インディオの使徒3-アトウェイの乱と最初の回心
2019.09.24 00:53
キューバでは、ハイチから逃れてきた先住民酋長アトゥエイのもと征服者にゲリラで抵抗を行った。1511年、ディエゴ・ベラスケスが3000人の追討隊を率いて到着。この中には征服者コルテスも混じっていた。アトゥエイは抵抗の後捕えられ火刑になったが、その前にキリスト教への改宗を勧められた。しかし「お前達が居る天国になぞ行くもんか」と拒否したという。
翌12年、ラス・カサスはキューバに到着、従軍司祭として、先住民の改宗に従事した。しかしこの軍は彼の目の前で3000人の先住民を虐殺。ラス・カサスの中で、この戦争への疑問が芽生えてきていた。
13年、ラス・カサスは、先住民の分配を受け、彼らを使役して鉱山や農場の仕事をさせていた。そのときの彼は、先住民を人情深く取り扱ったが、彼らの霊魂に関する配慮はなされず、皆のように「甚だしく盲目であった」と述懐している。
しかし14年の聖霊降誕祭(ペンテコステ)のミサの準備のため読んでいた聖書を見た彼は行き詰った。そこには「貧しい人の持ち物で生贄を捧げるのは、父の目の前で子を殺すに等しい」と書かかれてあった。彼は自分達のやっていることを深く反省した。8月15日の聖母被昇天の祝日ミサで、彼はスペインの行ってきた征服を厳しく非難した。これをラス・カサスの第1回目の回心とされている。
下はキューバにあるアトウェイ像