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玲子のカルペディエム

富士山の表情

2011.12.19 10:10

これは今朝、2011年12月11日の朝の富士山です。



ここ数日、東京が雨だったとき、富士山にはだいぶ雪が降りました。
いよいよ白い冬の衣をまとった女神の清らかな姿を拝む季節の到来です。
でも、昨日の朝のほうが、雪が宝永火口の下までしっかりあったような気がする。
降ったばかりの雪はまだ浅い上にサラサラしていて、山の強風で飛ばされることが多いんです。でも、分厚く白い化粧をするのも時間の問題。



これは先週、早朝に起きてすぐ撮りました。
朝日を浴びて、赤く染まるときの富士山はとてもきれいです。
どんなときでも美しいんですけれども。

富士山がよく見えるからという理由で、今の住まいを選びました。
東京で暮らしながら、どの部屋からもこの富士山の眺めを楽しむことができるというのは、何にも代え難い贅沢です。特に、寝室からはベッドに横たわったままでも富士山を眺めることができます。具合が悪くて臥せっているときなどには、ずいぶん慰められたものです。富士山の手前に見える煙突と左手のビル群は、練馬区の光が丘。かつてここに18年も住んでいました。故郷の富士山と第二の故郷が同時に同時に眺められるなんて、わたしにとっては本当にありがたい住まいです。

ありがたい、と言えば……。


こんなふうに、ちょっとしか姿が見えなくても、わたしにはありがたい富士山です。
これは実家の庭から撮りました。かつて、この写真を撮った場所には茅葺き屋根の家があり、祖母が富士山を眺めながら裁縫をする部屋がありました。その部屋の前にはなだらかな土手があり、その土手の上には田んぼが広がっていて、田んぼの向こうに富士山がたたずんでいました。子どものころ、そうした風景は当たり前であり、幼いわたしには永遠につづくもののように思われました。でも違った。あっという間に、風景は激変しました。田んぼがなくなって市役所関係のビルが建つと、富士山の全貌が見えなくなってしまいました。茅葺き屋根の家が壊され、なだらかな土手はコンクリートの塀になりました(この写真はその塀の上にカメラを置いて撮りました)。

けれども、隠れていても、さえぎられても、富士山はずっとその向こう側にいて、昔と同じ静けさを保っているのです。だから、垣間見える富士山の姿はとてもありがたい。変わらず穏やかな姿でいるのがわかることが、とてもありがたい。むしろ、手前の変わりゆく人の世の姿があるからこそ、向こう側の変わらない富士山の静けさに、より畏敬と感謝の念を抱きたくなるんだと思います。


これも故郷の富士山。先月の末に撮りました。だから、まだ雪が山頂にしかありません。このとき、実家の父と諍いをしました。父は老いて、以前に増して理不尽なことを言うようになりました。我慢しようと心に決めていても、時折疲れて真に受けてしまうことがあります。このときはすっかりうんざりして、予定を早めて帰京の途についてしまいました。心が乱れたまま運転するのが嫌だったので、足柄SAに寄ってコーヒーを飲みました。これは、そのとき対峙した富士山です。小さな自分がみじめに思われました。老いた父と口論した愚かさを思い知りました。大きな心で、すべてを許せ。富士山からそう教わったような気がしました。

ついさっき、その父から電話。「まだ怒ってんのか?」照れたような笑いながらの、そんな切り出し。怒ってるわけないでしょ、あほらし。そうは口には出さないけど。こっちも何となく照れ臭く、ぶっきらぼうな返事して正月に帰るといいました。こんな逸話も、いつか、ほろにがい思い出になるのだろうなあ。


愛してやまない富士山。
神が宿る、あるいは神そのものの山。

この姿は果たして永遠か。
実は、いつか富士山の姿が変わってしまう日が来るかもしれない、とわたしは心の底で予感しています。それまで生きていないだろうけど。そんな日まで、長生きしたくはないなあ……。自分にとってのみ永遠、そういうことで良しとしますか。