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三位一体

2019.09.22 14:12

躓いて蹲ひにけり鏡草  高資

雨上がる土の匂ひや満天星  高資

むらさきのかたばみ三位一体なり  高資

八重雲を道別きに道別く西日かな  高資

逝く夏や日に魁ける八咫烏  高資

矢堅目· 長崎県 南松浦郡 · ·

鵄の舞ふ雲より秋の夕陽かな 高資

鳳や秋の夕焼雲となる  高資

三足の烏に釣瓶落しかな  高資

指の輪に重ねて秋の入り日かな  高資

 不動岳の方へ沈む夕日


三本足の烏で思い出されるのは、三本足の鳥居。すなわち、三柱鳥居である。三柱鳥居が表現するのは、造化三神であり、原始キリスト教の絶対三神だった。

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6355298  【烏天狗と八咫烏】 より


https://tripnote.jp/arashiyama-uzumasa/noshimanimasu-amateru-mitama-shrine?fbclid=IwAR2oPnyCLdfiqKsTViaceokLka8aDHurxRdybvXJovF8Egk3RL3wxGpukHM

【三本脚鳥居のミステリー 京都太秦にある木嶋坐天照御魂神社】

http://gakkenmu.jp/column/2446/  【不二阿祖山太神宮に三柱鳥居が建立された!!】

http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=148  

【対馬の神々が証する古代海路とイスラエルのルーツを解明 |】

対馬に存在する数多くの式内社の中でも、圧倒的な存在感を誇るのが、仁位の和 多津美神社と木坂の海神神社です。 ... また、海幸山幸の伝説のみならず、和多津美 神社境内周辺には実に多くの旧跡が存在します。5基の鳥居と磯良恵比須の磐座を初めとし、御社殿後方にある2つの岩からなる ..... 磯良恵比寿の磐座と3本足の鳥居そこには3本足の鳥居が鱗上の磐座を囲むように建立され、「磯良恵比須の磐座」と呼ばれています。

龍淵に潜んで磯良恵比須かな  高資

 磯良恵比須・和多津美神社

 写真は平成7年のもので、現在は三本足の鳥居によって囲われています。満潮になると海水で満たされます。豊玉姫が鵜草葺不合命を出産した場所と云われています。

 ー 場所: 対馬市

対馬は島国にして山国である。 太古、朝鮮半島と九州の間の地峡が海没したとき、辛うじて没することを免れた山巓が対馬である。連なる尾根は岬となり、山峡は溺れ谷となった。そして「山険しく深林多く道路 狭し」

昔は道路が狭くて大変でした。トンネルも多く出来て便利になった現在でも南端の豆酘から北端の比田勝までは百キロ以上あり,また山も険しく、対馬の山々は神聖にして入山を制限されています。だからこそツシマヤマネコが生息できるのかもしれません。厳原では、かつて皇族方や高浜年尾先生が逗留した立派な古藤一杏子先生のお屋敷でよく句会に参加したものです。

facebook和多都美神社(対馬) 投稿記事

對馬の嶺は 下雲あらなふ 可牟の嶺に たなびく雲を 見つつ偲はも

『万葉集』でうたわれた対馬の嶺

ここは和宮は、この歌の舞台とは違いますが、ここからのぞむ山々と海、海鳥居、

こんな美しい景色を日本の皆さんに知ってほしい。

神様を感じます。

わたなかに都ありけむ合歓の花 高資


http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/tushima/watatumij/watatumij.htm

【和多都美神社(わたづみじんじゃ)】 

 ◆ 海幸彦山幸彦の伝説の発祥の地「和多都美神社」

 和多都美神社(わたづみじんじゃ)は浅茅(あそう)湾の入り江の奥深く、烏帽子岳の麓にあります。

「延喜式」に名前の見える式内社で、社伝によれば海神である豊玉彦命(とよたまひこのみこと)が当地に宮殿を造り、宮を海宮(わたづみのみや)と名付け、この地を夫姫(おとひめ)と名付けたとあります。

祀られているのは豊玉彦の娘である豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と、その夫で海幸山幸伝説の山幸にあたる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)です。

和多都美神社(わたづみじんじゃ)の前には浅茅湾の海が広がり、海の中に2つの鳥居が立っています。鳥居は全部で5つあり海の中から一直線に神社の社殿に続いており、 満潮の時には社殿の近くまで海水が満ち、伝説ムードいっぱいの神社です。

また、社殿の前には磯良(いそら)の墓伝説のある磯良恵比寿という磐座(いわくら)があります。 現地の説明板によると・・磯良の墓とした伝説があるが、古い祭祀における霊座か、御神体石だったのではないか? と書かれていました。

社殿の横にも磐座(いわくら)があります。この磐座(いわくら)と言うのは神様が宿る(御降臨)される場所のことです。石自体が神聖なのではなく、ここに神様が来られるという場所が神聖なのです。

同じような意味で御座石(ございし)、降臨石というものもあります。

 社殿の裏には、巨木が林立し、その中に2つの岩があります。これを夫婦岩と称し、そばに豊玉姫命の墳墓(御陵)があります。また、西手の山下には豊玉彦尊の墳墓もあるそうです。

https://ameblo.jp/milkcoconut12/entry-12182132930.html  【絶対三神と生命の樹】

今日は、絶対三神と生命の樹 をシェアしたいと思います。

三位一体という言葉は直接聖書には書かれていませんが、聖書には一貫して、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神という三つの位格があって同時にそれが一つの神である事が書かれてあります。


絶対三神とは、キリスト教でいう「御父、御子、聖霊」 

右側:「慈悲の柱」 御子 ヤハウェ

中央:「均衡の柱」 御父 エロヒム

左側:「峻厳の柱」 聖霊 ルーハ

電気的なプラスとマイナスのバランスが、絶対三神の関係

高御産巣日神: 御子 陽子

天之御中主神: 御父 中性子

神産巣日神:  聖霊 電子

三宝とは、絶対三神のシンボル

法(ダルマ):「慈悲の柱」、御子

仏(ブッタ):「均衡の柱」、御父

僧(サンガ):「峻厳の柱」、聖霊

ヒンズー教の三位一体

ブラフマー: 「慈悲の柱」、御子

ヴィシュヌ: 「均衡の柱」、御父

シヴァ:   「峻厳の柱」、聖霊

三宝を支えるに二匹の狛犬と大極図。

狛犬は、本殿に向かって右側が陽であり、左側が陰である。 陽の狛犬は口を開け、陰の狛犬は口を閉じる。 仏教では、開いた口で「阿」、閉じた口で「吽」とする。 人は口を大きく開けて「おぎゃ~」と叫びながら生まれ、死ぬときは口を閉じる。 阿吽とは、生命活動の象徴ともいうべき呼吸をもって人の一生を表している。

予言者モーゼの前に現れた絶対神ヤハウェは自らを「最初にして最後の者」であると述べ、イエス・キリストも、やはり自ら「最初にして最後の者」、「アルファにしてオメガである」と称した。 つまり、阿吽とは絶対神ヤハウェとイエス・キリストが陰陽、表裏一体の同一神であることも暗示しています。

『旧約聖書』に登場する預言者の多くは、イエス・キリストの生涯をトレースしたかたのように同じ境遇に合う。 例えば、モーゼが生まれた時の幼児虐殺、ヨシュアがイスラエル12支族を率いたこと、イザヤが荒野で40日間修行したこと、また、釈迦の生涯もまた予型になっています。

仏教では、宇宙の絶対的な真理を悟った仏を「如来」とし、衆生を救うために、あえて悟りを得ずに教えを伝える「菩薩」、いくら説法しても聞く耳をもたぬ人々を救うために、やぬなく力づくで折伏を行う「明王」。 釈迦は悟ったがゆえに「釈迦如来」と称される。

菩薩: 「慈悲の柱」、御子

如来: 「均衡の柱」、御父

明王: 「峻厳の柱」、聖霊

悟りを得て如来にならずに、衆生を救うことを誓ったのが「菩薩」です。 これは純粋に霊的な存在であった絶対神ヤハウェが受肉して、人間イエス・キリストとして地上に誕生したことを象徴しています。 観音菩薩は大日如来の化身であり、御父エロヒムから全権を担った御子ヤハウェ=イエス・キリストを暗示しています。 その観音菩薩は、様々な姿をとり、33というのは象徴であり、実際は無数の化身となり、人々を導いています。 違う言い方をすれば、イエス・キリストが様々な名前で呼ばれ、地上のあらゆる宗教で崇拝されていることになります。

イエス・キリストが救うのは生きている人間だけではなく、死んだ者をも救われます。 冥界を彷徨う人々を救うのが「地蔵菩薩」です。 釈迦が入滅して、弥勒菩薩が下生するまでの間、地蔵菩薩が六道に転生している人々を救う役目を担われます。 地蔵菩薩は、あらゆる次元を超えて、すべての人々を救おうとするイエス・キリストを表しています。 しかし、やがて終末を迎えます。 兜率天で修行している「弥勒菩薩」が下生し、地上の人々を救います。 未来のメシアとは、世の終末、地上に再び戻ってくるイエス・キリストになります。

明星とは金星のことで、イエス・キリストのことを表しています。 明星とは、「日・月・星」から成り、「生命の樹」における「太陽の栄光」「月の栄光」「星の栄光」を表しています。

十字架も、菩提樹も「生命の樹」を表しています。 そして、預言者はみな「生命の樹」を手に、絶対神ヤハウェと一体になっています。 それゆえ、絶対神ヤハウェ=イエス・キリストの生涯をトレースすることで予型を体現しています。 

最初のフリーメーソンであるアダムは祭壇を作り、そこで儀式を行いました。 儀式は代々、アダムの子孫で、かつ絶対神ヤハウェに認められた預言者に継承されます。 アダムからセト、エノシュ、ケナン、マハシュエル、イエレド、エノクと続きます。 エジプトの三大ピラミッドを建設したのはエノクになります。 エノクが昇天した後、メトシュラ、レメク、ノアに至ります。 ノアは大洪水から助かった後、絶対神ヤハウェに感謝し、祭壇を作って儀式を行います。 そして、3つの組織を作り、3人の息子を就任します。

ヤフェト: コーカソイドやアーリア系などの 主に白人系。 

セム: シュメールやアラブ、ヘブライ、ネイティブアメリカン、チベット系、中国、朝鮮、日本人などの、主に有色人種。

セムメーソンはノアの直系、預言者アブラハムやイサク、ヤコブ、そしてイスラエル人が引き継ぎ、イエス・キリストが誕生します。

ハム: 主にアフリカ大陸に広がり、エジプト人やエチオピア人などの黒人種。


乳かい攪拌の神話に三位一体はあるのでしょうか?諏訪の御柱祭りは乳かい攪拌が原型だと聞いたことがあります。しかし資料が見当たりません。 諏訪の博物館「なんでも諏訪百科」で検索してみました。

【天地創造神話】で検索すると該当はゼロ件、【乳かい攪拌】乳かい攪拌で検索すると以下です。

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ウェブからの結果

乳海攪拌 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/乳海攪拌

乳海攪拌(にゅうかいかくはん)は、ヒンドゥー教における天地創造神話。

アンコールワット~乳海攪拌ってどんな物語? | ピースイン ...

https://www.pitt.jp/report/cbd-som.php

カンボジア旅行の専門店ピースインツアー。乳海撹拌(にゅうかいかくはん)の話のあらすじをご紹介します。古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』に現れるヒンドゥー教の天地創世神話で、カンボジアの ...

乳海撹拌 (にゅうかいかくはん)とは【ピクシブ百科事典】

https://dic.pixiv.net/a/乳海撹拌

乳海撹拌がイラスト付きでわかる! 乳海撹拌とはインド神話の天地創造神話。 概要 リシドゥルヴァーサスの贈り物の花輪をインドラが礼儀正しく受け取ったまでは良かったが、乗っていた象が放り投げてしまったのを見られてしまっ ...

乳海攪拌の話 - これでインディア|ALL INDIA PERMIT

www.koredeindia.com/teikoku/vishnucity/vishnucity13a.htm

乳海攪拌 昔々、神々と悪魔がメール山に集まって不死になるにはどうしたらいいのか相談した。不死の霊薬アムリタを飲めば不老不死になることを知ると、今度はアムリタを得るにはどうしたらいいのかを話し合った。すると ...

乳海攪拌 - 乳海攪拌の概要 - Weblio辞書

https://www.weblio.jp/wkpja/content/乳海攪拌_乳海...

乳海攪拌 乳海攪拌の概要 ナビゲーションに移動検索に移動 1820年頃に描かれた乳海攪拌目次1 概要2 ギャラリー3 脚注3.1 注釈3.2 出典4 参考文献5 関連資料6 外部リンク概要 アンコール・ワット第1回廊、浅浮き彫...

ヒンドゥー教における天地創造神話の乳海撹拌 | 天下泰平

https://ameblo.jp/pure-tenkataihei/entry-12354055860.html

これは、ヒンドゥー教における天地創造神話の「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」という物語を再現したディスプレイのようです。乳海撹拌のあらすじ 太古、不老不死の霊薬アムリタをめぐり、神々とアスラ(悪鬼)が壮絶な戦いを ...

001.乳海攪拌がもたらしたもの | 世界の神話

https://syokunin.online/001-乳海攪拌がもたらし...

そして、その中から太陽と月、後にヴイシュヌの妻となるラクシュミーが生まれた。攪拌はその後1000年間続けられ、乳海からはさらに種々のものが生まれ、新しい世界もできていった。 そして最後に、医学の神タスヴアンタリが だが ...

カンボジア史(1) ヒンドゥー教の天地創造神話『乳海撹拌 ...

https://kyujin.careerlink.asia/cambodia/コラム...

カンボジアにおいて有名な神話の一つである 『乳海撹拌』 のあらすじを記述致します。乳海撹拌とはヒンドゥー教の天地創世神話の一つとされており、 世界遺産にもなっているアンコールワットの第一回廊には、この話しのレリーフ ...

12 FGOの独自キャラクター「キングプロテア」をインド乳海攪拌 ...

https://kangaeruhito.jp/article/6342

「これって、映画『バーフバリ』のこと?」そう思った方は正解です。あの大ヒット映画を、インドの神話で読み解くと違う姿が見えてきます。古くは毘沙門天、新しくはゲームのキャラクター、とインドの神さまたちは意外に日本に ...

クールマとヴァスキ~乳海攪拌とラーフの日食月食~

monspedia.com/kuruma

その乳海の中から太陽と月、続いて美しい女神ラクシュミが姿を現しました。 この初めて出現した美しい女神をヴィシュヌは自分の妃としたのです。 いいとこどり-なんて思ってはいけません。 ヴィシュヌはこの世の最高神なのです ...

御柱祭

御柱または御柱祭は、長野県諏訪地方で行われる祭である。諏訪大社における最大の行事である。正式には「式年造営御柱大祭」といい、寅と申の年に行なわれる式年祭である。長野県指定無形民俗文化財。日本三大奇祭のひとつとされる。Wikipedia


ウィキペディア(Wikipedia)で紹介されている乳かい攪拌図です。

諏訪には守矢の森があります

https://kodaishi.net/person/mr-moriya  【ミシャグジ神を祭る神長官守矢氏】

ユダヤ教・ヒンドゥー教の盈虚王を強く受けていることは間違いありません

その資料館には燔祭を記念するがごとく 「御頭祭(おんとうさい)と呼ばれる鹿や猪を生贄にした神事の復元展示も行われています。」と紹介されています。

https://www.jinjyagoshuin.com/entry/moriya  【神長官守矢史料館(茅野市)】

モリヤという地名はアブラハムが我が子イサクを燔祭としてささげることを命じられた山です。

イサクの燔祭 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/イサクの燔祭 - キャッシュ

イサクの燔祭(イサクのはんさい)とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に ... 神が命じたモリヤの山を上るさなか、父子の間では燔祭についての短い会話が交わされている。 

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=334188  

【秦氏は景教(ほぼユダヤ教)を日本に持ち込んだ】

秦氏は現在に至る日本の闇勢力の中心となった一族といわれる。

秦氏は5世紀頃日本に土木技術を始め大陸の先進技術を持つ集団として、朝鮮の辰韓より渡来したとされている。始祖はタミール高原の北端(現在のキルギスタン~カザフスタン)地域の遊牧王国である、弓月氏(紀元前161年から5世紀に存在)。彼等は烏孫(うそん)とも呼ばれ、民族的にはトルコ族という説とインド・ヨーロッパ系語族が混血してトルコ化したという二つの説がある。秦氏はこの弓月氏から秦への服属を経て、辰韓に脱出したと見られる。

後述するように秦氏は景教由来の一族であり、景教と日本古来のアニミズム(八百神信仰)を融合させ神道に強い影響を与えたと思われる。

○景教とは何か

景教とは一般的には5世紀にローマ教会から異端宣告された「キリスト教ネストリウス派(東方教会)」を指すが、中国ではキリスト教は宗派を問わず総て景教徒と呼ばれており、ユダヤ教も同じく景況と呼ばれていた可能性が高いキリストが布教を開始して以降100年から200年まではいわゆる原始キリスト教と呼ばれ、新約聖書が文書化されるまでは、教義も定まっておらず、布教のために教義内容を現地宗教に合わせて変化させていたと思われる。同時に儀礼においてはユダヤ教の色彩をかなり残していた(この時期はユダヤ教キリスト派とも呼ばれていた)。

景教学者の佐伯好郎氏によれば、前述する弓月氏には2世紀頃には、この原始キリスト教が布教され、既に小ながらもキリスト教国家を形成していた。また当時2世紀中頃にはトルコやタタールなどもキリスト教化していたと言われる。また文献によれば(「新撰姓氏録」)最初に日本に景教徒がやってきたのは199年との記載がある。

一般に景教とよばれる東方教会は、7世紀に唐で大隆盛するが、秦氏が持ち込んだと言われる景教は年代から見て、後者の原始キリスト教由来と見られる。当時の景教は文章化されたものはなく、教義の子細は不明であるが、イラン経由で布教されたことから、主神は置くものの多神教であるゾロアスター教の影響も受けていると思われる。

しかし、秦氏が秦に服属したのは2200年前であり、キリスト教との接点はなく、ユダヤ教に近いものだったと考えられる。

○秦氏が景教を持ち込んだとされる根拠

秦氏が拠点とした地域に太秦という地名がある。太秦の「太」は長という意味なので、秦の長という意味である。同時に唐の時代の中国に伝わった景教は、「大秦」教(だいしんきょう)とも呼ばれ、景教の教会も「大秦」寺と呼ばれた。古い時代には「大」と「太」は混用されたから、これは「太秦」と同じ字である。

同じく京都の太秦には「木島坐天照御魂神社」(俗名は蚕(かいこ)の社(やしろ))という神社がある。この神社の社務所の由緒書には、「ここは景教が渡来し、秦氏と関連があったことの名残りをとどめる遺跡として伝えられる」と記されている。この神社の祭神は、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」である。この神は、古事記によれば神々の中でも一番最初に現われ出た神とされ、目に見えない最高神、また宇宙の根元の神とされている。

 しかし古神道では、一般の神社で「天之御中主神」というような絶対神、最高神を祭ったりはしない。それ以外の神――天照大神その他の神々を祭っている。秦氏は八百万(やおよろず)の神々との折り合いを図りつつも、景教由来の一族は唯一の神を「天之御中主神」の名において祀ったのではないだろうか。(因みに後の伊勢神宮も、内宮は自然崇拝発と思われる天照大神が祀られているが、外宮はには「天之御中主神」が祀られている。)この神社にある「三柱鳥居」と三本柱の珍しい鳥居は三位一体を表すとも言われている。

同じく太秦にある秦氏の氏寺といわれる広隆寺には弥勒菩薩が祀られており、右手の親指と薬指を合わせ、他の指を柔らかく立てるという仕草であるが、これは景教の司教の絵画にある仕草と同じであり、景教によれば「三位一体」を表すサインである。

また秦氏が広めた稲荷神社の本山である伏見稲荷の祝詞には、「それ神は唯一にして、御形なし。虚にして、霊有り、天地開闢てこのかた、国常立尊を拝し奉れば、天に次玉、地に次玉、人に次玉、豊受の神の流れを、宇迦之御魂命と生出たもう・・」との「唯一神」を表す祝詞がある。

付言すれば、秦氏の招きにより遷都としたといわれる「平安京」は、ヘブライ語の「エル・シャラーム」=「エルサレム(平和の都)」と同じ意味である。

○神道と古代イスラエルの風習の共通性

秦氏が持ち込んだ景教が、ユダヤ教的色彩を色濃く残しているとすれば、神道と古代イスラエルの習俗の共通性も説明が付くよう思われる。

①神道は目に見えない神を拝む。鏡や石等をご神体とする場合もあるが、それは神聖さを表すもの若しくは神が降りる場所を表し、神そのものではない。このような宗教は世界でも珍しい(後に確立するイスラム教を除く)。神道はアニミズム由来であるゆえとも考えられるが、「三種の神器」がありそれを重んずるのも共通。

②拝殿の前で拍手(かしわで)を打つ。古代イスラエルの風習も同じ、イスラエルでは手を打つことは「私は約束を守るものである」ことを示すものである。

③拝殿、神殿の構造 日本でもイスラエルでも神殿の構造は、一般人が入れるのは拝殿まで、拝殿は神官しか入れず、更にその奥の本殿は特別な神官しか入れない。また拝殿の前に賽銭箱があるのも同じ。

④手水舎 イスラエルにも神殿の前に洗盤があり、そこで水を使って手足を清める

⑤狛犬がある これは獅子がモデルとされる。イスラエルの寺院でも随所に獅子のレリーフ等があるが獅子はもちろん日本にはおらず、中東由来とされる

⑥神輿 イスラエルでも「契約の箱」と呼ばれるものを2本の棒で支え、担いで町を練り歩くという神事は共通。日本では神輿の頭に羽を広げた鳳凰が、イスラエルでは羽を広げた天使が飾られる。

⑦塩を清めに使う 

⑧お祓い 植物や樹を上下左右に振りおお祓いをする儀式は共通


三界の昼を燈せる蓮かな  高資ー 場所: 妻沼聖天山(歓喜院聖天堂)