に注いだ結果だということです。
人間の目的は生きることです。
生き続け生き抜くことです。
なぜなら簡単には死ねないからです。
それに点数をつけること自体ナンセンスです。
30点で赤点なら、31点とれればいい。再試験しなくても良い。
落第せず何とか卒業できる。数字というのはホントにそんなものです。
31点と30点の違いって何ですか?
一つのことに時間をかけてでも理解しようと努力し、その努力を怠らなかったかが問題なのであって、その時の点数なんて、その人の世界の一部分です。
だからホントに関係ないなぁ~と彼を見ていてそう思います。
最初から100点とろうとしてしまう人ってホントに多いです。
痛みを100%とろうと努力してしまう。
その努力は、学校のテストのように、点数で評価はできません。
正解のないテストです。
やり方はいくとおりもあります。
決して正解もありません。
それでは30点なのか100点なのかを誰が決めるのか?
自分以外にはない!!!