7月9日裁判傍聴
2019年7月9日(火曜日)午前10時から、霞ヶ関東京地方裁判所709号法廷で、元文科省次官小野元之氏理事と学校法人城西大学を被告、水田宗子理事長を原告とする裁判があり、水田先生を支援する多くの人(大学院生、卒業生、同僚)と共に傍聴した。(水田先生を支援する人で709号法廷の傍聴席の大部分は占められた)。
それに対し被告側は、小野理事と、その日の証言に立った杉林城西国際大学学長、元文科省審議官北村幸久(2016年11月30日当時の水田理事長室長でありながら、小野の理事会内部工作を水田理事長に秘し、その日のうちに小野によって事務局長に「大抜擢」された)事務局長、同じく、11月30日に経理部長に抜擢された藤井慎一氏、また、水田理事長解任に反対した当時の石田益実理事のゼミ卒業生であり、今は篠崎事務局次長(11月30日当時は水田理事長の個人秘書であったが、小野によって事務局次長に抜擢された)のもとで働いている修行達也氏、それに一度は城西大学を辞めたが、東北大学から北村によって城西大学に戻り、組合団交の席上大学側の一員として出席しながら何一つ発言しなかった東(ひがし)氏だけであった。彼らは、ぴたっと寄り添いあって座り、裁判の間、ずっと水田先生を支援する私たちとは目を合わせないように座り、落ち着かない様子で腕時計を見たり、腕組みをして目を閉じたじたりしていた。
2016年11月30日に開催された学校法人城西大学理事会において、小野理事が寄付行為に反して突然の緊急動議を出し、水田理事長を解任したことに始まる数々の水田理事長を排除する行為が不法であるとして、水田理事長が小野理事と学校法人城西大学を訴えているのである。一年以上、双方からの主張と客観的な証拠提出がなされた後、7月9日に証人尋問がなされたのである。
被告側の証人として杉林学長が出廷したが、聞いていると数々の事実誤認の証言をしていた。たとえば水田理事長がゼミの不開講を新年度になってから通知されたこと(担当教員に対するゼミ不開講の通知が大幅に遅れるだけでも常識的にあり得ない不自然な対応であり、これだけでも、突如独断で決定されたことを推定させるのに十分ではないだろうか。)それを新年度になって突如として通知した杉林学長は次のように証言した。すでに2月や3月に水田理事長をゼミ(博士論文指導)担当を外そうと考えていたが、3月末まで学長であった柳澤伯夫学長にはそのことを伝えなかった。自分(杉林)が学長に就任した4月になってから、自分と小野理事長代理の名前で水田先生に授業を受け持たせないという通知を出した。しかし、ゼミ履修生である院生にはそれを伝えなかった、と。
このような説明で納得する人がいるとは思えない。不開講を決めたのであれば、担当教員およびその担当教員による論文指導を希望する学生にまずその理由を告げ、論文指導で院生に不利益の及ばないよう十分な協議を行うことを当然要求すべきである。杉林学長のこの発言は、文科省の事務次官まで務めた小野理事にとって水田理事長のゼミ生たちなどとるに足らない存在であり、学生たちの被る不利益など微塵も考慮されていないことを明らかにしている。公開法廷の場で、学生や院生を大切にせず、学長のポジションがあれば何でも判断決定できるかのような態度を示したことは酷い。一番不利益を被る学生たちの指導教員のことをなぜ自分の学長就任まで待って通知を出す必要があったのか。
学生への対応が後手後手になっている事実からみても、3月中までは水田理事長のゼミの不開講を決めておらず、4月になって突如として決めたと考えるのが自然であろう。
すなわち、小野理事が4月1日に水田先生が提訴した名誉棄損の訴状を受け取ってから、報復として水田先生とそのゼミ生、また支援する教職員たちの排斥を始めたからではないのか。
また、杉林学長はわれわれが耳を疑うような証言を次のようにした。「城西の卒業生で他に就職することのできない者を水田先生は大学で雇った」
明らかに事実に反するだけでなく、自らが学長を務める大学の卒業生と職員を侮辱する発言を公開法廷で行ったのである。水田先生の専門とする人文科学、特に女性学の専門性においては学長の理解は限られており、あるいは無きに等しい、さらに人文系の博士論文がどのように評価されるかも知らず、人文系の教員・研究者び採用基準に精通してもおらず、さらに、自分がどの卒業生のことを言っているのかさえ具体的に述べることもせず、さも資格のない卒業生を水田理事長が縁故採用したかのような発言である。客観的な証拠を示すことなく、自分の大学の教職員と学生を公開法廷で平然と侮辱し、大学への信頼を低下させる発言をする杉林学長の学長としての品格に疑問を持った。
もっとも、大学と卒業生を侮辱する発言をした後、杉林学長は原告代理人の大室弁護士の追求を受けた。詳細は尋問記録を裁判所でで閲覧いただきたいが、大室弁護士からの問いに的確に答えることができなくなっていく過程で、杉林学長が肩をがくんと落とし、うつむいて身を小さくしていたのが非常に印象的であった。あたかもじぶんの証言が理屈に合わないと気付いている様子であるかのように思われた。
この間、小野理事は、喉が渇くのか舌を何回もぺろぺろと出して唇をなめたり、頬をふくらませたりすぼめたり、落ち着かない様子であったのが印象的であった。時々横に座っている大学側の弁護士の女性に向かって笑ったりしていたが、大学と卒業生を侮辱する学長の発言をききながら、よく笑っていられると呆れるばかりであった。
午後になり小野理事の証言が始まった。水田理事長の名前に言及する時は、「認知症」「パワハラ」「セクハラ」「カラ出張」「ワンマン」「独裁者」「でたらめ経営」など11月30日の理事会で自分が使った侮辱的表現を何回も繰り返す、呆れるほどの品のなさであった。公開の裁判の証言において、このように侮蔑的発言を繰り返すことは、印象操作をして裁判のプロセスを馬鹿にするものではないかと憤りを感じた。
これまで水田先生の指導による博士課程の院生に対して非常に冷たい対応をしていた小野理事は、その一人であるRさんについては、次のような驚くべき発言をしている。「Rさんは、私は良く知っていましたから、Rさんだけには、何とかして博士号を出したいと思っていました」と平然と述べたのである。これは私だけでなく、傍聴席にいた院生たちにも非常にショックを与えた。
「Rさんは良く知っているから、学位をあげたいと思った」とは、大学理事として全く不適切な発言である。学位は客観的な基準によって授与されるものであり、「良く知っているから学位をあげたい」など、教育者としてそのような発言は許されるものではない。
そのような考えを平然と述べ、学生たちの希望する水田先生のゼミの不開講を一方的に決め、不公正な依怙贔屓をする小野理事こそ文字通りの「独裁者」であろう。
また、ゼミ生の一人が50歳代、もう一人が60歳であることに言及し「博士号は20代30代に取らなければ、社会的貢献をする時間がないから、IさんとMさんには学位を出さない」という発言もあった。これは明らかに年齢差別であり、誰に対しても学問の自由を保障する憲法の精神すら小野氏が理解できていないことを端的に示すものである。すでに高齢の域に達している自らを否定するものだろう。もしそう考えているなら即座に辞職すべきではないだろうか。自分だけは高齢でも、高額の報酬を大学から受領しながら、「貢献」しているのか?
人生100年の時代と言われている中で、幾つになっても改めて学問に取り組み、チャレンジする姿に勇気づけられる者も生まれよう。小野理事のように功利的な発想ではなく、純粋に学問に好奇心を持つ者が増える社会の実現に「貢献」するものではないか。
さらに、いつでも誰でも学びたいものに学べる環境を提供することこそが「大学の役割」ではないのか。自らの年齢を棚上げし、このような年齢差別発言をする小野理事の見識の無さに改めて憤りを感じた。
博士論文の完成の見通しを不透明にし、学生たちを不安と窮地に追い込み、指導教員や研究テーマの一方的な変更に応じさせようとした大学は、教育者にあるまじき思い違いをしている。そもそも、博士論文の指導教員、研究テーマは簡単に変更できるものではない。過去、現在、未来の長年に亘って共同研究をする仲間であるからだ。それを大学の都合で突如変更し、大学の指定する教授の下で論文を完成せねばならず、その教授が同じ分野を専門としない場合であれば、学生にとってはまさに悲劇である。その学生の払う授業料で、こうした運営が強硬に運ばれるのなら、学生にとっては悲劇どころではない。
自称理事長代理(未登記)として小野理事を迎えた城西大学は、水田先生を支援し一緒に女性学を教えてきた教員の多くを雇止めにしようとした。その裏には、こうした女性高齢者への嫌悪がうかがえる。多くの男性高齢者で構成される理事会が、こうした決定をしを学生の希望も状況も無視したゴリ押しをしようとする時、その思いはさらに強まる。教員としては高齢者は役立たないが理事なら役立てるのか。それにはっきりと回答できる理事に団交でも出会ったことがない。彼らに都合の良い体制であることは良くわかるが、水田理事長の体制から現体制に変わってから大学の経営は良くなったのか。水田理事長時代の大学の財政状態が私立大学の中でかなり上位に位置するものであったことは『東洋経済』誌などによっても良く知られていることである。
雇止めにあった教員のほとんどは、立場の弱い外国人、高齢者では女性が多い。こうした大学理事会による不当差別の被害にあった教職員は組合を結成し17回も団交を重ねて闘ってきた。今も闘争は続いている。自分たちのためだけでない、安心して働ける職場環境の向上と、理事会の不見識で不利益を被っている留学生たちのためにも闘争は続けているのである。
なお、最後に、小野理事が単純な事実誤認の証言をし、それを指摘されても素直に訂正しなかったことを指摘しておく。
「水田宗子奨学金」という奨学金から「水田宗子」という名前を除き、奨学金の名前を変更した理由を聞かれて、「詳しく調べたところ、水田先生が寄附したのは、わずか7,000円だけだった」と小野氏は証言した。すかさず大室弁護士が一枚の領収書を見せ、「大学はこの6,000,000円の寄附金の領収書を水田先生に出している。この印鑑は、大学の正式な印鑑ですね」と追及されるや、「詳しくは調べていないので、わかりません」と証言した。
詳しく調べもしないですでに創設され、授与された者が存在する奨学金の名称をあっさり変更してしまう「理事」には「開いた口がふさがらない」の一言であった。
このような理事が、水田理事長を「でたらめ経営」の印象論で解任し、城西大学は現在に至っていることを、改めてわれわれは認識するべきである。
以上7月9日の尋問を傍聴した報告をする。(和智綏子)