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玲子のカルペディエム

何があってもめでたきは

2012.01.05 11:43

あけましておめでとうございます。
世間にはその挨拶さえ憚る人々がたくさんいました。現に、今年の年賀状を見ると、この挨拶を避けられた方が何人もいらっしゃいました。それほど昨年は日本人にとって辛い年でした。
それでも、正月は身辺を清らかにして新しい日々の始まりを寿ぐときです。大きな喪失感に打ちのめされてもなお、やはり年は改まり、神さまに前へ進むことを誓い、守っていただけるよう祈らなくてはならない。日本の正月とはそうしたものだと思います。はしゃいだお笑いが正月をめでたくするのではなく、もっと凛とした清冽な祝いの精神がそこにはあります。だから、どんなことがあろうと、めでたいと、おめでとうと、いっていいのだと信じています。

日本人にとって、めでたさといえば富士がいちばん。



これは1月2日に実家の裏手から撮りました。
元旦の早朝に東名高速を飛ばして帰省したとき、青空に雪化粧の頂がそびえる見事な富士山に迎えられたのですが、写真はあと回しにしてお雑煮をもらっているあいだに雲が出てしまい…。やはり「撮りたいとき」に躊躇は禁物、と元旦早々大いに反省。



これは前にも撮影したポイント、かつて土手があった実家の西側の塀にカメラを置いて撮った富士山。
やっぱり、この実家の西側に見える富士山こそが「わたしの富士山」であって、ビルやマンションに視界がさえぎられるようになってもなお、もっとも「めでたいもの」には変わらないのです。こちらを見下ろし、守りを感じさせてくれる神的存在を感じさせるのは、やはりこの角度の富士山なのです。



その点、東京の住まいから見える富士山は、「絵」というか、富士山を中心とした大景色の主人公で、多分にビジュアル的な存在です。最晩年の祖母に、東京から撮ったこの富士を見せたとき、「小さいねえ」と嘆かれたことが忘れられません。東京に住んでいれば十分に大きいのですが、上記の実家西側の富士山を百年以上(長寿でした)見てきた祖母には、そりゃ、小さく見えるのも無理ないことで。
それにしても、今年の正月の富士は雪が少ないです。母は「風で飛ばされた」といっていましたが、正月にはもっと雪が分厚く積もっていなくてはいけません。いやだな。これも温暖化?

それから、お正月らしいめでたいものをいただきました。



日本人に生まれて良かった。
こんな美しいお菓子でお茶をいただこうなんて、なんてデリケートな美意識でしょうか。
ポロポロこぼれるビスケットといただくアールグレイもいいけど、デリカシーという点において和菓子と日本茶の深みには到底叶わない……とわたしは思っているのですが。

このお菓子、箱も美しかった。



こういう箱は捨てられないな。そんなことをいってると、新年早々「物を増やす」症候群の発症でいけないことだとは思うのですが。生活はシンプルに。好きなものだけに囲まれて生きる。じゃ、この箱もその「好きなもの」に加えちゃうことにしよう!

これも好きなもの。



関西出身の義妹にもらった京都の漬け物。
お酒のつまみにも良いそうですが、わたしは下戸なので、白いご飯の友に。
炊きたてのご飯と京都の漬け物。やっぱり「日本人に生まれて良かった」に戻ってしまいます。
みんなが「日本人に生まれて良かった」と言い切って生きる1年でありますように。