自利=利他♡
ブログを書く時は
何を書くか明確に決まっている時は少なくて
書き始めてから決まっていくことが多い。
今日もつらつらと書き始めて
途中で本当に書きたいテーマが分かったから
ぜ~んぶ消して書き直し(笑)
ちょっと前にブログにも書いたけど、
「市長になりたい」という望みとともに
「もっとビジネスを拡大させたい」という思いが出てきたじゃない?
で、東京に行って
いろんな作り手さん、メーカーさんに出逢い、
「あぁ、やっぱりこの素敵なものたちを、もっと鹿島で紹介したいな」って純粋に思った。
私の思う「素敵なもの」って上っ面じゃない。
「ステキ~。可愛い!!」っていうトキメキも大好きなんだけど、
今自分の中で「素敵」と思うものは
まずは「自分のためにつくられた」もの。
自分がほしい下着。
自分がほしい洋服。
自分がつくりたいジュエリー。
「誰かにウケる」「誰かに売る」ためににつくられたものではない。
「誰かがつくる」「誰かがやる」のを待たないでいいと氣づいたひとたちが創ったもの。
それはとても純粋な動機から産まれたものたち。
それはイコール「自分自神への奉納品」となる。
その「奉納品」に対する「ご利益(ごりやく)」が、要するに「利益(りえき)」なんだ。
私も「自分がほしいもの」を売る。
「私がほしい店、あってほしい場所」を創る。
そこは譲れないところ。
それには資金、投資が必要。
だって仕入れや設備、環境づくりに投資をしないと、利益は出ないんだから。
私にとって「仕入れに投資する」ってね、商品やお店に投資するというより
自分への投資なの。
わたしの感性。
わたしの直感。
わたしの信念。
それらへの純粋な投資。
自分のセンス=感覚にお金を払う。
それは
自分の感性、信念、直感に降伏して
出すもん出すってこと。
そうすると、そこにお金を払ってくれるひとが現れる。
これはもう絶対に現れるの。
お店を始める前。
当たり前だけどお客さんはゼロだよ。
どんなひとが来てくれるのか
一寸先は闇だよ。
真っ暗闇だ。
だけど未来から自分を見ると
やっぱりどうしてもお客さんが視えたんだ。
過去からの延長線上に見たら、きっと不安しかないんだけどね
そういう時は、未来の視点に立ってみる。
これ、やってみてね。
視点を動かしてみるの。
過去→現在ではなく、未来→現在に。
不安で動けなくなるっていうのは怠慢。
自分に対する怠慢。
不安から投資ができないっていうのは侮辱。
自分のいのちに対する侮辱だね。
やっぱり「出す」ことが先で「入る」ことがあとね。
これがぐるぐるまわっていくことが
循環ってもんだ。
商売って「お金儲け」っていうイメージが先行するし
「働く」ってこと自体が「生活のため」って概念は根強いけど
仕事ってそんなもんじゃない。
お金ってそんなもんじゃない。
ビジネスは自分との真剣勝負。
自分にどれだけ投資できるか。
どれだけ降伏してお金を出せるか。
自分をどれだけ開示できるか。
「売り買い」とは
売る側と買う側の感性とエネルギーの交感。
自分の喜びと他者の喜びが同じになる瞬間。
これはある意味いのちがけだし
自分を全公開しないと無理。
そうではない商売をしているひともいるでしょう。
だけど
いろんなことを我慢して、諦めて、自分を押し隠して「こんなもんだ」という商売をしていては、本当に自分がほしい「利益」はもらえない。
自分が自分として生きるのに必要なお金は生まれない。
だってそれって
自分をみくびってるわけでしょう?
自分という神様をみくびっているのならば、そこに本当にほしいだけのご利益が生まれるわけがない。
「風とたね」も、
以前のわたし、今のわたしが「ほしいと望んだもの」。
「こういう場所がほしい」という自分の望みを
誰かに叶えてほしいなんて甘ったれた考えを捨てた時に
「風とたね」はこの世に産まれたの。
だけどその「ほしいもの」は進み続けるし変化し続けるものだから
立ち止まってはいられない。
「ほしいもの」が変化することを
「ほしいもの」が増えることを
強欲と呼ぶのなら
わたしは強欲でいたい。
身の内から湧き上がる欲求やイメージを
なかったことにしたくない。
この秋からお取り扱いする商品が増えていきます。
喫茶を開くことも考えています。
ひとと一緒に仕事をしてお金を払うということにもチャレンジしたいし、
プロデュースしたいこともある。
「欲求」というものが
こんなに美しくて
「自利」というものが
どうしても
「利他」になるということを
味わうことって
とっても甘美♡
あ、「自利」「利他」って何?と思った人はググってね^^
仏語で~す。
(ただし、私なりの解釈なので、他の解釈とは違うと思うよ♪)
Love,
Shoko