第4回 成願寺(倭) 2019.09.24 02:12 9月18日(水)2019年地域再発見講座第4回成願寺(倭)が行われました。 白山公民館長ご挨拶成願寺は、正式には「慧命山(えみょうざん)発心院(ほっしんいん)成願寺(じょうがんじ)」と言われて、天台真盛宗中本山であります。総本山は滋賀県大津市坂本の西教寺、本堂安置の本尊は阿弥陀三尊の坐像ですが、寺本来の本尊は宝物殿安置の重要文化財「阿弥陀如来倚像(いぞう)」高さ41.5㎝で俗称こしかけ阿弥陀如来です。 この寺は明応3年(1494)室町時代 伊勢の国司北畠(きたばたけ)材親(きちか)の武将で小倭の城主であった、新長門(にいながと)の守(かみ)の発願によって、宗祖円戒国師慈(じ)摂(しょう)大師真盛上人が開いた不断念仏の道場です。真盛上人は一志町大仰でお生まれになり、今もその跡に誕生寺が建立されています。51歳の秋、今も大仰の成福寺にある、ご両親の墓へお参りになった後 新長門の守の城へお立ち寄りになりました。上人の説法を聴聞した新長門の守は感激のあまり真九(しんく)法師の法名をいただくとともに、戦死した子息経成の菩提のため城地近くに、一宇を建立することを発願しました。すぐに本堂が建てられ経成のための願い寺という意味で成願寺と名つけられました。その後天正12年(1584)安土桃山時代 豊臣秀吉と織田(おだ)信(のぶ)雄(かつ)の対立により秀吉に味方した蒲生氏郷の攻撃を受け、その兵火のため当寺も全山焼けてしまいました。本格的な復興は容易ではなく、130年後の正徳5年(1715年)江戸時代に本堂が完成しました。その後大正12年(1923)と平成9年(1997)に大修理を行い現在に至っています。 重要文化財「阿弥陀如来倚像(いぞう)」 勅使門勅使門とはお寺の境内にある、天皇や勅使と呼ばれる天皇の指示や意思を天皇の代わりに伝える役目を持つ人のみが通ることのできる門のことです。勅使を迎えるお寺は、普通の人が通る門とは別に天皇や勅使だけが通る立派な門を造りました。そのため現在も檀家の者も観光客もお寺の境内にある勅使門を通ることができません。この勅使門の存在するお寺は三重県ではここだけだと聞いております。成願寺には寺宝が多くあります。梵鐘は辻越後の名作です。鐘の中には箕1ぱい小判が溶かし込んだので良い音がすると、言い伝えがあります。貞享三年(1686)江戸時代の作です。絹本着色仏涅槃図は重要文化財指定されています。作者は京都東福寺の画僧 兆 殿司(ちょうでんす)と言い伝えられています。