壮麗帝の挑戦1-イランのサファビー朝誕生
2019.09.16 01:10
1511年、イランの地でサファヴィー朝が成立した。久々のイランの王朝であるが、これはシーア派だった。もともとはカスピ海西南岸のスンニ派神秘主義教団だったのだが、地域的に大勢を占めるシーア派に改宗し、勢力を拡大していったのだ、民族的にもトルコ系が多い。
1494年、この教団を7歳で継いだシャー・イスマイールは、彼を見た西洋人が「あまりにも美しく、邪悪なものを感じるほどだ」と言われたほどのカリスマ美男。加えて詩人であり、99年に亡命先から檄文を発し、その力で白羊朝を打ち破り、アゼルバイジャンを制圧して王朝を建国した。
シーア派は、イスラム第4代正統カリフのムハンマドの従弟アリーの子孫を正統派カリフと認める宗派。スンニ派は、アリー以降のウマイヤ朝から、ムハンマドの血縁でない者をイスラムの指導者としている。イスマイールのサファビー家は、ササン朝とムハンマド両方の血をひくとされ、イランでウケないわけはない。
イスマイールは、その詩才でオスマン内部のシーア派に立ちあがれとプロパガンダを行った。オスマンのバヤズィト2世の政治は内向きで、三男セリムが1512年にイエニチェリの支持のもとクーデターを起こし、スルタンを廃位、セリム1世となって即位した。父バヤズィト2世は隠棲先で程なく亡くなった。
下は魅惑的なイケメンシャー・イスマイール