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スサノオ・シュメール?

2019.09.22 14:14

叢雲を斬れば身ぬちの大蛇かな  高資

八重垣剣閃く春の闇  高資

草薙剣を得てや風光る  高資

 須佐之男命の大蛇(をろち)退治・武蔵国一之宮大宮氷川神社ー 場所: 氷川神社

蛇の池へ石のうろこや野分立つ  高資


https://blog.goo.ne.jp/gemi2011/e/37ff6ce2a16d0c98300b0491275e389d  コピー

今回は、出雲神話、八岐大蛇神話で有名なスサノオの正体の謎解きをします。

(私的妄想も幾分入っているかと思います)

ヒッタイト神話には、八岐大蛇退治に酷似した竜退治神話があります。

『嵐の神「プルリヤシャ」が、様々な種類の酒を瓶に入れて小屋に隠すと竜の神「イルルヤンカシュ」が酒の匂いに誘われてやって来て

酔い潰れたところを斬り殺した』

ヒッタイトの首都「ハットウシャ」を漢字に当てはめると「八頭蛇」となり、八岐大蛇神話との繋がりが見えてきます。

ヒッタイトは、鉄の武器で勢力を拡大した騎馬民族だったことから「騎馬民族征服王朝説」のヒッタイト人は、日本列島に渡来し大和朝廷を建国した大和族だったということになります。

ヒッタイト(ヘテ)→ハッティ→ハタ→秦→秦氏

ヒッタイトの製鉄技術が、九州の八幡市に広まり八幡製鉄となったようです。

ヒッタイトと日本との関わりが深いことからシュメール経由で里帰りしたユダヤ人というのは騎馬民族のヒッタイト人だったということですかね。

ちょんまげも、ヒッタイト人からもたらされたものだとか。。

スサノオ(須佐之男命)=須佐の男というように島根県出雲市には、須佐という地名や須佐神社がありスサノオ所縁の地になっていることがわかります。

また、「スサノオ=スサの王」説があります。シュメールに隣接するエラム帝国(ペルシャ)には「スサ」という都があり、その王は「スサの王」と呼ばれたという。

スサの都から出発して、アジアの広域に渡って東征して勢力を拡大、征服していったマケドニアのアレキサンダー大王こそがスサを征服した「スサの王」と呼ばれた英雄だったのです。

騎馬民族征服王朝説=アレキサンダー大王東方征服とはスサノオ(出雲族)が、スサの王アレキサンダー大王(大和族)によって征服された勝者側の歴史=神武天皇東方征服と繋がりました。

アレキサンダー大王東征と、神武天皇東征の共通点を見てみると・・

・アレキサンダー大王が、ファラオに即位する為にアモン神殿に向かう途中、道に迷いますがカラスの導きで無事辿り着き即位しますが

神武天皇も同じく、カラスの導きで畿内に上陸して後に初代天皇に即位しています(カラス=ヤタガラス)

・神武天皇が大和の宇陀にやってきた時、敵地の土で御神酒を入れる瓶を作って神々を祀れば、敵が降伏するという夢を見ます。 

これに従い、部下に変装させ、敵地から土をもってこさせ御神酒の瓶を作ったところ、見事、敵を倒す事に成功。

アレキサンダー大王がペルシャとの戦いの前日アレキサンダー大王が同様の夢を見、お告げ通り大王は変装して敵地に潜入し、こっそり酒杯を盗んできます。

これによってアレキサンダー大王はペルシャ軍を撃破することに成功。

こうして日本神話の謎解きをしていくと神話の登場人物のほとんどが繋がっていくようです。

☆本日のまとめ☆

・スサノオ=スサの王=アレキサンダー大王

出雲族(北イスラエル王国)のスサノオが

出雲族を倒した大和族(南ユダ王国)のアレキサンダー大王とイコールで繋がるのは、出雲族にしても、大和族にしても同族のイスラエルの民=ヤハウェ(神)の民であるという意味でしょう。

・騎馬民族(ヒッタイト人)=ユダヤ人=秦氏(秦)

=アレキサンダー大王(マケドニア)=神武天皇

https://ameblo.jp/duku510/entry-11970249746.html   【スサノオはシュメール出身なのか?-番外編その⑪】より

【あの有名な竹内文章にも書かれて居ます】

竹内睦秦氏によると、シュメールの最大の都の名は「スサ」と呼ばれ、その「スサ」の王をスサノオと呼んだ。

スサノオは政治軍事を司る王として君臨し、後にこの政治・軍事グループは出雲族となる。

~以上~

後はヤタガラスの流れを見てもそれはわかりますよね?

【蘇民将来と八咫烏】

下鴨神社の祭神タケツノミです。

タケツノミの祖はスサノオ。

スサノオを祀る八坂神社の祇園祭や、下鴨・上賀茂の葵祭を大々的に行なっている。

秦氏自体がこちらの方面から日本に来ていますからね。

つまりは、蘇民将来(スサノオ)=スサの王という事でしょうね

~以上~

【シュメールの実体】

 さて、シュメールでスサという都市ははたして実際にあったのだろうか?

シュメールに隣接した所、メソポタミアの東に昔エラム帝国があった。

エラム(Elam)は古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前4000年紀半ばから紀元前6世紀までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。

 そのエラム帝国の代表的な都が[[アンシャン]]と[[スサ]]である。

そしてエラムの王は[[アンシャンとスサの王]]と称したそうだ。だから、竹内文献のスサの王、スサノオは実在したことになり、史実と正当武内文献とが符合しているんです。

日本から見ればシュメールの地も隣接するエラムも区別できないだろうからである。

上記のツイートや、竹内文章を踏まえて比定していくと・・・・

日本のスサノオとシュメールのスサの王(アレキサンダー大王)の物語は以下の様に考えられる事になるでしょう。

【スサノオ=アレキサンダー大王だとしたら?】

騎馬民族征服王朝説=アレキサンダー大王東方征服

スサノオ(出雲族)が、スサの王アレキサンダー大王(大和族)によって

征服された勝者側の歴史=神武天皇東方征服と繋がりました。

アレキサンダー大王東征と、神武天皇東征の共通点を見てみると・・

【カラスという共通項】

●アレキサンダー大王が、ファラオに即位する為にアモン神殿に向かう途中、道に迷いますがカラスの導きで無事辿り着き即位します

●神武天皇も同じく、カラスの導きで畿内に上陸して後に初代天皇に即位しています(カラス=ヤタガラス)

【戦いの前の変装とお酒】

●神武天皇が大和の宇陀にやってきた時、敵地の土で御神酒を入れる瓶を作って神々を祀れば、敵が降伏するという夢を見ます。 

  これに従い、部下に変装させ、敵地から土をもってこさせ御神酒の瓶を作ったところ、見事、敵を倒す事に成功。

●アレキサンダー大王がペルシャとの戦いの前日アレキサンダー大王が同様の夢を見

 お告げ通り大王は変装して敵地に潜入し、こっそり酒杯を盗んできます。

これによってアレキサンダー大王はペルシャ軍を撃破することに成功。

~以上~

上に書いたものはほんの一例にしか過ぎず・・・・

この様に日本神話の謎解きをしていくと

神話の登場人物のほとんどが繋がっていくようです。

さて・・・この様に一般で思われている以上に日本とシュメールは非常に繋がりが有るのですが、この事はまだまだネタが有りますが・・・・・

実はあの方もシュメール出身である可能性が高いのです・・・・

日本人誰もが知る有名人のあの方とは・・・・・?

モアナと伝説の海、そしてスサノヲ - 天下泰平 http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51965606.html

主人公はスサノオ - オニド:王仁三郎ドット・ジェイピー http://www.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=24

https://kyouinohey9.amebaownd.com/posts/3826322より

シュメール人は紀元前9000年前にメソポタミア(現イラク)に移住してきました。 これがシューメール文明の始まりです。※年代は色々と諸説あるようです。

シュメール人の民族系統は不明。 高度な文明を築き、美術、建築、宗教はもちろん、社会機構、文字までも作り出しました。 世界初の船や車輪付戦車なども、シュメール人によって作られたのです。

何が不思議かというと、シュメール人がそのメソポタミアに来てから文明が爆発的に発達したことです。

シュメール人は誰に、何を教えてもらったのか。

神様は異星人説。

度々唱えられる説ですが、案外信憑性はあるかなぁと思っています。

とりあえず、こんなに途方もなく広い宇宙なら絶対に生物いるでしょう。 たとえそれが地球の生物の枠から外れていたとしても、次元が違ったとしても。 だから、他の星の人が知恵を与え、地球人を進歩させた可能性はあるわけで。 たまに不思議な話で「自分身体は地球人だけど魂的には異星人」という人がいます。 「火星が核戦争で汚れてしまったので地球を発展させてから移り住んだ。」とか。

興味深いですね。

神話でよく神様は空に居て、いろいろな知恵を送ったと書いてあります。

・グリゴリ…20人程の天使が地上に舞い降り、人間の娘と結婚した。その際、禁じられた知識

 (呪術、薬草、武器、腕輪、化粧、占星術など)を教えてしまい、地上は荒れてしまった。

  さらに人間との間に生まれた子供は巨人だった。

・プロメテウス…ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人間に与えた。

・アポロン…人間に医術を教えた。

・デメテル…穀物の栽培を教えた。

・オーディン…ルーン文字を発明し、人間に教えた。

ルーン文字とオーディン

ルーン文字とオーディン

ルーン文字はケルト民族が使っていた文字で、魔術的な力が強いとされている。 普段使いではなく、儀式やまじない、また装飾品に刻む際に使われていた特別な文字で、木や石に刻みやすい様直線だけで作られている文字

資料部屋

ちなみに最古の文字はシュメール人発祥の楔形文字。

もし、聖書が実史だというのなら。 異星から来た人が人間に知識を与え、ちょくちょく空から様子を見に来てた可能性は無きにしも非ずでしょう。

先ほどのグリゴリの話の続きですが、世界が荒れ狂ったので大洪水起こしてリセットします。その際の話が有名な「ノアの方舟」に繋がる。

実際、紀元前1600年ぐらいから大洪水が4回ほど世界中であり、そして方舟を作って乗るという神話がノアだけでなく各地であります。 シュメール人の作ったギルガメッシュ叙事詩は聖書より先に作られましたが、ノアの方舟のような話が載っています。

またアメリカやブルガリア、エクアドル、エジプト、アリューシャン列島、南アフリカ、さらには日本で巨人の化石が発見されています。この際真偽は置いておきましょう。

もしかしたらグリゴリは本当にいて、そうやって知識を与えたがゆえに争いを呼んでしまい、天界(異星)に帰ることを許されず民族としてメソポタミアに来たのかも。

それか、グリゴリとは関係なくミーミルの水を飲んだオーディンに知識をもらっていたのかも。シュメール人は楔形文字を創始しているし。

古代核戦争説にそって古代の発達した知識をもった人たちがどこかに避難していてまた地球で生活しようと現れたとか。

地球空洞説にそって地底にいたとか。

ゼカリア・シッチンによれば、この太陽系には10番目の「ニビル」と呼ばれる惑星が存在するといいます。『シュメールの粘土板を詳細に解析し、この結論にいたった。惑星ニビルは公転周期約3600年で、知的生命体「アヌンナキ」が高度な文明を構築している。アヌンナキは、地球に接近したときに地球に飛来し、われわれ人類を遺伝子操作で猿人から創生した。

現在、多くの科学者は、宇宙全体で知的生命体が存在する確率は非常に高いことを認めている。ただし、その知的生命体同士が遭遇する確率はほとんど0だという。ゼカリア・シッチンの仮説によれば、地球人類とアヌンナキは遭遇したのでなく、アヌンナキが自分たちに似せて作り出した生命体が地球人類だということになる。 聖書の創世記にある「神は自分たちに似せて人を創った」という記述が実際に行われていたのだ』

想像が膨らみますね。

とにかく「全てが書いてある教科書」や「何でも教えてくれる先生」または「既に高度な知識をどこかで仕入れていた」としか思えないような技術や文明を短期間で作り出したのです。

世界で最初の文明を作り出したシュメール人。 日本の文明にも携わったのではないかとも言われています。

https://kyouinohey9.amebaownd.com/posts/3825536  【古代シュメールの粘土板】

ニビルという星にアヌンナキという宇宙人が住んでいた。 約45万年前、ニビルでは星の存続の危機に会う。 その危機とは、ニビルの大気が宇宙空間に拡散し、それによりニビルの生物たちは絶滅の危機にみま見舞われたというもの。

その解決として『黄金の粒子』を利用し、シールドを作る。そうして大気の拡散を防御するという策を見出した。 そしてアヌンナキの当時王である『アラル』は、太陽系の『地球』に金が大量にあることを発見する。 そして今から44万5000年前、ニビル星の王『アヌ』の息子『エンキ』を指導者にアヌンナキ人たちは地球に出向き、金の採掘を始めた。

当初は海水から金を採取するも、海水から採取できる金の量ではとても足りないことがわかり、

(海水に塩酸、テルル、ヒドラ ジンを加え、沸騰させろ過する。すると微量ながら金がろ紙に付着するという。東 京ドーム4~5杯分の海水から、やっと1gの金が採れるぐらいの量)

それから金鉱山を掘りだした。 しかし金鉱山を掘るのは一苦労。

『人間のように神々が仕事を担い、そのに苦役耐えた。神々の苦役は重く、仕事は厳しく、かなり苦痛だった』古文書「アトラハシス」より

過酷すぎて労働者が反乱を起こし始めた。そこで考えられた方法が、当時地球に生息していた類人猿を元として、遺伝子操作を行い金採掘ができる程度の知的な生物を造り出すことだった。

原始的労働者「ルル・アメル(人間のこと)」開発計画

エンキは、“原始的労働者”たるものを人工的に創造し、アヌンナキたちの代わりに働かせるという計画を思いついた。

ある日、ラボから100キロ北の平原地帯に珍しい生き物がいるという噂を耳にしたのでエンキは行ってみることにした。 そして、その平原で目を疑うような生き物に遭遇した。 一見、四足動物に見える生き物は、前足を手として使い、後足で直立していた。おまけに、立ったまま歩いていた。

彼らは群れをなし、平原地帯の茂みでひっそりと暮らしていた。 エンキは彼らに知性があることを直観した。その生き物こそが、後に「ホモ・エレクトス(直立人間)」として知られるようになる人類の祖先だった。

エンキは彼らの生態を詳しく知るために、この平原に何度も通い、彼らの生態に虜になっていった。  (なるほど・・・この動物をプロトタイプにして、我々のDNAと掛け合わせればいい!そうすればアヌンナキの代わりに肉体労働ができる生物を生むことができる。なんとか完成させてみせるぞ!)

それから数十シャル(数万年)もの時が流れて、ついにエンキは、原始的労働者ルル・アメルのプロトタイプを完成させることができた。

ニンマー(ニビル星人の女性科学者)は、自らの子宮を提供しての実験を繰り返したが、それとはまた別に、受精卵(猿人の卵子)を入れた粘土を小さく捏(こ)ねり、地球のその生き物の雌の子宮に注入するという実験も繰り返した。

奇想天外な結果を生みだすことを繰り返しながらもついにそれは成功した。 ニンマーは、「ついに成功しました!これからメスのおっぱいに近づけましょう!」 といって、生まれたばかりの直立原人の赤ちゃんをそのメスの乳房に近づけたが、メスは恐怖と警戒から歯をむき出し、野生の本性を露わにした。 自分の子に近寄ろうとはしなかった。 そこでニンマーは、その子の母親代わりとなって育てることにした。 その子は、ニビル星人の新しい命と比べると成長が遅く、言語を発達させる能力がないこともすぐに明らになった。 そこで彼らは再び実験をし直した。

誕生した生物

生命のエッセンスを混ぜ合わせる実験によって、奇想天外ともいえる生き物たちが誕生した。

それらは、 『幾つもの目や顔を持つ猿類』『翼を持つライオン』『体を背合わせに共有する生き物』 『男女の二つの顔をもつヘルマフロディテ(両性具有)』『角を持ち、人間の顔の四本足の生き物 』 『馬の足を持つ直立人』『牛の頭を持つ直立人』『人間の頭をした巨人』などであった。

人類一号『アマダ』の誕生

ルル・アメル(原始的労働者)を誕生させるというその実験から、ようやくアヌンナキの姿をした、つまり立派な両手両足がある生命体が誕生した。

生まれてきた男の子は、学者らによって注意深く毎日観察された。 その子の姿は、直立原人のように毛むくじゃらではなく、皮膚もアヌンナキのようにブルー系統ではなかった。 粘土のように茶褐色だった。 また、彼の血液も同様にアヌンナキのブルーブラッドとも、ヘビ族の深緑色とも違っていて、赤色をしていた。 さらに言えることとして、その男の子の陰茎部の包皮は、胴体と区別がつかなかった。 こうして生まれた人類第一号(アダマ)の容貌は、現在のアラブ系やインド系であった。

人類二号『ティアマト』

出産役であるアヌンナキの女性の子宮に、卵子は挿入された。受胎があり、出産があり、7人の男児が誕生した。 そして、“正常”であった。しかし、この方法は過酷すぎるし、時間も掛かりすぎた。 そこで、雌(めす)を創ることをエンキが提案した。 地球人自身で生殖させるのである。アダマの対を成す者を創るためには1人、アヌンナキの子宮が必要である。

そしてダムキナという女性の子宮に卵子が挿入され、受胎したが、割り当てられた時に出産の印は来なかった。 更に月を数え、10ヶ月目、“邪悪な宿命の月”と彼らは呼んだが、ニンマーが帝王切開して取り出すと、女の子が誕生した。 彼らは新生児の手足、容貌、各器官の機能を調べ、いずれも問題なかった。 頭髪は浜辺の砂のような色で、毛むくじゃらではなく、肌は滑らかでアヌンナキの肌の滑らかさと色だった。

ダムキナが名付け親となり、ティアマト、“生命の母”とされた。

エディン

ティアマトとアダマは、「エディン」という場所に送り込まれることになった。 エディンには、目に見えないドームのバリケードが張られていた。 アダマとティアマトは、あることを教えられていた。 それはそのエディンの端までいくと、すなわち、バリケードの境界近くまで行くと、恐ろしいことが起きるということだった。

実際には、このドームは彼らを展示するための機能を備えていて、モニターを通してアヌンナキたちが彼らを観察する場所で、動物園のような役割をした。 多くのアヌンナキが、その珍しい生き物のつがいを見学しようと、遠路はるばるやってきた。 2匹のルル・アメルを一度見物したいとエディンに押し寄せてきた。

しかし見学者たちは、高度な学習能力をもつ彼らに気づかれないようにと、モニターを通して始終彼らの動きを捕らえていた。

DNA問題

しかし、ある問題が浮上していた。 ドームの中で放し飼いにされていたルル7対が、茂みの中でつがっているのが確認されていたにもかかわらず、雌は子を産まず、ルルの数は増えていく様子がないということが明らかになった。

アヌンナキの生命のエッセンスが、男と女別に皿に振り分けられて、それぞれがティアマトとアダマのものと比較された。 絡まった2本のヘビのようなものが見え、それをさらに拡大させると、“生命の木”であるDNAの連なりの染色体の上に、22本の枝がついていた。 これが、いわゆる彼らとアヌンナキとの決定的な違いであり、これに気づいたニンギシュジッダ(アヌンナキの科学者)が言った。 「これでは、生殖能力は持てない! 男と女を決定的に分ける2本が欠けているのです」 体外受精による異種交配種アダマとティアマトには生殖能力が無かった。

その原因は、性染色体が存在しなかったことによる。

骨髄移植により、生殖能力の付加に成功

「成功しましたよ。彼らの生命の木に枝が2本加わりました!」 ニンギシュジッダは、肋骨からの“骨髄移植”により、生殖能力付加に成功した。 22本の枝とは染色体のことであり、2つの小片(しょうへん)が性染色体(XY、XX)である。

アヌンナキの帰省

本来の目的である指令に反して、勝手に知的生命体を作ってしまったアヌンナキ一行は、司令部からの怒りを買い、直ちに地球から引き戻されてしまう。 そして、彼等が犯した過ちの償いとして、アヌンナキは地球文明の意識開花に一役買う事にし、その際、地球の王政を教えていった。

『ニビル』とはシュメール語で「交差する星」という意味

メソポタミアで発掘された粘土板には「ニビルに住むアヌンナキが地球に来た」と書かれている。 また「我々の知識はニビルの住人である神々によって与えられた」とも書いてある。

『神々』をシュメール語で言うと『an unna ki(アヌンナキ)』

an(天) na(は~から)ki(地)『天から降りてきた人々』という意味になる。

またバビロニア神話によれば兄妹神『アヌ』と『キ』の子、また『アンシャール(天の軸)』と

『キシャール(地の軸)』の子とされている。 また『エンキ』とはメソポタミア神話での神とされている。

常にシュメール人は「文明は神々からの贈り物」と言っていたそう。

シュメール人は自らの事を『混ざり合わされた者』、『ウンサンギガ(黒頭の民)』と称していた。 ではいったい何と混ざり合されているのか。

『シュメールの古文書によれば、まずアヌンナキの身体からテエマとシルという”ふたつの聖なる物質”が採取されたという。テエマとは”記憶を保存するもの”という意味で、現代でいえば”遺伝子”ということになるだろう。シルとは”男のアヌンナキからのみ採取しうるもの”とされているので”精子”を意味することはまちがいない。

そしてアヌンナキのテエマとシルを”清められたる容器の中で、猿人の卵子と混ぜ合わせる。つまり猿人の卵子とアヌンナキの精子を受精させるのである。その受精卵は”清められたる容器”の中から、”鋳型”へと移され一定期間発育させ、しかるのちに”誕生の女神”の子宮、つまり母体となる女性のアヌンナキの子宮に着床させるのだ。』

つまりは猿(人間)と神(アヌンナキ)が混ざり合さった者がシュメール人だという。

日ユ同祖論 - Wikipedia

https://kyouinohey9.amebaownd.com/posts/3825932  より

ユダヤ人の発祥地はイスラエルです。

神話時代、それこそモーゼがいた時代にイスラエルが12に分散しました。 そのうちの一つが日本ではないかという説があります。

日本語とヘブライ語が似ているというのはご存じでしょうか。

ワラベ(童)=ワラッベン(子供)

ホロブ(滅ぶ)=ホレブ(滅ぶ)

サムライ(侍)=シャムライ(守る者)

トリイ(鳥居)=トリイ(門)

他にも困る、住む、座る、憎むなど「読み方と意味が全く一緒」な言葉が多々あります。 日本語は島国で発達したガラパゴスな言葉が多く、中国語でさえ漢字は読めても読み方が全く違うものばかり。それなのに遠い国の言葉と似てるってなんなんでしょう。

またちょっと都市伝説の様ではありますが、「君が代」。 これを先ほどのヘブライ語で日本語歌詞っぽく置き換えてみると

クムガヨワ(立ち上がれ)テヨニ(シオンの民)ヤ・チヨニ(神に選ばれし者)

サッ・サリード(喜べ・人類を救う民として)イワ・オト・ナリァタ(神の預言が成就する)

コカノ・ムーシュ・マッテ(全地で語り鳴り響け)

『神よ!立ち上がって来てください!シオン、神の選民!残りの民は喜び、救いを待ち望みます。神が御顔を見せてくださる。すべての基はキリストにあり。』

など、それっぽい意味のある言葉になります。

また、シュメール人(Šumeru)はスメルとも読める為、スメラ(天皇)ノミコトとは シュメルのミコトではないか?といった話もあります。

シュメールや古代バビロニアには、日本の『三種の神器』のように日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣という三種の神器があります。 さらに一致を見るのは、日本神話では8つの首を持つヤマタノオロチを退治したときに得た草薙の剣であるのに対し、シュメールでも7つの首を持つ竜を退治したときに、三種の神器の剣を得ているのです。

シュメール人とはメソポタミアに存在した民族で出てきたのは紀元前9000年前、または紀元前3500年前と言われています。

数学、天文学、政治、文学、その他多くの文化を作り出しました。この文化の発想をどこで得たのかは歴史上の謎となっています。

さらにシュメール人は紀元前2000年前に忽然と姿を消しています。滅亡理由は飢饉だったり敵国からの侵略だったりハッキリとした理由はわかっていません。

イスラエルが分散したのは紀元前931年前。

彼らはどこへ行ったのか。

一説ではシュメール人が文明を作り、イスラエルへ逃げ、それから12に分散した。

イスラエル人の祖先の「アブラハム」はメソポタミア出身らしいのですが、正直そこまで行ってしまうと神話と実史が混ざってしまい、そうであろうという憶測が飛び交っています。

またアジア圏へ移ったとも地中海側へ行ったとも言われていますが、憶測でしかありません。

日本元祖説

日本元祖説というものがあります。これはイスラエル、シュメールと日本の文化があまりにも似ているから。シュメール人の風貌も縄文人に似ているとか。

とある話で「縄文人は古代日本を出発し、メソポタミアに行き、イスラエルで大洪水に遭遇し、ノアの方舟に乗り、中国を経由して再び日本に帰ってきた」と書いてあります。

これは日本人類発祥説ですね。

また古代イスラエル人はアジア人だったそう。

日ユ同祖論のユダヤ人もアジア人セファルディムで、よくよく調べるとイスラエル、シュメール、

ユダヤの中に『アジア』という言葉が見え隠れしてきます。

調べるとキリがないぐらいシュメールと日本とイスラムの共通点が出てきます。

逆に気になるのがイスラエル人が12に分散し、そのうちの2つが ユダヤとイスラエルとなっており、日本もその一つではないか、日本の元はイスラエルではないかと言う人と、 先ほど書いた様に、縄文人(日本人)が旅に出て文明広めたのではという人。

スメラノミコトが先か古代イスラエル分散が先か。

イスラエルはキリストが生まれた土地でもありますし、ソロモン王がいたりアブラハムがいたり、神話に近い国なんですよね。不可思議な文明が進んだ国。

日本の不思議

不思議な民族といえば「弥生人のDNAは日本以外どこにもない。突然出てきた日本固有のDNA」であり、どっかからいきなり出てきたとしか説明が出来ないそう。

もしかしたら世界各地で異星人が人間を作り出したのかも。 また江戸時代に書かれた「うつろ船」というUFOそっくりな船の出てくる話があります。 日本の海岸に漂着した謎の船と、それに乗っていた異国の女性。 しかも日本各地で同じような内容の話がある。 この女性が弥生人なのかな。 しかしこの話では驚いた発見者が船に女性を押し戻しまた流してしまいます。ひどい。


ヒッタイト帝国□. 紀元前2千年紀、アナトリア高原を拠点として栄えたヒッタイト帝国。第1章では、キュルテベ、ボアズキョイ、アラジャホユックなど城塞 ... アレクサンドロス大王 の東方遠征ののち、アナトリアの地において東西文化の融合を象徴するビザンツ帝国。


https://brain.vicolla.jp/2018/10/01/worldhistory-1/ 【メソポタミアで栄えた民族】 より

シュメール人 アッカド人 アム人(ヒッタイト人) カッシート人

シュメール人の都市国家

シュメール人は国を形成しました。

国と言っても、シュメールという名前の国があったわけではありません。シュメールは民族の名であり、シュメール人は都市国家をティグリス川・ユーフラテス川の間の地域に分立させたのです。

これが古代オリエント文明のはじまりといえます。

紀元前3000年ごろの出来事です。

都市国家と聞いてもピンとこないかもしれませんが、いってしまうと、農村と領土国家(いまのほとんどの世界の国々)の中間形態です。

都市国家で有名なのは、ウル・ウルク・ラガシュです。

シュメール人は優れた文化の作り手であり,いまもなお受け継がれている文化を作り出しました。

太陽暦 60進法 1週7日制 占星術 楔形文字の使用などです。

ちなみに同時代に花開いたエジプト文化に対して,実用的な文化と言われています。

シュメール人は都市国家を分立させていたんでした。結局は、この都市国家間での争いが絶えず、そこに、アッカド人が攻めてきたので、滅んでしまいました。アッカド人の時代です。

アッカド人のメソポタミア南部統一

アッカド人は、シュメール人の文化を引継ぎました。サルゴン1世のときにメソポタミア南部を統一しました。統一とは地域内の勢力を手中におさめることですね。シュメール人はメソポタミアを統一はしていないんでしたね。

アッカド王国の成立は、紀元前2400年ごろです。


かの有名なハンムラビ法典を用いたアムル人による全メソポタミア統一

アッカド人の次に入ってきたのは、アムル人です。

アムル人は,バビロン第一王朝(古バビロニア王国ともいわれます)を建てました。

あのかの有名なハンムラビ法典を築き上げた民族です。ハンムラビ法典を象徴するコンセプトとして「目には目を歯には歯を」という言葉が有名ですよね。ハンムラビ法典は、罪と同じだけの罰を与えようという同害復讐法です。ですから、すごく平等なんだなあと早とちりしてしまいがちなのですが、実は、ハンムラビ法典は、同害復讐法でありかつ身分法でもありました。ですから、身分の差も裁判に考慮されていたんですね。法の下での平等は保たれていません。。。

このハンムラビ法典をしきつつ、全メソポタミアを統一したのが、ハンムラビ法典を作ったハンムラビ王です!

ハンムラビ法典の成立は紀元前1800年ごろのことです。


鉄器を使うヒッタイトが攻めてきて3国が分立

せっかくアムル人が統一を成し遂げたのですが,鉄製武器使用のパイオニアであるヒッタイトが攻め入ってきて、アムル人の支配は終わりを迎えます。ヒッタイトが,強かったんですね~~~。そりゃそうですよね。鉄をもたないアムル人と鉄製武器をもったヒッタイトが戦ったら,ヒッタイトが勝つことは想像に難くありませんよね。。。

ヒッタイトが,アムル人が建てたバビロン第一王朝を滅ぼしたのは前16世紀の事です。

こうして,ヒッタイトがメソポタミアの情勢を大きくぐらつかせ、その結果、メソポタミアと小アジアにはヒッタイト ミタンニ カッシートがそれぞれ王国を建てるのです。

ヒッタイトは小アジアに落ち着いたんですね。


ヒッタイト王国

インド=ヨーロッパ語系のヒッタイト人が小アジアに建国しました。首都はボアズキョイです。

戦いに秀でており新王国時代のエジプトのラメス2世とカデシュの戦いで争いました。

紀元前12世紀ごろに活躍した海の民によって滅ぼされてしまいました。


ミタンニ王国

メソポタミア北部に建国されました。

紀元前14世紀ごろに、従属させていたアッシリア人が国内で独立したことを発端に衰退し、滅亡に至りました


カッシート王国

メソポタミア南部に建国されました。以上のように、3国が分立していた状況は、ミタンニ王国から、アッシリア人が独立したことで変化します。


アッシリア帝国の盛衰

アッシリア人は、ミタンニを滅ぼした後も、領土を拡大させていきました。

前14世紀にミタンニより独立し、前7世紀には全オリエントを統一しました。

オリエントはラテン語で「日が昇る方角」の意味を持ちます。東方世界のことですね。どこから見て東なのかというと、古代ローマから見て東です。

アッシリア帝国は属州制度を確立し、少数のアッシリア人によって、多様な民族・広大な領土をうまく統治しようとしました。同時に、アッシリア人は被支配民族に、重税をかけ、恐怖を感じさせる強権的な支配を行いました。この恐怖政治は、被支配民族の反感をかい、分裂の大きな原因となりました。


アッシリア帝国が大きくなっていく過程を説明します。

まず、サルゴン2世の時にメソポタミアのほぼ全域を支配しました。領土はまだ広がりました。結果、紀元前7世紀前半には、全オリエントの主要部分を始めて統一して、世界帝国となりました。

領土最大期はアッシュル=バニパル王の時です。

アッシュル=バニパル王は首都ニネヴェ世界最古の図書館を建設しました。

3000年ほど前に図書館がこの地球上にあっただなんてびっくりしてしまいますよね。それほど、アッシリアは栄えていたのですね。

前7世紀前半にはここまで栄えていたアッシリア帝国ですが、前612年には滅亡しています。アッシリア支配下に置かれていたけれど蜂起を起こしたメディア・新バビロニアの連合軍によって滅ぼされるのです。

アッシリア帝国はこうして前612年に滅亡しました。

その後、オリエント世界は、4つに分裂しました。まとまったり、分裂したりの繰り返しですね。


オリエント4国分立

アッシリア帝国がメディア・新バビロニアに滅ぼされた後、オリエントに建った国は

リディア王国 新バビロニア王国 メディア王国 エジプト王国の4つです。


エジプト王国

アッシリアの支配から独立し、再びアケメネス朝ペルシアの支配下におかれるまで存続しました。


リディア王国

小アジアにありました。首都はサルデスです。

世界で最も古い鋳造貨幣を使用しました。貨幣を鋳造する技術はギリシア・ローマへと伝わっていきました。貨幣市場の発展は商業発展と交易活性化につながります。


新バビロニア王国

首都はバビロンです。最盛期には、ネブカドネザル2世がバビロン捕囚を行いました。ユダヤ人を強制的にバビロンに移住させたのです。バビロン捕囚の年号は押さえておくと良いでしょう。

新バビロニア王国のネブカドネザル2世によって前586年にユダヤ人は捕らえられ、前538年にアケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって解放されるんです。


メディア王国

イラン高原で栄えましたが、アケメネス朝が内部より独立し、滅びました。このアケメネス朝が、領土を広げていきます。


アケメネス朝ペルシアの盛衰

メディアに服属していましたが、キュロス2世の時に独立します。

キュロス2世は、リディア王国・新バビロニアを支配下に収めることに成功しました。その際、新バビロニアが行っていたバビロン捕囚によってとらえられていたユダヤ人を解放しました。

アケメネス朝ペルシアは、ダレイオス1世の時代に最盛期を迎えます。

https://yascovicci.exblog.jp/i104/より引用

ダレイオス1世は、サトラップ制を確立しました。(ちなみに、このサトラップ制、アッシリア帝国が敷いていた属州制を引き継いだものです。)

サトラップ制では、国内を州に分け、それぞれの州に長官(=サトラップ)を割り当て支配させました。しかし、このサトラップ制、これだけではありません。長官たちが反乱などの悪巧みをすることを防ぐために、「王の目・王の耳」と呼ばれる監視官を派遣し、長官たちを監視したのです。

しかし、ダレイオス1世が安定的に統治しようとして行った施策はこれだけにとどまりません。「王の道」を作り、情報伝達をスムーズに行い、軍が反乱の起こったところにすぐに駆けつけやすくしたりしました。駅伝制ですね。「王の道」はスサ・サルデス間のものが最も有名です。

大活躍のダレイオス1世ですが、ギリシャに攻めていったペルシア戦争では敗れてしまいました。ギリシア遠征は失敗に終わり、いよいよ最後の時がやってきます。

結局、アケメネス朝ペルシアは、前330年に、ダレイオス3世の治世の時、マケドニア王国のアレクサンドロス大王の東方遠征により滅亡しました。

これが、古代メソポタミアから古代ヘレニズムへのターニングポイントです。

では、最後にまとめです!

古代メソポタミアの流れ(後半)のまとめ

ヒッタイト・ミタンニ・カッシートの3国分立

ミタンニから独立したアッシリアによるアッシリア帝国のオリエント支配

4国分立(エジプト・リディア・新バビロニア・メディア)

メディアから独立したアケメネス朝によるオリエント支配

アレクサンドロス大王の東方遠征でヘレニズムへ


https://ameblo.jp/a-balance/entry-11587534148.html

【世界史第10回 古代オリエント世界ー鉄の王国、ヒッタイト出現!ー】  より

戦国時代のメソポタミアを制したハンムラビ王だが、この時代から、インド=ヨーロッパ語族が登場してくる。

メソポタミア地方では、言語系統不明のシュメール人を除き、アフロ=アジア語族セム系民族の世界だった。

だがしかし、紀元前2000年頃からインド=ヨーロッパ語族が登場してくる。

紀元前2000年~1000年までの期間は、インド=ヨーロッパ語族の大移動の時代。

彼らが元々どこに居住して、いつ頃形成されたのかははっきりしていない。

北方からやってきたとされている。

・アーリア人:インドに移住

・ペルシア人:イラン高原に移住

・ギリシア人:ギリシャに移住

・ラテン人 :イタリア半島に移住

・ゲルマン人:ドイツ周辺に移住

当然、肥沃な三日月地帯と言われる豊かなメソポタミア地方に移住した集団がいた。

彼らが最初にこの地域で作った国家が三つ。

・ヒッタイト

・ミタンニ

・カッシート

メソポタミアを統一したバビロン第一王朝は、やがて滅ぼされる運命となる。

本日からヒッタイト、ミタンニ、カッシートの順に学習していく。

それが終われば、エジプトだ。

さて、まずはヒッタイトから。

【学習している内容(古代)】

 1.古代オリエント世界 ←今回はここ

 2.ギリシア世界

 3.ローマ世界

 4.インド古典文明

 5.東南アジアの諸文明

 6.中国の古典文明

 7.南北アメリカ文明


【年代の確認】

紀元前1680年頃~

【内容】

○ヒッタイト王国建国から滅亡まで

ヒッタイトとは、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、紀元前1680年頃にアナトリア半島(現トルコ)に王国を築いた民族である。

また、この民族が建国した国の名をヒッタイト王国と呼ぶ。

この民族の重要な点は、歴史上初めて鉄器を用いたことである。

高度な製鉄技術により、メソポタミアを征服した。

現在のトルコのボアズキョイ遺跡で、発掘が進められている。ボアズキョイ(現トルコ共和国、ハットゥシャ)のライオンの門


ヒッタイト王国は、古、中、新の三つに分類できる。

・ヒッタイト古王国

紀元前1680年頃にヒッタイト人により、ヒッタイト古王国が建国され、後に、メソポタミア地方を征服した。

そしてついに、紀元前1595年頃、バビロン第一王朝(古バビロニア)を滅ぼし、メソポタミアにはカッシート王朝が成立した。

・ヒッタイト中王国

紀元前1500年頃、ヒッタイト中王国の成立。王位剥奪が続いたり、記録がない時代。

・ヒッタイト新王国

紀元前1430年頃、ヒッタイト新王国の成立。この時代ヒッタイト王国は、最大版図を誇る。

赤:ヒッタイト帝国の最大勢力圏 緑:古代エジプトの勢力圏

エジプトの歴史は別途学習するが、この時エジプトの勢力は、現シリアのところまで伸びている。

紀元前1285年頃、エジプトの勢力圏と国境を境にする地方、

カデシュで、エジプトVSヒッタイトの衝突が発生。

史上初公式な軍事記録として残された戦いであり、しかも、史上初成分化された平和条約が取り交わされた戦いである。

また、ハットゥシリ3世の王妃プドゥヘパが作成した、宗教詩は、現在発見されている最古の女性の文芸作として知られている。

紀元前1190年頃、通説では、民族分類不明の「海の民」によって滅ぼされたとされている。

○文化

・鉄器の使用

周りの国は青銅器を使用する中、鉄の精製技術があったヒッタイトは、強国に成長した。

製鉄技術はヒッタイトの国家機密として門外不出とされてたみたいだ。

ヒッタイトが滅んではじめて製鉄技術は各地に広まっていく。

・軍事力

エジプトの壁画に表現されたヒッタイト軍の戦車から分かるように、画期的な工夫がしてあることが分かる。

特に車輪。スポークの採用で車輪が軽量化でき、戦車の速度が改良された。

スポークの使用はヒッタイトが最も初期である。

エジプトの壁画に表現されたヒッタイト軍の戦車

・平和条約

紀元前1274年、古代エジプトとヒッタイトの戦いであるカデシュの戦いで、結ばれた史上初の平和条約。

粘土板に刻まれた、エジプト・ヒッタイト平和条約について、下記に記載する。

「古の時より、エジプトの偉大なる主とヒッタイトの偉大なる王に関し、神々は条約によってそれらの間に戦争を起こさせなかった。ところが、我が兄、ヒッタイトの偉大なる王、ムワタリの時代、エジプトの偉大な主と戦ったが、しかし、今日この日より、見よ、ヒッタイトの偉大なる王、ハットゥシリは、エジプトとヒッタイトのために、ラー神とセト神が作った、恒久的に戦いを起こさせないための条約に同意する。

――我々の平和と友好関係は永久に守られるであろう。

――ヒッタイトの子とその子孫は偉大なる主の子とその子孫の間も平和であろう。

なぜなら、彼らも平和と友好関係を守って生きるからである」平和条約を作成し、停戦協定を結ぶことは当時にしてみれば、画期的であったことは間違いないだろう。


もしかして海の民とはムー大陸沈没の際に生き残った人々ではいないでしょうか?

ネアンデルタール人から進化した彼らは 沈没と共にアメリカ西海岸、東アジアへと流れついたと聞きます。

あるいは 先住民族シュメール人かもしれません。

https://ameblo.jp/duku510/entry-11970249746.html  

【スサノオはシュメール出身なのか?】

【あの有名な竹内文章にも書かれて居ます】

竹内睦秦氏によると、シュメールの最大の都の名は「スサ」と呼ばれ、その「スサ」の王をスサノオと呼んだ。

 スサノオは政治軍事を司る王として君臨し、後にこの政治・軍事グループは出雲族となる。

~以上~

 

後はヤタガラスの流れを見てもそれはわかりますよね?

【蘇民将来と八咫烏】

下鴨神社の祭神タケツノミです。

タケツノミの祖はスサノオ。

スサノオを祀る八坂神社の祇園祭や、下鴨・上賀茂の葵祭を大々的に行なっている。

秦氏自体がこちらの方面から日本に来ていますからね。

つまりは、蘇民将来(スサノオ)=スサの王という事でしょうね

~以上~

【シュメールの実体】

 さて、シュメールでスサという都市ははたして実際にあったのだろうか?

 シュメールに隣接した所、メソポタミアの東に昔エラム帝国があった。

 エラム(Elam)は古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前4000年紀半ばから紀元前6世紀までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。

 そのエラム帝国の代表的な都が[[アンシャン]]と[[スサ]]である。

 そしてエラムの王は[[アンシャンとスサの王]]と称したそうだ。だから、竹内文献のスサの王、スサノオは実在したことになり、史実と正当武内文献とが符合しているんです。

日本から見ればシュメールの地も隣接するエラムも区別できないだろうからである。

上記のツイートや、竹内文章を踏まえて比定していくと・・・・

日本のスサノオとシュメールのスサの王(アレキサンダー大王)の物語は以下の様に考えられる事になるでしょう。


【スサノオ=アレキサンダー大王だとしたら?】

騎馬民族征服王朝説=アレキサンダー大王東方征服

スサノオ(出雲族)が、スサの王アレキサンダー大王(大和族)によって

征服された勝者側の歴史=神武天皇東方征服と繋がりました。

アレキサンダー大王東征と、神武天皇東征の共通点を見てみると・・

【カラスという共通項】

●アレキサンダー大王が、ファラオに即位する為にアモン神殿に向かう途中、道に迷いますが

カラスの導きで無事辿り着き即位します

●神武天皇も同じく、カラスの導きで畿内に上陸して後に初代天皇に即位しています(カラス=ヤタガラス)

【戦いの前の変装とお酒】

●神武天皇が大和の宇陀にやってきた時、敵地の土で御神酒を入れる瓶を作って神々を祀れば、敵が降伏するという夢を見ます。 

  これに従い、部下に変装させ、敵地から土をもってこさせ御神酒の瓶を作ったところ、見事、敵を倒す事に成功。

●アレキサンダー大王がペルシャとの戦いの前日アレキサンダー大王が同様の夢を見

 お告げ通り大王は変装して敵地に潜入し、こっそり酒杯を盗んできます。

これによってアレキサンダー大王はペルシャ軍を撃破することに成功。

~以上~

上に書いたものはほんの一例にしか過ぎず・・・・

この様に日本神話の謎解きをしていくと

神話の登場人物のほとんどが繋がっていくようです。