「日曜小説」 マンホールの中で 第三章 4
「日曜小説」 マンホールの中で
第三章 4
善之助は困った。
何しろ自分で言ったのだ。そう、次郎吉は、上級の泥棒である。まあ上級であるかどうか、泥棒業界を知っているわけではないので「上級」などといっても本当はどうなのか、全くわからない。そもそも、泥棒のランクのようなものがあるのか、また、そのランクのどれくらいから上が「上級」なのか全く知らない。だいたい、その「泥棒ランク」は、ゴルフの賞金女王のように、盗んだ金額や価値によってランク付けされるのか、あるいは、オリンピックの体操の競技のように盗む場所に難易度があって、その難易度の組み合わせてランクが決まるのか、そのようなこともわからないのである。
しかし、その「わからない」相手である次郎吉に対して「正義感がある」ということを言った。少し前、「普通」ということで悩んだばかりである。普通がわからないのに「正義」なんていうことがわかるはずがない。
「正義って言ってしまったが」
「だから、爺さん、言ったろ。泥棒なんていう人様の物を盗む仕事に、正義も何もないんだよ」
「本当にそうなんだろうか」
少しあきれたように言った次郎吉に対して、善之助は少し疑問に思った。「普通」という言葉にあれだけ反応し、「普通」という概念がないという結論に達した次郎吉が、正義というものに関しては「正義というものがあって、その正義に泥棒は外れている」という通常と同じような概念を持っている。何かが異なるのである。
「次郎吉さんは、自分が正義で他、つまり法律が正義ではないということを考えたことはないのかい。」
目の見えない善之助にはよくわからなかったが、しかし、次郎吉は明らかに困惑した表情であると思う。善之助はそう確信していた。
そして善之助の思惑通り、次郎吉は確かに困った表情をしていた。確かにそうだ。普通というものが「偽善も含めている」といいつつ「正義」は存在するというような感じになってしまっている。善之助の、ある意味で純粋な泥棒への賛辞に、少し照れてしまっていた。
「爺さん、さっき偽善の人々がいるということを言ったと思う。」
「ああ、そうだ」
確かにそういった。もともと「普通」ということを話題にした中で、そもそもは現在の社会現象、そして若者の話、そして、その若者の話から偽善者がいて、その偽善者が社会ででかい顔をしていることが「普通」なのかという議論になった。そして、その議論は、いつの間にか「普通」という絶対的な概念がなく、あるのは多くの人が「普通と思っている意識」の集合体のような、何かぼんやりした概念があるだけだということになる。もっと言えば、自分が普通というカテゴリーの中に入っているという「安心感の創造」のために、自ら普通という殻を作りそしてその殻の中に入ろうとしているのではないかというような感じになってしまっていたのではないか。
では「正義」も同じなのではないか。つまり「泥棒」であっても、自分が正義と思えば、正義なのではないか。善之助はそう思ったのである。しかし、その普通の概念と正義の概念は全く違うのであろうか。
「爺さん、やっぱりわかってないな。だいたい偽善があるということは、本物の善があるということだろう」
「ああ、そうか」
善之助は驚いた。いや気が付かなかったことを指摘されたというべきであろうか。きっと、次郎吉から見たら、かなり驚いた表情、いわゆる「鳩が豆鉄砲」というような表現で表される顔をしていたのではないか。
偽善という言葉がある。その言葉は「偽物の善」である。つまり「偽物」があるならば「本物」があるはずだ。指摘の通りである。では「本物の善」とは何なのであろうか。善之助は全くわからなくなってしまった。
「爺さん、本物の善ってもん。爺さんはあると思うか」
「ああ、あるんだろう」
「では人を殺すのは善か」
次郎吉は静かに言った。何か思いつめたような感じだ。声が低く、土管の下の方に響いている。
「それは善ではないのではないか」
「そうか。では、友人が殺されそうになったときや、戦争になった時に敵を殺すことは善か」
「そりゃ、家族や友人を守る時だから善だろう。日本の法律にも正当防衛という言葉がある」
「そうだな。では、きっとやられるに違いないとして、事前に相手を殺すことは、善か。戦争で言えば、先制攻撃をした場合は善なのか」
「それは……。」
善之助は詰まってしまった。普通ならば「悪」といえたであろう。しかし、何か違う。
「爺さん、相手が銃を持っていて、その銃がこちらを狙っている。その時に石礫やナイフを投げて相手を殺すことは、善なのか。戦争で、ミサイルがこちらを狙っていて、そのミサイルを発射前に壊し、その周辺の兵士を殺した場合は善なのか」
「ああ」
「そのまま放置したら、こちらが確実に殺される。しかし、相手の攻撃が届いていないのだから、正当防衛が成立しない。そういうことってあるだろ。俺は、その時に攻撃して仲間や友人や家族の命を守ること、つまり仲間や家族を殺さないことが正義だと思っている。しかし、それは相手からすればこっちが先制攻撃をしたことになってしまう。相手の立場に立てば、正当防衛でこっちを殺す話になってしまう。」
「そうなるな」
「泥棒も同じだ。本来ならば金を稼いで買い取ればよい。しかしそうではない状態がある。相手が絶対に売らないとか、あるいは持っていて何かその作品を害したり、金を全く違うことに使ってしまおうとしている。その時に、その品物や金を使わせないようにする。つまり、その金や物がなくならないうちに盗むというのは、ある意味で、先制攻撃が出てきていないうちに正当防衛を先に行ってしまうようなものだ。守るという意味がありながら、一方で、こっちが先に本当の善を放棄しているのではないか。」
次郎吉は思いつめたような声を出した。もしかしたら泣いているのかもしれない。いや、絶対に誰にも理解されない悲しみを持っているのかもしれない。そのような表情をしているのではないか。
善之助は自分の目が見えないことを恨んだ。こういう時に、何も見えない自分の目が見え、相手の表情がすべて見通せるようになれば、何か、第三の目のようなものがあり、このような重要な時だけでも、相手の心や顔が見えるようになったらどんなに良いことであろうか。しかし、そのようなことができないのである。
「でも、次郎吉さん。私もその立場ならばやると思う。まあ、私に泥棒ができるかどうかはわからないが、その、例えば家族や仲間を守る時に、そのままにしたらこちらが殺されてしまうときに、先制攻撃でもだまし討ちでも、奇襲でも何でもして大事なものを守るのが日本人じゃないのか」
「そうなのかな。爺さん。本当の善ってもんは、究極の選択で出来うるものじゃないと思うんだよ」
「究極の選択というと」
「つまり、相手が死ぬか、こっちが死ぬか、そんなものではない。本来は、例えば攻撃しないように説得するとか、金を大きく稼いで買い取って寄付するとか、だれからも文句を言われない方法でしっかりと行うことが良いのではないかという気がするんだ。それこそ本当の善ではないか。」
「そういうものか」
善之助は、何か切羽詰まったような次郎吉の話にあまり反論もできずに聞いていた。いや聞くしかなかったというべきではないか。
「実際に今いる金持ちたちも、また資産を持っている人々も、別に初めから悪かったわけではない。悪いことをするためだけに生まれてきたわけではない。それに対して、こちらが力不足で、泥棒とか、先制攻撃とか、そのような法律違反の手段しかとることができない。自分のできる範囲ではそれが正義なのかもしれないが、しかし、もっと違う自分ならば他の方法ができたのではないか。そう思う」
「それは偽善ではなく、次善の策ではなかろうか」
「偽善ではなく次善」
次郎吉は、何か感心したような声であった。
「次郎吉さん。人間はだれしも置かれた状況がある。私だって目が見えない。しかし、その目が見えないということで、自分が取れる手段は限られてくる。その選択肢の中で、もっともよいという策を選ぶ。もちろん、本来の最も良い策があることを知っている。知らないで次善の策をとるものはダメだと思う。しかし、比較してそのまま放置してしまうのは良くない。放置するよりも、本当の善ではないことを知りながらも今自分の実力でできることを次善の策として行うことが、重要なんじゃないかな」
善之助は、力説した。なにか、ここでしっかりと説得しないと、次郎吉がどこか遠くに行ってしまう気がした。何とかここに引き留めなければ、次に会えないのではないか。そのような気がしたのである。
「次善の策と、そのまま放置するということの選択か」
次郎吉も何か納得しているかのような落ち着いた声に変った。
「ならば爺さん、その選択というのは、常に次善の策が良いのか。」
「どういうことだ」
「つまり、放置した方が良いという場合もあるのではないか。それをその場においてどのように判断したらよいのかな」
「うむ」
善之助は、また回答に窮した。