Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

「宇田川源流 日本万歳!」 大嘗祭の中心儀式「大嘗宮の儀」で使う米を収穫する斎田のある土地から感じる「日本」

2019.09.22 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 大嘗祭の中心儀式「大嘗宮の儀」で使う米を収穫する斎田のある土地から感じる「日本」

 月曜日は「日本万歳!」。様々なこと、場合によっては取るに足りないことはあまり日本が素晴らしいということではないことでも「日本のすばらしさ」をこのブログで紹介し、そして皆さんに感じていただいて、日本人としてのすばらしさや日本人としての誇りを改めて感じていただこうというものである。

今回は、本当に日本のすばらしさを感じていただきたいと思ったものであり「とるに足りない。」などではない。

さて、天皇陛下が即位して一番初めにとれた米で行う「儀式」を「大嘗祭(だいじょうさい)」という。一応しっかりとした定義を書いておこう。

<世界大百科の定義>

おおにえのまつり,践祚(せんそ)大嘗祭,大嘗会(だいじようえ)などともいう。古代から続く天皇即位の儀式。天子が年毎の稲の初穂を,皇祖神に供えて共食する祭りを新嘗祭(にいなめさい)といい,それとほぼ同じ内容を,天子一代に一度の大祭として行うのが大嘗祭である。古くはこの祭りによってあらたな天皇の資格が完成するものとされていた。〈新嘗〉と区別した語としての〈大嘗〉は《日本書紀》天武2年(673)にみられるが,祭りそのものは古代の王権の歴史とともに古いはずで,さらにその淵源を農村の収穫儀礼や成年式に求めることができる。

https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=929より抜粋>

昔の人は、先帝から王権を引き継ぐということから、墓を大きく作り、その王権が大きいものであるということを示した。墓の大きさが権力の大きさであったといって過言ではない。それが古墳の時代である。しかし、その内容を長い歴史の中で変え、天照大御神、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の魂の詰まった「コメ」をいただくことにより、天皇の資格を得るとされているのである。

さて、その時に使う「コメ」を収穫するための田、つまり「斎田」の場所が決まった。

大嘗祭の斎田、栃木県高根沢町と京都府南丹市に決定

 皇位継承に伴う11月の重要祭祀、大嘗祭(だいじょうさい)の中心儀式「大嘗宮の儀」で使う米を収穫する斎田(さいでん)について、西日本の「主基田(すきでん)」の大田主(おおたぬし)に選ばれた京都府南丹市八木町の中川久夫さん(75)は18日、「大変名誉なことです」と喜びを語った。

 水田がある同町氷所(ひどころ)地区は、周囲の山々から湧き出た清らかな水を利用した米作りが盛んな地域。かつては宮中に献上する氷を保管した氷室(ひむろ)もあり、中川さんは「そうした豊かな水系を持つことも(選定の)理由の一つになった」と話す。

 約2700平方メートルの水田では府のブランド米「丹波キヌヒカリ」を栽培。中川さんは斎田に選ばれたことについて「誰も経験したことのないことで、うれしいだけでなく心配ばかりだった」と明かす。米作りの経験は50年以上というベテランだが、大役にプレッシャーを感じたという。

 午前6時半に起きて水田で作業にあたり、台風対策や水の管理に細心の注意を払う日々が続いた。それだけに、丹精込めて作った米の出来は「オッケーです」と自信を見せる。

 たわわに実った黄金色の稲穂は重そうにしなり、収穫の時を待つばかりだ。稲を刈り取る「斎田抜穂(ぬきほ)の儀」の日程は今後決められるといい、中川さんは「なんとしてもやり遂げたいという覚悟でいます」と表情を引き締めた。

産経新聞 20190918

https://www.sankei.com/life/news/190918/lif1909180032-n1.html

 普段私はこのブログで、私の行動を皆さんにご報告することは少ない。まあ、昔中国に赴任した時の話など、ニュースに関係がある場合はそのことを書くことがあるが、それも最小限にしている。ここで書く内容は、基本的には読んだ皆さんの頭の中で「再現性」がなければならないと思っている。つまり、疑似体験として、私の意見を読んでいただき、同じような思考経路をたどって、自分たちならばどのように考えるのかということを考えていただき、その中でニュースの内容を見ていただく、ぞ分ありの意見を持っていただくということが最も良いのではないかという気がしているのである。

しかし、文章や、あるいはそれが動画であったとしても、その体験は、基本的には全体の半分かもう少しくらいにしか行かない。私などは文章力が乏しい部分があるので、もっと少なくしかその内容が伝わらないのではないかと考えている。

しかし、今回は私の経験をここに書かせていただこう。なぜならば「大嘗祭」のタイミングに生きていることが少ないし、次の大嘗祭まで私は生きていない可能性も少なくない。そのうえ、その「斎田を見に行く」などという光栄を受けられることはまずない。またこれは皆さんに伝わらなくても、もっといえば、「自慢話と馬鹿にされたとしても」書いておくべきだと思ったのである。

9月20日に南丹市八木町の八光館において、「京・来て観て丹波の会」「京都丹波の明智光秀を聞く・食べる・見る会」が主催する「八木城攻略に見る明智光秀の戦術を軍略分析で語る」を軍事戦略家小川清史氏とともに行った。その際、八光館の寺田社長のご厚意で、実際にこの斎田を見に行き、またその田の持ち主である中川久夫氏と話す光栄を得ることができたのである。

さて、場所は「南丹市、氷室の郷」の一角とだけお伝えしておこう。山からも遠く、また、周囲の田はほとんどが収穫が終わっている真ん中に、中川氏の田だけが残されており、そこに警察官が複数立っている。まあ、警察官に関しては、やはり何か間違いがあってはいけないということで、しっかりとした警備をしている。

さて、ここで感じたことは「日本の田園風景のすばらしさ」である。この宮内庁の対応などを書くのは別な機会にするとして、そもそも「田園風景」を皆さんは見たことがあるのか。もちろん、棚田であったり、様々な観光地化されている田園は見ている人も少なくないし、車窓の中からそのようなものを見ている人は少なくない。しかし、今そこにこれから儀式に使われる田があり、その中で空気を思いきり自分の体の中に吸い込んだことがあるだろうか。

日本のコメには、神が詰まっているという。一神教ではない日本の死生観からすると、森羅万象すべての現象に神がいる。天の神、地の神だけではない。風の神、雲の神、山の神、水の神、木の神などがすべてそこにいる。それらの力が合わさり、そして人の力(人の中にも様々な神がいるのであるが)が合わさって「稲」が育つ。そして、その稲の中からコメが姿を現し、精米し、そして水の神と火の神の力を借りて「ご飯」になる。これが我々の食べる米の飯である。いま、毎日仕事をしている人々の中で、これらの神の存在を意識している人がいるであろうか。いただきますという言葉もあまり言えない人が少なくない中で、このような神の存在を意識している人は少ない。天皇陛下はその神の意識を継ぎ、そして天皇としての資格を得られる。

つまり、この米は「日本で最も神の力が濃く含まれた田であり、そこで育った稲である」ということである。その地にいるということは、「儀式の有無」ではなく、当然に、そこには神々の気を感じることができるはずだ。

まさに、静寂の中で、また車の通りも少なく空気も澄んでいて、山の幸、水(川)の幸、そして地の力と太陽の力を得ることができ、その力をすべてもっとも日本の中できれいな形で得られた場所が「南丹市」なのである。

このような「場所」が現代の日本の中にもしっかりと残されているのかという気がする。もっと言えば、ここに育てば神の心を知ることができるのかもしれない。田園の真ん中であるのに、神派の中にいるような、自然の力が得られる場所、このような場所が、京都か30分程度の場所に存在しているのである。

都会の中でしか育っていない、「便利」という言葉でいつの間にか神の声を聴けなくなってしまった多くの日本人に、このようなニュースが「日本人としての心」を思い出させてくれるのではないか。

皆さんもぜひ行かれるとよい。

この中川氏との話などは、また次の機会。まず今日は、日本の田園風景のすばらしさを、そしてそこにいる八百万の神のことを、皆さんに伝えて、本日の「日本万歳!」としたい。そして伝わらなかった分は、ぜひ、皆さんがぞの足で、南丹市に行って実際に体験していただきたい。

ああ、日本は素晴らしい。

(写真はその時に私が撮った写真です。うまくとれていなくて申し訳ない)