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「宇田川源流」 <現代陰謀説> 明智光秀は陰謀に引っかかって本能寺の変を起こしたという「陰謀論」が広まった背景

2019.09.26 22:00

「宇田川源流」 <現代陰謀説> 明智光秀は陰謀に引っかかって本能寺の変を起こしたという「陰謀論」が広まった背景

 金曜日は陰謀論である。最近は少しかなり深刻な陰謀とは異なった内容ばかりを書いていたが、今週はやはり「大河ドラマ」に関する内容で明智光秀がなぜ本能寺の変を起こしたのかということをしっかりと書いてみようと思う。

この中に「陰謀論」というものがいくつかある。雑誌「歴史人」などはほとんどが陰謀論がただ失火のような書き方になっていることなどを考えると、まあ、日本人の陰謀好きも含めてそのような内容ばかりになってしまうものである。

ところでまずはその陰謀論を紹介しておこう。というかあまりに多すぎるので「説」のみを列記することにする。

朝廷黒幕説・足利義昭黒幕説・羽柴秀吉黒幕説・毛利輝元黒幕説・徳川家康黒幕説・堺商人黒幕説・フロイス黒幕説・イエズス会黒幕説・高野山黒幕説・森蘭丸黒幕説・法華宗門徒黒幕説・光秀・秀吉共謀説・光秀・家康共謀説・光秀・秀吉・家康共謀説(土岐明智家滅亡阻止説)・足利義昭・朝廷黒幕説・毛利輝元・足利義昭・朝廷黒幕説・近衛前久・徳川家康黒幕説・堺商人・徳川家康黒幕説・上杉景勝・羽柴秀吉黒幕説・徳川家康・イギリス・オランダ黒幕説・足利義昭・羽柴秀吉・毛利輝元黒幕説

まあまあ、日本人が陰謀論が好きとはいえここまで多いと一つ一つを解説するつもりもない。またこのような陰謀論が普通に信じられているというのも困ったものである。この明智光秀の陰謀に関しては、現在に至ってもいまだに出てきており、この中の「土岐明智家滅亡阻止説」などは、平成21年(2009年)に光秀の子孫を自称する明智憲三郎が著書『本能寺の変 427年目の真実』で唱えたものである。

まあ、はっきり言うが、これらの説は「軍司令官」それも「一方面の方面軍司令官で部下を数万も持った人間が、これだけ複数の人々と主家を裏切る相談をしていたまたはその機会があり心を揺り動かしていた」ということであり、同時に「織田信長はこのような陰謀に加担するような人間に畿内を任せるほど人物を見る目がなく、また、だまされやすい愚か者であった」という結論になる。

つまり「陰謀論」というのは「目先の話として面白い」が「歴史上の人物を愚弄するもの」であり、なおかつ「信長や光秀に従った武将などをすべて馬鹿にした非常に失礼な行為」ということになる。

では、今日のブログでは、もちろん明智光秀が陰謀によって動かされて本能寺の変を起こしたなどというような話をしたい訳ではない。


光秀謀反は「信長の国家構想が原因」 立場低下も、滋賀で講演

 明智光秀が、主君織田信長を討ち取った「本能寺の変」をテーマにした講座が20日、滋賀県近江八幡市安土町の県立安土城考古博物館であり、専門家が光秀の謀反の原因を探った。

 本能寺の変は1582年、羽柴秀吉の中国攻めを応援するため、光秀が亀山城(亀岡市)を出陣、途中で京都市の本能寺に向かい、宿泊していた信長を自害させた。

 県教育委員会文化財保護課の松下浩さんが講師を務め、謀反の原因とされる怨恨(えんこん)説や野望説、黒幕説、政争説を紹介。さらに、「信長の国家構想」についても触れ、「原因はこの構想から考えるのが重要だ」と話した。

 構想では、織田家の重臣には独立した大名として諸国を支配させ、家臣以外の戦国大名は信長に従えば、本領安堵(あんど)にする。「織田政権」が実現した場合、中央は信長側近が固め、地方は家臣に任せるという内容。「光秀は中枢にいたが、橋渡し役をしていた長宗我部氏の四国統一についての容認方針を信長に翻され、近江、丹波を離れる国替えを言われた。織田家内で立場や存在が低下し、謀反を起こしたのではないか」と指摘した。

 同博物館が主催し、約180人が聴講した

京都新聞 20190921

https://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20190921000104


さてこのようい「すでに過ぎ去ったことに対して陰謀論が流行る」という理由を考えてみる。つまり「陰謀論を広めた陰謀」ということである。

情報を行っているものから考えれば、「嘘の中にこそ情報がある」とされている。日本の官僚や大企業、またはネットの社会の中には「ガセネタだから聞かない」とか「嘘の情報はいらない」などということを平気で言う人がいる。もちろん、日本の場合はマスコミそのものがガセネタばかりしか流さない体質になってしまっているので、それは困っている。そもそも噂話とマスコミとは本来の情報に関する役割が異なる。しかし、そのマスコミを見てみれば「現在の政権に対して嘘の情報で貶めた」という場合、「なぜ嘘をつかなければならないのか」「嘘はどのようにして作られたか」「嘘によって隠された真実は何か」「その真実は何故隠さなければならなかったのか」「その嘘によって得するのはだれか」「その得するものと嘘を言った人の関係性は何か」など、嘘一つから様々なものがわかってくることになる。そしてその嘘を一つ疑いで追及すれば「新たな嘘」が出てきて、どんどんと真実に近づいた、というよりは「一つの情報をもらう以上の様々な人間関係や損得敵の弱点など」が見えてくることになるのである。

この件も同じだ。

例えば「羽柴秀吉黒幕説」や「朝廷黒幕説」などの陰謀論を流すことによって、江戸時代、豊臣恩顧の大名に対して「陰謀によって踊らされていた」というような印象をつけることができるし、また「朝廷をけん制する」つまり「幕府の権威を高める」というような感じが出てくる。そのうえで、「陰謀で滅ぼされた信長」とすれば、結局は信長そのものも、上記に紹介したように「部下を見分ける能力のなかった人物である」ということになり、現在の野党と同じで他人を批判することで、自分の権威を高めるというような状況になってくるということになるのである。

このように「陰謀論」を出すことによって、員法そのものの暗いイメージから、一つにはそのようなものを使っていないということで江戸幕府の権威を高め、一方で陰謀によって滅ぼされたということから「人を見る目がなかった」というような他者を貶める効果が出てくる。このことによって「過去の為政者に関する陰謀説を作り出すことによって、現在の政治体制の安定化を図る」という目的が達せられる。つまり、「陰謀などがあったかなかったかわからなかったがために、逆にその時の政治状況から陰謀を作り出して広める」といようなことになってくるのである。

その後現代になってはいかがなものか。単純に「学説」や「学会」ということを学んでいれば明らかなように「何か新しいこと言わなければ自分が目立たない」という、多分に自己中心的な論議になって出てくるのである。まあ、上記の陰謀説のほとんどはそのような学説的な事情であるに違いない。それだけにこれだけ多くの陰謀説が出て来るのだ。

では本当はどうなのか。

普通、会社の中にいて陰謀を企むときというのはいかがな時であろうか。また、その陰謀にトップが流された時に、部下が何の疑いもなく本能寺まで武装してゆくであろうか。このように考えれば「陰謀」などはなかったと考えるのが普通だ。9月20日の講演会においても、元陸上自衛隊の陸相で西部方面総監まで、つまり明智光秀のように「方面軍司令官」までやった小川氏は「将来の日本像、当時は日本というのがなかったから天下統一のヴィジョンで、それが一致しない、そして妥協できない場合に、自分が犠牲になっても謀反を起こす場合があるが、つまらん叱責や、陰謀に動かされるようなことはない」というような断言をしている。実際に、そのようなことは当然のことであるといえるのではないか。

まあ、「嘘」が流れるときはその背景に「他の意図」が隠されている。それを読み解く面白さを、このような現代の生活に関係のない歴史の話の中で練習しておくことが最も良いのではないか。