恐怖のインフルエンザ体験
香港の写真はフィルムカメラ時代のことで無いんです
東京にいた頃に撮った梅の写真で勘弁してください
インフルエンザが蔓延しています。気をつけて、絶対に罹患しないようにしましょう。
わたしは一度だけ、ひどいインフルエンザに罹りました。そのときの思い出を記します。
それはまだ返還前の香港に旅行したときのことです。
実は当時、ある男性と一緒に暮らしていていました(わたしにもそういう時代があったのです)。
練馬の光が丘というところに住んでいて、近所にたくさんテニス仲間の友人がいて、幸せでした。
そんなテニス仲間に新婚夫婦がいて、カップル2組での楽しい旅行でした。
わたしはいわゆるパックになった観光旅行というのをしたことがなかったため、友人夫婦の旦那のほうがアレンジしてくれたこのパッケージ・ツアーがとても新鮮でした。
ツアーといってもバスでの市内観光参加は希望者のみでしたし、初めての香港旅行基礎編みたいなところを押さえているので、友人夫婦もお金をかけずに基礎編を回ってみたいというので、それなりに満足でした。
たった2泊3日の旅行でしたが、やりたいことは競馬を除いて全部できました。
香港競馬場にはぜひ行ってみたかったのですが、レースの開催時期ではなかったのです。
路地を歩きまくり、日本円にして1杯80円ぐらいの安くて美味しい麺料理などを地元の人と一緒に食べ、4人揃って大好物のマンゴー・プリンが安くて美味しい店を見つけて毎日通い、足つぼマッサージに絶叫し、最終日の夜はちょっと豪華に香港島のホテルのちょっと高級な感じのレストランで夜景を楽しみながらフカヒレ料理を堪能しました。
その翌日、いよいよ帰国というときのことでした。
11月ながら暖かい香港にいながら、わたしは「寒い」と感じていました。空港へ向かうバスの中でも寒くてエアコンが我慢できず、しきりに吹き出し口の角度を調節して冷風に当たらないようにしていたのを覚えています。
空港に着くと急にだるくなり、彼氏に薬局で風邪薬を買って来て欲しいと頼みました。わたしだけがロビーの椅子で丸くなり、残りの3人は元気に免税店などを冷やかしに行っていました。
風邪薬を飲んでも悪寒は止まず、だるさに加えて、頭痛も始まりました。搭乗して待っているあいだ、アテンダントのお姉さんが心配して体温計を持ってきてくれました。計ると38.5度の熱。ほぼ満席でしたが、予備のために空けてあった後方の席3つに横にならせてもらいました。
日本の航空会社のフライトだったと思います。アテンダントは全員日本人でした。途中、気流が悪くて、飛行機は激しく揺れましたが、その時点ですでにひどい頭痛と高熱にうなされ、飛行機が揺れてるのか、自分がフラフラしているのか、よくわからない感じでした。心配して何回か様子を見に来た彼氏に、「お金はわたしが出すから、成田からタクシーで帰りたい。ケンちゃんたちにそう言ってくれる?」と頼みました。成田の空港から練馬まで、来たときと同じように京成線と山手線を乗り継いでなんて、もはやぜったい無理。そんなことができるとは考えられないほどの頭痛とだるさでした。
「香港からの帰りで高熱が出ていると言ったら、ぜったい検閲で止められます。おうちに帰りたかったら、なんとか入国審査のところではふつうのフリをしてください」
アテンダントのお姉さんがそう言ってくれました。たしかにそうだ。ぜったい、怪しい伝染病の何かだと思われるに決まっている。頷いたときのわたしはきっと必死の形相だったと思います。
そのすぐあと、また彼氏が来たのですが、そのときの彼の言葉にびっくり仰天したのです。
「ケンちゃんたちと相談した。成田からタクシーで帰ろう。大丈夫だよ、ワリカンにしようってことになったから。実はミワちゃんも熱を出したんだ。あっちで横になってる」
着陸して飛行機を降りると、まるで空中を歩いているような浮揚感がありました。
熱が高いときのアレです。友だちのミワちゃんも同じようにフラフラ歩いていました。ショルダーバッグさえ持つことができず、男たちに任せました。耐えていた気持ち悪さがピークになり、空港のトイレに駆けこんで吐きました。それから壁のそばを寄りかかりそうになりながらフラフラ歩き、パスポートを握りしめて、精一杯なんでもないフリをしつつ無事に検閲もクリア。高熱で赤い顔をしていたと思いますが、幸い、何も言われませんでした。
男たちが駆け回ってワゴン車タイプのタクシーを探して来てくれました。4人分のスーツケースやお土産などの荷物を積み込み、夜の高速道路をひた走るタクシーの車中、わたしたちは全員無言でした。ところが、早稲田のあたりで事故渋滞。ノロノロした動きになった途端、頭の痛いのと気持ちが悪いのが悪化したようになり、「お願い・・・」とつぶやいていました。渋滞は永遠に解消しないように思われ、タクシーの旅がものすごく長く感じました。先に友人夫婦が降りたので、とりあえずわたしたちがタクシー代を立て替えておくことになったのですが、なんと約4万円。1杯80円のラーメン食べたりして滞在そのものは相当安く上がっていたのに、帰国してからとんでもない贅沢をしました。
転げこむように家に入ってすぐ、彼氏が体温計を持ってきました。壁を背にしてぐったり座りこみ、体温計を脇に挟んだのですが、いつまで経ってもピピピッと鳴りません。彼が恐ろしがり、「もういいよ」と言って体温を確かめてくれたのですが、なんと41度。あわてて救急病院へ行こうということになり、テニス用のグラウンドコートにくるまれて、またタクシーを飛ばしました。そのときまでに何回か嘔吐を繰り返しました。下痢もしていました。
病院の待合室の長椅子に横になって番を待っていると、ガタガタと音を立てて入り口から友人夫婦が入って来ました。彼女は毛布にくるまれ、明らかにわたしと同じ状態でした。病院の待合室で再び集合した4人は、診察のあと一緒に医師に呼ばれ、女ふたりがまったく同じ症状であること、男ふたりはまったく元気であることなどを指摘されました。
「女同士でこっそり何か特別なものでも食べたんじゃないの?」
医師がそう冗談を言い、看護師さんが笑いました。そう思われても仕方ないのですが、笑う元気などあるわけがありません。肛門から入れるタイプの解熱剤をもらい、翌日改めて内科を受診して検査を受けるようにと言われました。その夜は高熱と頭痛にうなされ、全身の関節が痛み、胃も腸も完全に空っぽになったと思うほど、一晩中下痢と嘔吐を繰り返しました。回復してもしばらくは香港の話題が出るだけで気分が悪くなりそうで、「チムシャーツイ」とか、よく歩きまわって馴染みが深くなった地名などを聞いただけで頭が痛くなるような気さえしました。
結局、それがインフルエンザだったのです。さすがは香港。本場のウイルスはやっぱり強力だった、ってことでしょうか。点滴されて少しまともになり、自力で通院ができるまでに回復しましたが、当時はまだ現在のような機能性の高い使い捨てマスクは病院にしかなく、「マスクする生活」は徹底できませんでした。よく旦那たちにうつらなかったと、今でも不思議なほどです。
では、なぜ男たちにはうつらなかったのか。
問題はそこです。インフルエンザに倒れた女ふたりに共通していて、無事だった男たちに共通していたこと、それはわたしと友人は旅先で便秘しちゃっていたのに対し、男たちは旅行中もまったくそんなことなく快食快便だったという点です。今は「免疫力のツボは腸にある」という事実は周知のこととなり、乳酸菌の摂取がインフルエンザの予防になることがあちこちで謳われていますが、それは本当です。
とにかく、便秘しちゃダメ。便秘しない生活リズムの維持には、インフルエンザ流行中の今、ただそれだけ以上の意味があります。