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辺野古の現場に行ってきました

2016.04.08 13:00

4月1日(金)と4日(月)に辺野古ゲート前の座り込み行動に参加してきました。


はじめて行く辺野古。

人づてやSNSから得られる情報は限られるため、やはり実際自分の目で見て確かめたかったのです。


島ぐるみ会議のバスに揺られてたどり着くつとすでにゲート前では「仲間を返せ」というシュプレヒコールが上がっていました。聞けばその日の朝に作家の目取真俊さんが拘束されてまだ基地内から出られないとのこと。私もとりあえずはその場にあった辺野古基地NOというプラカードを手にして一緒に抗議行動に参加しました。


和解成立後の辺野古ゲート前はどのような様子になっているのかさっぱりわかりませんでしたが、仲間を返せと当然の主張をする市民に対して警備員や機動隊が力で排除する様は国家権力の横暴さをよく表していましたし、ゲートから出てくる米軍車両の乗員たちの嘲るようなニタニタ笑いは悔しくて悔しくて忘れることができません。


その後テントに移り、スピーチをしてきました。

島ぐるみ会議のバスで行くと、はじめて参加した人はバスとゲート前でスピーチをすることが恒例になっているそうです(もちろん自由に断ることもできます)。

私は緊張しながらも本土で引き取り運動をしていること、それは建白書の「県内移設反対」の主張に応答する運動であること、日本がいかに沖縄に犠牲を強いてきたかということ、そしてその差別をやめるための運動であることなどを話しました。するとどうでしょう、オーディエンスから熱い拍手がわいたのです。それはバスとテントの両方において。


私はこれまで何度か引き取り運動についてスピーチをしたことがありましたが、それはすべて本土であって、沖縄の人たちの前で話すことははじめてでした。

本土ではたいがいびっくりされるか批判が噴き出すかのどちらかなので、最初はどんな反応があるのかどきどきしていたのですが、現場の人たちの多くは引き取り運動のことをすでによく知っていて、歓迎してくださる方がほとんどでした。


スピーチのあとにわざわざ声を掛けにきてくださった方々は「一緒にがんばろう」、「やっと本土の人が真剣に考えてくれた」、「あなたに会えて感動した」などと言って肩をポンと叩き励ましてくださいました。なかには「あなたそんなこと言ったら本土の人たちから批判されるでしょう? それでもいいの?」と私の身を案じてくださる方もいて、そのあたたかさに涙があふれそうになりました。


これまでいかに沖縄がないがしろにされてきたのか、その歴史的、政治的、社会的事実を本土の人間である私たちが反省し、自らの責任として基地を引き取るべきなのに、沖縄の人たちに励まされて感動しているようではまだ全然ダメなのです。そうとは頭では思うのですが、根拠のないデマや中傷にさらされる日々のなかで、現場で出会った沖縄の人たちの励ましはほんとうに心強かった。そして、それまで私が漠然とイメージしていた「現場」とはまったく別世界がゲート前に広がっていることを身をもって知ったのでした。


金曜日はちょうど政治哲学者のダグラス・ラミスさんも島ぐるみ会議のバスに乗って参加しており、ゲート前では私の後にスピーチをして基地全撤去の理想とその実現困難性について語られました。「基地全撤去というのは、いまここにいる米兵たちの軍服を私服に着替えさせ、ANAかJALの民間航空機で本国の家に帰らせる、いったいそれがいつできますか?」という重い問いかけのあと、全撤去が難しければ「移設」しかないのだけれども国外移設の場合の有力な候補地はグァムやハワイだと言われており、どこもアメリカにとっての植民地であるために犠牲の押し付けにならざるをえない。だったら「86%が安保を支持する、ほしいところ(県外)に移設するしかない」というシンプルな訴えは、とても明快で納得ができるお話でした。


ラミスさんのスピーチの後、ゲート前の司会者の女性が「引き取りはハードルが高いのでもっと議論をすべきだ」と述べられました。たしかに引き取り運動は一朝一夕では達成できないことは明らかで議論をつづけていくことが必要です。しかしそれについて帰りのバスのなかである男性がふり返り「引き取り運動ははじまってたった8ヶ月じゃないですか。それを『ハードルが高い』なんて批判するなら、我々の反基地の闘いはなぜこんなに長い時間をかけてハードルを越えられなかったのかについてまず反省すべきだ」と援護をしてくださいました。


もちろん、現場にはさまざまな意見があって当然で、引き取りを歓迎してくださる方もそうでない方もいることでしょう。でもそこにはさまざまな意見をもつ方々が共存できる、自由でのびやかな空気があります。だからこそ多様性と広がりが担保されている。それをこの目で見て知ったのは、私にとってとても大きな収穫でした。



2度目に行った雨の月曜日にはリーダー、山城ヒロジさんと会い、3時間弱に及ぶ対話をしてきました。辺野古の現場の自由闊達な雰囲気の源泉はこのヒロジさんにあることを否定する方はおそらくほとんどいないことでしょう。


体調も心配ですし進行もあるでしょうから途中何度も切り上げようとしたのですが、「引き取りについてもっと知りたい」と言われじっくりとお話をしてきました。反基地運動と引き取り運動とはもちろん違いはありますが、沖縄差別をなくすこと、辺野古新基地建設を絶対阻止することについては共闘できるということを確認し合いました。


ヒロジさんは反知性主義とはまるで真逆で、とても柔軟で情熱的で魅力的な方でした。さすが沖縄の反基地運動を長年担ってきたリーダーの中のリーダーです。私ももれなく「男も女もホレるヒロジ」にホレたひとりとなりました。


(里)