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第1幕≪僻地の天使≫

2018.07.14 14:53

第一幕

≪僻地の天使-The Boondock Angel-≫



朝、目覚めると、街にサーカスがやってきていた。


街の人々は風の噂で聞いたことあった。


太陽と共に現れ、翌日の朝陽が登る前に消えてしまうという、一晩で街に「幸福」を呼ぶ移動サーカスがあると。


皆そろってそんなもの存在しない。真っ赤な嘘だと思っていた。


フェイクニュースとか、都市伝説だと思っていた。


でも、本当にあった!


地図に名前も載らない、ちいさな街にサーカスがやってきた!


派手で目立つ大きな城のようなサーカステント。


その入り口で長身の男が客をもてなしていた。


孔雀の羽根がついたシルクハット。肩までかかるプラチナブロンド。派手な色の燕尾服。その襟元にはよく光る偽物の宝石。それよりもっと派手で煌びやかな舞踏会用のマスク。

彼こそは、このサーカスの団長。誰も素顔と本当の名前を知らない。


マスクの団長はお客に語りかける。


「よってらっしゃいみてらっしゃい。楽しいサーカスがやってきました。家族みんなで。恋人と二人で。もちろんお一人の方も。どうぞ、どうぞ、いらっしゃい。お代は一切いただきません。」


人々からこぼれる笑顔と笑い声。


小さな子供も、杖をついた老人も、サーカステントに吸い込まれる。


全てのお客の目当ては、楽しい道化師でも、スリリングな猛獣芸でも、珍しい獣人のエクストリームでもない。


「アル」という1人のパフォーマーだ。


ナイフ投げも。綱渡りも。空中ブランコも。

一目見ただけで観客を魅了する長い長い赤髪と、人形の様に整った微笑みで、どんな危険な演目もこなしてしまうという美女だという。


(みんな彼女を見て時間と現実を忘れたいのだ。)


もう間もなく開演するであろう頃、不釣り合いな黒い服の神父がひとり現れた。


夜の闇より黒い黒。そこに刻まれた印。


眼鏡の奥の鋭い眼光と、一切緩まない口元が圧を放つ。


何よりも異様なのは、長袖から出ている彼の両手が鈍く光る鉄製の義手だということ。

テントに入る訳でもなく、影のようにひっそりと神父は佇むだけ。


街の人々は黒衣の聖職者を見て見ぬ振りをして足速にテントに入って行く。


お客が全て入場した事を確認すると団長は入り口を閉めた。



そして、黒衣の神父に話しかけた。


「なにか貴方のお役にたてますか?」


(仮面からのぞく団長の目つきが鋭く変わっている。)


黒衣の聖職者は何も言わず、ハサミのようになった金属の右手で、服と同じ刻印のついた封筒を差し出すのだった。



楽しい一日は早く終わってしまう。


すっかり日がくれて、もう真夜中になるというのにひとつだけ明るい家があった。


この小さな街に一軒だけある、金持ちの屋敷だ。奴の家は誰が見ても金持ちとわかる趣味の悪いやたら大きな屋敷。主である男はたった一人で、わかりやすい金ピカの調度品に囲まれ暮らしている。


この男の財産。それは汚い金。


でも、だれもそれを口にできない。


逆らうとどうなるのか、皆知っている。


だから、何があろうと。何をされようと。


誰も何も言わない。言えないのだ。


男は昼間見たサーカスの余韻に浸りながらワインを嗜み、レコードをかけていた。次のワインに、手をかけようとした時である。


ふっ。


と、頬に風を感じた。


次の瞬間、屋敷が揺れるほど激しい音が轟いた。


「なんだ!?」


まるで落雷かのようにビリビリとする残響。


上がる心拍数。


音がした方へ向かうと、ガラス製の大きなシャンデリアが落下していた。


「………事故か…?」


みるも無残なシャンデリアと下敷きになった数々の美術品。壊れても輝きを放つ破片があちこちに散らばる。


落胆と驚愕。


あまりに突然の事で心臓が痛み、体じゅうが震える。一歩一歩、歩むごとに足の下で割れたクリスタルが粉々になる。


落下したシャンデリアに気を取られていると、背中側から灯りが消えていく。


前も、後ろも、右も、左も。広い部屋があっという間に暗闇になった。


明かりは月あかりだけ。


必死で闇に目を凝らす。一体なにが起きているかわからない。


静寂で耳が痛い。


「誰かいるのか!?」


いや、この質問はおかしい。


必ずこの家には誰かがいるはずだ。


使用人・メイド・料理人・庭師…必ず誰かがいるはずなのに。


なぜ。今。誰もここに居ない?


「!」


暗闇に目を凝らすと、そこに人が立っていた事に気づいた。


全く気配を感じさせず、いつからそこに立っていたかわからない。


しかし、その姿には見覚えがある。


一目見たら忘れられない長い長い赤髪と、人形の様に整った顔立ちの女性。


まさしくその姿は、昼間に見たサーカスのそれであった。


しかし、何もかもが昼とは違う。


場の空気はヒリヒリするような敵意に支配され。


ガラス玉のような瞳には、一切の躊躇いのない、純粋な殺意が溢れていた。


本能で命乞いをしても無駄だと察知する。


全身の毛が逆立ち、冷や汗が滲み出る。


体が動かない。


声が出ない。


喉を空気がうまく通らない。


声が出ない。


恐ろしい。


この場所から逃げたい。


(しかし、逃げ切れるとは思えない。)


生きた人間とは思えない強烈な殺気。


狂気にあてられてしまわぬよう、

ずるり、ずるりとわずかに後ずさるので精一杯。


唇まで震えているのがわかる。


震えで歯がぶつかる。


喉から絞り出した音が途切れる。


「お前は………いったい……なんなんだ…」


殺意の人影は静かに口を開く。


ーーー「私は…」


地面から地響きがする。


いや、違う。これは。


耳の奥から響く自分の心臓の音。



ーーー「貴方の敵」



刹那、窓ガラスを突き破って何かが男を掴み窓の外へ、二階から一階の中庭まで引きづり落とそうと引っ張る。


(外に!もう一人いる!)


落とされまいと壁や床に爪をたてた。爪は割れ血が滲み、体じゅうにガラスが突き刺さりボロボロになりながらも、男は落とされまいとわずかな隙間に指を引っ掛け歯を食いしばり抵抗した。


赤髪の女は眉一つ動かさず、ゆっくりとした優雅な仕草でそれをみる。


と、男の指を鉄の靴底で強引に叩き潰した。

指を失った男は悲鳴と共に中庭に落下した。

全身から激痛。


一瞬、心臓が止まる。


しかし、死にはしなかった。


痛みと苦しみで目があかな男に追い討ちをかけるように、誰かが男の顔を蹴り上げた。


「こっちは散々待ったんだ。簡単に死ぬんじゃねーよ。コッチ見ろ。」


イラつきを隠せない声の方をみる。


月に照らされたのは、夜の闇より黒い黒。


そこに刻まれた印。


眼鏡の奥の鋭い眼光。


両手の鈍く光る鉄製の義手の異様さ。


それは、昼間サーカスに来ていた両手義手の聖職者。


ソイツがここに居る理由に気づき男の顔から血の気が引く。


「…私がここに居るワケがわかってるようだな。手っ取り早くていい。」


神父は男を引きづりおろした、先が手のように開く蛇腹剣を真っ直ぐに戻し、祈りを唱え出す。


「罪は両手からやってくる。

悪に染まったその手を失い懺悔しろ。

何も掴めず、一人で何もできず、

無力の苦しみと深い絶望を味わうがいい。」


祈りが終わる前に男は逃げようと足掻いた。


それに気づいた赤髪は二階から飛び降り、男を逃がさないように踏みつける。


神父はそれを見て笑う。


「主の祝福を得て汝を断罪する。

血の河は流れ、魂の穢れ浄められんことを。

父と子と聖霊の……御名において。」


神父は剣を振りおろし、男の両腕を切断した。


悲鳴と怒号と唸り声をあげて男が暴れる。


両腕を無くしてうまく動けない様子だ。


あたり一面に血が飛び散る。


返り血は神父の顔まで届き、眼鏡のレンズを汚した。


「ずらかるぞ。」


眼鏡を拭きながら歩き出す神父に赤髪がついて行く。


ひいひいと息を乱しながら腕を無くした男が、泣き喚きながら助けてくれと、必死に訴えかけてくる。両腕が無いのでうまく立ち上がれず、ズルズルと地面を這う。


神父はおもむろに指の潰れた腕を拾い上げると、庭に植えられた植木の中へ、おもいきり投げ捨てた。


神父は男に冷たく言い放つ。


「お前みたいな悪人、誰が助けるかよ。」




翌日、サーカスは跡形もなく消え去っていた。


残ったのは思い出と幸せな気持ち。


街はまだなお、サーカスの余韻に浸っていた。


おかしな事に、街一番の大金持ちの噂は一切聞こえない。


だれもそれを口にしない。


彼が何者かに襲われた事を、

誰かが知っていてもおかしくないというのに。


彼に何があったか。彼が何をされたか。


誰も何も言わない。


言わないのだった。



街から離れた土地にサーカス一座の乗り物が、数台連なって停泊していた。


昼間、それらは奇妙な城のようでとても好奇心をくすぐるデザインに見えるのだが、日が暮れるとそのシルエットは小さな要塞のような圧を放つ。視線にはいるだけで恐怖を感じる程のプレッシャーだ。


深夜。要塞と化したそれに一台のバイクがやってきた。


要塞は深夜の客人を招き入れる為に大きく口を開け、バイクごと客人を飲み込んだ。


エンジンを切り、ヘルメットを外す。


客人はあの、両手が義手の神父だった。


「よう。おつかれ。狭いけど座ってくれ。良いワインあけてやるよ。」


団長が先日と打って変わって砕けた話し方をする。団長を見た神父は呆れた声を出す。


「仕事がなくてもマスクしてるのか、お前は?」


「お前が利き手を、わざと二本指にしてるワケとだいたい同じだよ。」


ポン!と、心地よい音を立ててワインがあいた。


ワインをグラスに注ぎながら「うまくいったのか?」と団長が尋ねると神父は「本当はぶち殺したかった。」と、吐き捨てる。


「横領、搾取、人身売買、売春…わかってるだけで反吐が出る程の悪人だった。でも、奴は髪の毛はないが頭がきれる。この数年間かなり手を焼いた……。お前と"アルトラ"の協力無くてはこうはいかなかっただろう。恩にきるよ。」


観客を魅了する長い長い赤髪と、人形の様に整った顔立ち。


どんな危険な演目もこなしてしまうという美女。


サーカスの花形、アル。


その、本当の名前はULTRA VIOLENCE(超暴力)。


心を持たない、暗殺人形ーーー


団長は神父へワイングラスを掲げる。


「俺たちの出会いに。」


神父もそれに応えてグラスを掲げる。


「私たちの未来に。」


ーーー「乾杯。」


アルトラは、普段のサーカスと同じように優雅に深々とお辞儀をする。


「いつでもご依頼下さい。我々は「幸福のサーカス」人々の幸せが私の幸せ。」


私はあなたの敵。
でも、誰かの友達かもしれない。
運命は多様性。
お前はどこの歯車だ。