©関愛子

一年の厚さ

2019.09.15 21:50

これが一年なんだと。


ただただ消化してきた日数を思い起こしても、

自分の肉体に月日の感覚は、まだ、染み付いていない。


生きているうちに、これが一年だ、と

自分の体が、頭が、納得するような瞬間は、くるんだろうか。


だけど、これが一年なんだなと。


岐阜善光寺 松枝秀晃氏 一周忌の朝、

彼の生命反応が途切れた「午前10時23分」にスタートする、という

善光寺阿弥陀市「シューコーまるけ」に出かけるつもりで、


この日は暑くて、自転車で行くのを躊躇して、

バスで会場行こうかなとか家出る直前まで考えあぐねてたら、

もはやバスでは間に合わない時間になって、

やっぱり自転車に乗っていくことにする。



ちょっと歪んだリズムで回るペダルを踏んで、

熱い日差しを受けながら、風切って走りはじめたら、

私が彼を「松枝さん」と呼んでいた頃、

いっしょに岐阜町を自転車で回った日がフラッシュバックする。

彼は自転車を「ケッタ」と呼んでいた。


今年はやけに暑かったのもあって、

長良橋を自転車で渡ることも少なかったな。


自転車を飛ばして善光寺通りを入って、

スチールパンが奏でる忌野清志郎が聴こえてきて、

気持ちが一気にあの日に引き戻される。


ここにいたんだ、彼は。

彼を知る人が、ここにいるんだ。


それだけが、

それこそが、という

それこそを、支えにして。


彼と同じ日に亡くなった義父の看取りを終えて、

岐阜に戻ってきて、彼が霊柩車で運ばれていった日の夕方、

厚くて幅のある、長い長い道のようにもみえる夕焼け雲を見つめて、

そろそろ今、あのぞうりを履いて、あの上歩きはじめたのかな

と思ったことを、


いま、あの日と同じ空に浮かぶ、朝焼けの雲を見ながら、思い出す。