子犬との暮らし
昨年末、唐突にミニチュアダックスフンドの子犬(メス)と暮らすようになりました。
これがうちに来たばかりのころの「みんみん」です。
買い物の途中でぶらっとペットショップに立ち寄り、みんみんと出会いました。どうして犬と暮らすことにしようなどと思い立ったのか、正直言って、自分でもよくわからないのです。寂しかったから?そうでもない。今は研究所で仕事をしていて、いつもまわりに仲間がいます。ひとりで仕事をしていた以前のほうが、ずっと寂しかったはず。犬が好きだから?そうでもない。嫌いではありませんが、最近はマイペースな猫に共感していました。「みんみん」が特別に可愛いかったから?それは少しある。ちっちゃい茶色の子犬を抱かせてもらった瞬間、その体温のあたたかさと潤んだ瞳にちょっとヤラレた感じはありました。
ちなみに、顔だけでなく、うなじがすごく可愛いです。
ペットショップで即断したわけではなく、「しばらく考えさせてくれ」と行ってその場を去りました。でも、店に戻った。その時点で完全に頭は「犬を暮らそう」に切り替わっていました。覚悟は?う〜む、若干、中途半端だったと思う。犬と暮らすということがどれほど大変か、その見込みは甘いものでした。
犬と暮らして2週間強の現在、「しつけ」をしはじめて早くも壁にぶつかりました。手やセーターを咬む、床やラグの上で粗相をする、かまって欲しいと吠えて訴える。それらの行動を「いけない」と教えるのは大変です。最初は「まだ子犬だから」と大目に見ていました。でも、どんどん成長していく姿を見て、脳が育っていく今こそしつけるべきではないかと考えを改めました。
子犬にとって、今の時期は「生きるとは我慢すること」を知るプロセスのようです。本能のままに好き勝手していてはいけないということを、今たくさん学習しています。もっとも学習するのは人間も同じですけど。つまり、犬と暮らす限りは、自分も好き勝手しているわけにはいかないということ。思えば、これまで自分のことばかり考えて生きてきたような気がします。自分のことでも精一杯なのに、もうひとつの無力な命を引き受けていいのだろうか。そこまで考えるべきだったかもしれません。子どもがいないのだから、せめて子犬ぐらいは育てられるようでなくてはいけないのではないか。親の面倒を見る前に、おまえも身勝手を我慢して生きることを学んでおけ。犬との暮らしは、そういう啓示なのでしょうか。
みんみんのために、今年に入ってからずっと朝は6時の暗いうちに起床し、出かけるまでたっぷり時間をとるようにしています。自分の朝食より前にエサをやり、トイレをさせ、少し遊んでやる。早めに出勤して仕事する代わりに残業はしないようにし、帰宅したらまたすぐエサにトイレ……。散歩に出て外でさせたらいい?そうなんです。そうしたい。でも、これがまたうまくいかない。
みんみんとの散歩については、また別の機会に。これがもう大変で、大変で。
可愛いんだけど、たまに「この小悪魔!」と呼んだりしています。