薔薇の季節
これが「希望」です
偶然の産物ながら、光線が完璧でした
元気にしてくれる花たちです
相変わらずバタバタと東奔西走しているあいだに季節は移り、今ふたたびバラの季節となりました。
昔、「薔薇」っていう字を書ける人っていいなみたいなCMがあったような気がしますが。何でしたっけ?お醤油?(「醤油」もなかなか書ける字ではありませんが(苦笑))。その頃、暇なときに「薔薇」を懸命に練習したこともあったな。でも結局、身に付かなかった。ネット社会の悪弊ですね。勝手に変換してくれるから。
静岡がんセンターに「仕事で」通うようになって1年以上が経ちました。「仕事で」ってはっきり言わないと、世間では「がんセンターに通っている」は禁句に近いことも学びました。そりゃ、そうだ。「仕事で」を言わないと、みんな一様に複雑な、困ったような表情になって、「そうなの?」って微妙な返事をするんです。ごめんね、迂闊で(「迂闊」も書けないな〜笑)
難しい漢字ではなく、バラの話でした。
ここのバラ園に親しむようになるまで、正直言って、バラがこんなに香りの強い花だとは知りませんでした。扉を開けて一歩踏み出すだけで、あるいは風下に立つだけで、ふわ〜っと何とも言えない芳香に包まれます。種類によってはまったく香りがないですし、香りが強い種類でも、ちょっとスパイシーな香り、上品な香り、あでやかに甘い香り、いろいろです。朝、ちょっと早めに家を出て、バラ園でゆっくり過ごすようにしています。写真を撮ったり、ひとつひとつ香りを確かめたり。いろいろやることいっぱい。
いろんなバラが咲き誇っていますが、「希望」と名付けられたバラがあります。
赤とオレンジが混ざったような、とても華やかで明るい大輪の花です。静岡がんセンターに「希望」が花開くことには、とても意味があるように思えるのです。ここに来る患者さんたちはみんな懸命なわけで、あるいは必死なわけで、迎える先生方もそれはもう日々壮絶に闘っています。来る方にとってはもちろん、迎える方にとっても、ここでは静かな死闘が繰り広げられている。だから、そこには「希望」がなくてはなりません。闘いの先には、明るく「希望」が輝いてなければいけません。
実を言うと、日々患者さんたちとすれ違うわけですが、いつも心の中で「負けるな」と声をかけています。「頑張れ」はダメです。もう十分頑張っている方々なので、それ以上を励ますわけにはいかない。声をかけるとしたら「負けるな」しかないんです。負けるな、負けるな。そう心の中で唱えながら仕事しています。
昨日の朝、バラ園で出会った女性の患者さんは放射線治療を受けに通っているとおっしゃっていました。
きっと髪が抜けてしまったのでしょう、ニットの帽子を目深にかぶり、マスクをしておいででしたが、その声は驚くほど元気で、気力に満ちていました。
「ここはいいわねえ。癒されるわねえ。いっぱい咲いてて、嬉しいわねえ」
繰り返し、そうおっしゃっていました。
静岡がんセンターのバラ園には、いっぱい咲いて、馥郁と香り立つ使命がある。それを実感しました。命の限り見事に咲く「希望」がある。まぶしいほどあでやかに、すっくと立っている。
それが闘う人たちの気持ちを支えています。
「薔薇」の書きかたは忘れましたが、「希望」は書けます。良かった。