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現実とは?

2019.09.27 04:18

山城の泉に空や夏木立  高資

もののふの命や空に湧く泉  高資

湛へたる泉に城を枕かな  高資

玉敷の内にまぎれるあきつかな  高資

透き通る蜻蛉の羽や細石  高資

 今泉八坂神社

瑠璃玻璃や水も玉なす苔の花  高資

水玉にうつせみ映す苔の花  高資


facebook・宮井陸郎 シャンタンさん投稿記事

内面で進行していることが実際に外の世界を創造するのです。

バカヴァン

あなたはつねに外の世界を創造しています。

あなたは、外の世界は内面の世界から独立していると考えます。

あなた方の無意識が、あなた方を失敗するように

プログラムしていると申し上げましょう。

無意識は、自分は決して成功しないと考えます。

そうすると、あなたは成功できません。

そうして、どんなことが起こるかと言えば、

たとえば、あなたが就職の面接に行きます。

あなたの無意識は他の人の無意識と連絡を取ります。

それは、ある種のインターネットの接続です。

そしてあなたに面接している人は、何の理由もないのに、

あなたを雇わないと決心するでしょう。

そのようにして、内面で進行していることが実際に外の世界を創造するのです。

それはとてもとても強力です。

そのために、あなたは、まさに恐れていることや

嫌っていることに遭遇してしまったり、愛するものを手に入れるのです。

そのために、私たちは、なにが起こっているのかを見なければなりません。

もし、あなたがそれをできなければ、それをあなたに

見せてくれる誰かの助けを借りなければなりません。

それが、ここで行われているディクシャと、その他のことについての、全てです。

そして、それは正しくセットされなければなりません。

ひとたびそれが正しくセットされれば、あなたは、内面で進行していることに応じて

外の世界で物事が劇的に変化するのを経験することでしょう。


https://atarimae.biz/archives/6734  より

量子力学における有名な思考実験「シュレーディンガーの猫(シュレディンガーの猫)」。

フィクションの世界では「箱を開けるまで猫が生きてるか死んでるか分からない⇒何事もフタを開けてみなきゃ分からない」という話だと誤解されがちですが、実際にはそういう話ではありません。

シュレーディンガーの猫とは、フタ付きの箱の中に

①「猫」と

②「1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子」と

③「原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置」

を入れた場合、1時間後には「生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なり合った状態の猫」という不可思議な存在が出てくるのではないか?という思考実験です。

今回は、この「シュレーディンガーの猫」の話の流れについて書いていきます。

「シュレーディンガーの猫」は批判するための思考実験

まずおさえておきたいのが、「シュレーディンガーの猫」は単体で存在する話ではなく、ある話の流れから出てきた「批判するための思考実験」であるということ。

「君たちのその理論が正しいとしたら、生きていると同時に死んでもいる猫が存在することになるよ?おかしくない?」と相手の理論の問題点をつくための「たとえ話」なんです。

シュレーディンガーは「箱の中には生きていると同時に死んでもいる猫が存在する」という理論を正しいと思って唱えたわけではありませんし、実際に猫で危険な実験をしようという話でもありません。

ミクロな量子とマクロな僕たち

では、「シュレーディンガーの猫」は、何を批判するために出てきた思考実験なのか?

それは、量子力学の確率解釈です。

量子とは簡単に言うと「ものすごく小さい、極微な存在」のこと。

ミクロな世界における物理量の最小単位を指します。

化学の授業で「電子・原子・分子」を習いましたよね。

例えば、僕らから見ると水はサラサラとしていますが、実際には水分子という非常に小さな粒の集まりで出来ています。

この分子を構成する原子や電子1つ1つを見ていくのが「量子」の世界です。

これに対し、僕たちが見慣れている「普通の大きさ」はマクロな世界と呼ばれます。

「厳密にどこからがミクロでどこからがマクロなのか」の線引きは非常に難しい問題になってくるのですが、とりあえず「水分子1つはミクロな世界・コップ1杯の水はマクロな世界」と考えると分かりやすいかと思います。

二重スリット実験

量子のミクロな世界では、「僕たちが生活しているマクロな世界では考えられない現象」が起こることが分かっています。

代表的なのが、二重スリット実験。

細かい内容は上の動画を参照してもらうとして、簡単にまとめると、この実験によって「量子の世界において、粒子は観測されていない時と観測されている時とでは状態が変わる」ことが分かったんです。

量子の世界において、粒子は「観測機器によって観測される」だけで状態が変わってしまう。

「なにそれ、意味が分からない」と思うのも当然です。こんなものは、僕たちが生活するマクロな世界には存在しないのですから。

しかし、実際に何度実験しても「そうとしか説明がつかない実験結果」が返ってきたからには、ミクロな世界には「マクロな世界では想像もつかない現象」が存在するのだと考えるしかない。

そこで量子力学者たちは、こういった実験で得られた様々な情報を元に、量子に関する整合性と実用性のある理論を構築しました。

量子力学において粒子は様々な状態が「重なりあった状態」で存在しうる。この「重なりあった状態」は観測機器によって粒子を観測することで、いずれかの状態に収束する


『重なり合った状態』というのは、複数の状態を同時に持っていることを指す特殊な表現です。

(※重ね合わせの状態とも言います)

例えば「原子のスピンは、上向きの状態と下向きの状態がそれぞれ50%の確率で重なり合っている」という表現の場合、「原子は上向きスピンと下向きスピンの両方の状態を同時に持っている」ことを意味します。

これが、量子力学の確率解釈です。

「よく分からないから、身近なものでたとえて」と言われるかもしれませんが、僕たちのマクロな世界には『重なり合った状態』のものは無いので、どう喩えても誤解を生む間違った説明になってしまいます。

そのため、先のスピンの例のようにミクロな世界の具体例として「例える」ことは出来ても、マクロな世界の比喩として「喩える」のは難しいです。

① 箱の中のコインは表と裏が重なりあった状態?

⇒見えていないだけで、既に確定しています。

② サイコロを投げたら転がっている間は全ての目が重なりあった状態?

⇒転がっている間は、どの目でもありません。

③ 白と黒が重なりあった状態は灰色?

 ⇒灰色は白と黒を混ぜた色であって、重なりあった状態とは違います。

このようにマクロな世界で喩えることが難しい奇妙な説ではありますが、こう考えれば量子の不可思議な挙動を説明できると同時に、量子コンピュータなどの「量子論を利用した機器」の実用化にも有用なんです。

「でも、それってやっぱり変じゃない?」

もちろん、この説に異論を唱えた人もたくさんいました。

その中の1人がエルヴィン・シュレーディンガーです。

シュレーディンガーは、この説の奇妙さを分かりやすくするために、ミクロな世界の奇妙な挙動をマクロな世界に拡張する思考実験を考えました。


いま、箱の中に「1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子」があったとします。

先ほどの量子力学の確率解釈に照らして考えると、1時間後に箱の中には「放射性原子が崩壊していない状態と崩壊した状態が1:1で重なり合った状態」が存在することになります。

「崩壊していると同時に崩壊していない」というのは直感的には意味が分かりませんが、実験結果と整合性はありますし「ミクロな世界では不思議なこともあるもんだな」と思えば納得できない事もありません。

しかし、この箱の中に「猫」と「原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置」もあったとしたらどうでしょう?

①1時間後に箱の中には「放射性原子が崩壊していない状態と崩壊した状態が1:1で重なり合った状態」が存在する

②原子の崩壊を検出すると装置が青酸ガスを出し、猫が死ぬ

③つまり、1時間後に箱の中には「猫が生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なり合った状態」が存在する

④そして、観測されることによって「猫が生きている状態」か「猫が死んでいる状態」に収束する

・・・1時間後に箱の中には「猫が生きている状態と死んでいる状態が重なり合った状態」が存在する。

つまり、生きていると同時に死んでもいる猫が存在する?

それってやっぱり変じゃない?

このように、ミクロな世界での奇妙な量子現象をマクロな世界に拡張することにより「直感的には意味が分からないけど整合性はあるから納得できていた量子論」の問題点をついた思考実験。

それが、シュレーディンガーの猫です。

もちろんこれは思考実験でしかないので、現代の技術では「シュレーディンガーの猫が存在するのか」を実験することはできません。

しかし、もしこのような装置を仮に作ることができたとしたら、生きている状態と死んでいる状態が「重なり合った状態」の猫の存在を認める必要が出てきます。

そして、それは我々の常識からしたら「まったくバカげた状態」である、というのがシュレーディンガーの主張なんです。

【まとめ】シュレーディンガーの猫は、ミクロな世界での量子現象をマクロな世界に拡張することで、量子力学の確率解釈論の問題点を分かりやすくした思考実験である

すべては量子の世界の不可思議な現象を「どう解釈するか」

おそらく、この記事を読んでいる方の一番の疑問は「結局、シュレーディンガーの猫は存在するの?存在するとしたらどんな状態なの?」に尽きると思います。

ただ残念ながら、先にも述べた通りシュレーディンガーの猫は思考実験に過ぎず、現代の技術では確かめることができないので、いくら「まったくバカげた状態」と言おうとも「絶対に存在しない」とは断定できません。つまり、未解決の問題なんです。

「重ね合わせの状態」の説が微妙に間違っていたという可能性もゼロではないでしょうし、「観測」の定義の問題かもしれません。「ミクロとマクロの境界」の問題なのかもしれませんし、実は「生きていると同時に死んでもいる猫は存在しうる」のかもしれません。

今できるのは、二重スリット実験などで明らかになった量子の世界の不可思議な現象を「どう解釈するか」だけなんです。

実際、「観測によって、生きている猫を観測した観測者と死んでいる猫を観測した観測者の重ね合わせ状態に分岐する」という多世界解釈(エヴェレット解釈)や、そこからさらに話が飛んで「パラレルワールドがあるんだ!」なんて解釈もあります。

「まったくバカげた状態」である事を分かりやすくするための「たとえ話」のはずが、それを前提に話を進める理論が現れるとは、シュレーディンガーも予想できなかったのではないでしょうか。

【参考図書】

>>量子論―相対論と双璧をなす物理学の大理論 (ニュートンムック Newton別冊)


https://ameblo.jp/u-oneness/entry-12337105382.html 

【量子力学、現実の全ては意識の投影】 より

量子物理学「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」「自分が変わって変わる」

「In Deep」さんの記事から「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」です。

人間は、現実を知覚するのに、ただ、目と、耳と、鼻と、口といった感覚以外のものを使うことを学ばなければなりません。

あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。

「自分が変わって、初めて、周囲の風景が変わる」

この世のすべては不変に見えても、現実としては、人間の感情や認識で、どんどんと変化する。

万物は、人間が観測(意識)したときに状態が確定する。 と同じ「量子力学」の内容です。

「あると思っているもの」は、全て「意識の投影」であるということ。起きることは、全て「意識の投影」。思考が現実になってる。

現実は、貴方のバージョンの現実、貴方のバージョンの人達、

バシャール:貴方の交流する人達は貴方の波動フィルターを通った”貴方のバージョン”詰まりは”貴方の一部

私達は、自分のバージョンの人達に、マイナスな感情を抱き、自分をマイナス波動にしていたのかもしれません。

自分以外の人について、思うこと。

他人の存在に感謝。

どんな行動でも他人の行動で何かを見せて、気づかせてくれたことに感謝、尊敬。

他人がうれしいことは、祝福する。

他人を同情、思いやることは、同じ気持ちになるのではなく、その人の力を尊敬、信じ、エールを送ること。

他人を批判することは、自分のバージョン他人を批判すること。意見が違って当然、自由意志を尊重する。

ワンネス、あなたは私、私はあなた。一つで繋がっている。

記事の「地球上に「恐怖が少なくなってくる」と、さまざまな宣伝が行われて恐怖心が増大される」

納得ですね。

気がつかないと、さまざまな宣伝が何の違和感もなく、意識に蓄積されていきます。

私は、恐怖心は、もともと要らないものと解ると、ニュースなどの宣伝が「おかしなこと」として違和感になり、見る必要の無いものになっていきます。

フォーカスごとが、現実に出てきますので、恐怖ごと宣伝は存在すらないこと(忘れる)にしようと思っています。

ネガティブな存在(支配)も、好まないことも意識から追い出せばいいことと思ってます。

望むことに、いろいろなことに気づくことにフォーカスしてます。

「あると思っているもの」は、全て「意識の投影」の確信度が上がるほど、「思考が現実になる」もバシャールのメッセージも理解出来ると思ってます。

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「In Deep」さんの記事から一部抜粋

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

宇宙は、自身の存在を認識してくれる「人間の登場」を待ち続ける

この世は人間が認識するまでは存在しない

今回ご紹介するニュースは最近の中でも、個人的に非常に大きなものです。

とても簡単に書けば、

1970年代に量子物理学者によって予測されていた説が、実験で証明された

というもので、その予測されていた説とは、

この世は、人間に観測(認識)されるまで存在しない

というものです。

つまり、「そのあたりにあるすべても宇宙も何もかもが、人間が認識してはじめて存在する」ということが証明された実験ということになります。

(何も存在しないという書き方は正しくなく、「原子はある」のですが、いわゆる私たちの生活での、一般的な認識での「存在」という意味にとらえていただくと幸いです)

この実験結果の論文が掲載されたのは、科学誌ネイチャーのオンライン版です。

まず、今回の実験の名称は、すでに 1978年に理論付けされていまして、

「ホイーラーの遅延選択実験」という、ジョン・ホイーラーという物理学者が提唱したものです。

現代人の知性とその可能性

人間の知性はいまや他の存在たちにとっての希望です。

自然のなかに生きていた神々はもういません。

自然は、もはや自動的に運行する機械に過ぎないのです。科学によって自然を観察しても生命は見つかりません。自分を探してのぞき込んでも、見つかるのはただの影にすぎません。

今や人類はそれ以前とは異なります。神々は人類に運命を委ねたからです。宇宙の知性は、ある時期から人間の側に移行しました。以前のように自然を探すことによって見いだせるのは死んでしまった法則だけです。

人間は、自分が宇宙の意志であるという事実を自覚するとき、やっと宇宙と自分自身の本当の姿を見つけます。それは神々が与えてくれるものではなく、人間の判断行為の中にのみ見いだされるものです。

宇宙は最終的な結論として人間を選びました。

この奇跡の只中にいる人間自身がこのことに気づいていません。空に輝く物質的な太陽とおなじ力が人間の内部にも働いているという事実をです。自分自身の知性がこれから大きく変容する可能性があることに人間は気づかなければなりません。宇宙の命運が掛かっていることを知らなくてはなりません。

過去の光は人間の内部に移行しました。自分の思考が宇宙の意志であることを自覚すると、想像をはるかに超えた数の存在たちが闇から救出されます。動物たちは大気圏の外から人類を見守ってくれます。植物たちはこの地上で人類を助けてくれます。鉱物たちは自らを思考の材料として提供してくれるはずです。

だから宇宙に生きる全ての存在たちのために、人間は、今、行動しなければなりません。

・「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか

(※下記にリンクページの抜粋しました。)

などで、自称プレアデスの人が言う、

目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。

という内容は、私たちの宇宙に対しての感覚的な把握が、目、耳、鼻、口、感触の「以外」にもあることを示していて、人間と宇宙の関わりについては、人間の方から積極的に変化させることができることを現してもいるような気もします。

最近、書くことのある「肯定的な態度」にしても、それをおこなうのは自分自身であって、つまり、

「自分が変わって、初めて、周囲の風景が変わる」

ということを端的に物語っている気もします。

あるいは、考え方次第で、この世はとても美しいものでもあるし、あるいは、そうではないものであるということも、たとえば、フランス映画『美しき緑の星』などで語られていることでもあります。

この世のすべては不変に見えても、現実としては、人間の感情や認識で、どんどんと変化する。

それまで何も感じなかった対象がどんどん変化する。

Quantum Experiment Confirms Reality Doesn't Exist Until Measured

観測されるまで現実は存在しないことを量子実験が確認

オーストラリアの科学者たちが、量子物理学での予測を証明するための有名なある実験を行い、その実験は成功した。

その予測とは「観測されるまで、現実は存在しない」というものだ。

オーストラリア国立大学( ANU )の物理学者たちは、ジョン・ホイーラーの遅延選択思考実験と呼ばれる実験を行った。それは粒子のように動く、あるいは、波動のように動く選択権を与えられている移動物体に関しての実験だ。

ホイーラーの実験は、その後、どの時点で物体が「それが波動か粒子か」を決定しているのかを問う。

常識的には、私たちがそれを観測する方法がどのようなものであろうと、その物体が波動のようなものか、粒子のようなものかということは、それぞれ最初から物体として独立していて、測定法と、その物体が何かということは無関係だといえる。

ところが、量子物理学者たちは、あなたたちが、その物体を波動の挙動(干渉)、として観測するか、あるいは、粒子の挙動(無干渉)として観測するかによって、その最終的な実際の観測記録が違ってくると予測してきた。

そして、この予測について、オーストラリア国立大学のチームが実験で証明することに成功したのだ。

オーストラリア国立大学の物理学工学研究所のアンドリュー・トラスコット( Andrew Truscott )准教授は、

「この実験は観測がすべてであることを証明しました。量子レベルでは、あなたがそれを見ていないのなら、それは存在しない、ということになります」

と述べる。

この実験の結果は、非常に小さなものに支配されているとする量子理論の妥当性を確認することになる。そして、この理論は、 LED 、レーザーおよびコンピュータチップ等の多くのテクノロジーの開発を可能にしてきたと研究者たちは言う。

オーストラリア国立大学のチームが成功した今回の実験は、ホイーラーがこの実験を提唱した 1978年には、実験を行うことがほぼ不可能と思われていた。

トラスコット准教授のチームの実験は、最初に「ボース=アインシュタイン凝縮」として知られる停止状態の中で、ヘリウム原子の集合体によって物体が補足され、それらは、最後の単一の原子が残るまで排出された。

単一の原子は、その後、対向伝搬レーザー光を介して落下した。これは、固体の格子が光を散乱するのと同じ方法での格子パターンを形成した。

その軌跡を再結合するために第二の光格子をランダムに加えると、これは、建設的に、あるいは、破壊的な干渉へとつながった。

第二の光格子が加えられなかった場合には、干渉は観察されなかった。それは、あたかも、原子が一つの軌跡のみを選択したかのようだった。しかし、原子が交差点を通過した後、格子が追加されたかどうかを決定する唯一の乱数が生成されたのだ。

トラスコット准教授は、「原子は特定の軌跡を取り、あるいは、将来の記録が原子の軌跡に影響を与えることを受け入れた、ということになります」と語る。

「原子は、AからBへと旅をしたのではないのです。彼らは、その旅の最後に、それらが波動か、あるいは粒子か、どちらかの振る舞いが観測された時に、初めて彼らに、それが波動か、あるいは粒子かという存在がもたらされたのです」と准教授は述べた。

この実験結果は、科学誌ネイチャーに掲載されている。

要するに、後半に書かれてあることは、

原子は、観測された結果があった時に、はじめてその物質の特性が決まる

ということだと思います。

ということは、物質は「観測されるまでは特性がない(つまり、存在しない)」ということになることを、この実験は導いたようです。

しかし、今の社会(唯物論的な理論で構築されている社会)で、私たちはこのような見解を信じることは難しいです。

それが変換するためには、シュタイナーが「唯物論的な認識から精神的な人類へと進化しなければならない」と述べていたようなことや、あるいは、チジェフスキー博士が言うように(過去記事「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために…」)

「人間が精神圏へ移行する」

というような未来があったとする場合、私たちの宇宙への認識もまた変化して、その場合、それはもう想像も絶する素晴らしい宇宙が出現しそうな気もします。

自由な人間の認識に基づいた「変幻自在な宇宙」です。

そして、これが弥勒の世界というものかもしれないということにも気づきます。

転載元:http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html

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「In Deep」さんの記事から一部抜粋

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか

私たちが見ているものはリアルか?

最近はフランス映画『美しき緑の星』のことにふれることも多かったんですが、それあたりから、それまで目にしても、さほど気にも留めなかった表現や言葉の中で、わりと引っ掛かってくるようになったものがいくつもあります。

たとえば下は、ある本からの引用で・・・まあ、タイトル名を書くと、語感から、スピ系っぽく見えたり、先行イメージとかがあるのもアレですので、本のタイトルは書かずに引用したいと思います。ちなみに、こちらの本です。

今から二十数年前に書かれたものだと思われます。

人間はエネルギーの読み取り方を学ばなければなりません。人間は、現実を知覚するのに、ただ、目と、耳と、鼻と、口といった感覚以外のものを使うことを学ばなければなりません。

前にもいいましたが、目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。

あなた方は、子どものときから、目、耳、鼻、口、感触にたよることによって体験を解釈するようにとの訓練を受けてきました。

いま、体験がいかなるものかを決定するのに、別なかたちの感覚に頼る必要が出てきたのです。あなた方がこれまで過小評価してきたのは感情という知覚です。

感情、それは、知っている自己であり、直感的な自己であり、霊的な自己ですが、地球にあっては周波数コントロールのために攪乱され、あなた方はそれを見失っています。

もしも、あなた方が自分自身の知識を発見し、自分自身の直感的な考え方を発見すれば、誰にもコントロールされることはありません。

何がコントロールされていて、何がコントロールされていないかはどうすれば分かるのでしょうか。地球上でマスターすべきあなた方の体験の一部は、それを学ぶことです。

あなたという存在のもっとも深い中心部に、何ものも揺るがすことのできない本質があって、あなたはそれを発見し、その本質に基づいて行動を開始できます。

生命を尊重することこそがその本質にほかなりません。”あなたはあなたに対して責任があります”。あなたの光を、あなたの肉体を、あなたの体験をあなたの能力の許すかぎり尊重すること、それはあなたに与えられた贈り物です。

私自身は、もともと他の星の人や、その交流などについてまったく興味がなかった人ですが、ここ数日、やや興味を持って読んでいます。

とはいえ、「外の声」は、それが真実であろうと真実でなかろうと、やはり自分の声ではなく、「外の声」ではあるわけで、全身全霊でこういうことに心を投じるのは良いことではないようにも思います。あくまで、「ある異星人の意見」として、軽めに受け取るのがよろしいかと。

さて、この人が言う「あなた方は」というのは、私たち地球の人間のことなんですが、この中に、

> 目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。

とあります。

ややわかりにくいかと思いますが、これはどういう意味かというと、これを言っている人の主張によれば、以下のようなところが「その一部」です。

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入するのです。これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ここに「ホログラフィ」(ホログラム)という言葉が出てきますが、このホログラフィーは、この人の主張によれば、

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。

これからの数年間、あなた方はこれを見分けるための練習をする機会を十分に与えられることになるでしょう。(略)

壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。

この人の主張では、どうやら、この地球には、「見分けるのはとても困難」なリアルではない「像」が多く存在しているということになるようです。

ちなみに、この人は、「社会における究極の暴虐」として以下のように書いています。

社会における究極の暴虐は戒厳令による支配ではありません。意識を心理的に操作することによって支配することこそ究極の暴虐です。意識を心理的に操作して、現実を規定し、その現実のなかにいる存在は自分が檻のなかに閉じ込められていることすら気がつかないのです。

> その現実の中にいる存在は自分が檻のなかに閉じ込められていることすら気がつかない

というようなことになってくると、

「何がリアルなもので、何がリアルなものではないか」は、実はわからない

ということにもなりかねないのですが、しかし、考えてみれば、この「リアルとそうではないもの」については、昔からテーマとなりやすかったものでもありそうです。

恐怖によって支配する理由と「支配される」理由

どうして、唐突にこんなことを考えているかといいますと、先日の記事、

・人工の黙示録 :「奇妙な音(アポカリプティック・サウンド)」は確かに鳴っている・・・ただし「意図的である可能性」が急浮上中

 2015年05月23日

を書いた後、何となく釈然としないというか、悶々とした気分が続いたのですね。

それは、この記事やその内容に対してということではなく、「今まで生きてきた社会や、自分を取り囲んでいた人生のメカニズム全般」に対して、「何となく釈然としない」という悶々とした気分が続いていました。

今の世の中はいろいろなことが起きていますが、その中の「何がリアル?」ということも、私たちが五感などの「感覚」に頼っているうちは、その判断は難しいのかなあと。

さきほどの引用から抜粋すれば、

> 人間は、現実を知覚するのに、ただ、目と、耳と、鼻と、口といった感覚以外のものを使うことを学ばなければなりません。

という部分ですね。

先日の「奇妙な音」の記事では、それらの音が「恐怖の感情と関係している」というようなことも書いたのですけれど、

「地球上での恐怖と恐怖心」

というキーワードについて、先ほどの地球人ではないとされる方は、以下のように述べていました。

地球において、恐怖の周波数が減少しはじめると、さまざまな宣伝が行われて恐怖心が増大されることになります。

それは、恐怖の周波数によって滋養をとっている存在たちが食べ物を失うことになるからです。彼らの食べ物を新しい愛の周波数に切り替える前に、恐怖の周波数を強化しようとすることでしょう。

彼らは、地球上で感情的な混乱を宣伝し、拡大するためのさまざまな装置を地球に埋め込んであります。感情的な混乱は彼らのところに送られ、それによって彼らは滋養を与えられます。

ということで、よくはわからないですが、「人間の恐怖(の周波数)を食べている」ような存在がいるようで、人間から恐怖が消えると、その存在たちの「食べるものがなくなっちゃう」(苦笑)ということで、その存在にとっては、

地球から恐怖の感情が消えるのは良くない

ということで、そのために、

地球上に「恐怖が少なくなってくる」と、さまざまな宣伝が行われて恐怖心が増大される

ということになっているようです。

確かに、「恐怖の喧伝」は、どんなジャンルでも多いです。

病気、犯罪、経済、戦争、テロ、自然災害・・・。

中村天風さんは、

神仏と名づけられている宇宙霊なるものの心の中には、真善美以外に、心配や悲観というような消極的な心持ちは、夢にもない。

などというように、恐怖や不安は、「本来的にはこの宇宙に存在しない」というようなことさえ言っているわけですが、しかし、恐怖は現実にあるように思えます。

では、それはどこにある?

というと、やはり、恐怖を生み出しているのは「自分」なのだとしか言えないことにも改めて気づくのです。戦争、自然災害、病気、などのネガティブな現実について、それを恐怖と思うか思わないかは、私たちの中にありそうです。

そういう意味で、先ほどの地球人ではない人の主張する、私たちは外からコントロールされるのではなく、「自分でコントロール」できるようになっていかないといけないというのは本当かもしれないとも思います。というのも、今後の社会では、「恐怖を煽る」局面をさらに数多く目にすることになるような気がするのです。

最近、書くことが多かった、

「肯定的な態度」

への試みは、まさに自分(自我)をコントロールするための最初の一歩なのかもしれません。

おそらくは、今後の世界は、表面上では「恐怖と感じることが自然な出来事」が、派手ではなく、淡々と起きていくような気がしないでもありません。

しかし、それらの恐怖に打ち勝つことさえできれば、先ほどの言葉の主のような、他の星の人などの助言がなくとも、私たち人間は(ほんの少しでも)自由になっていけるものだと思います。

転載元:http://oka-jp.seesaa.net/article/419552414.html