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教室記録

宮崎亮馬と「あこがれ」について

2019.09.27 15:53

週に一つ、記事を書くことにした。


今週書きたいことをぼんやりと考えながら一週間を過ごす。


そして、書きたいことの通過点として、今日は宮崎亮馬に触れることにした。


ブログのもう1人の書き手である。


まず彼は、土佐の出身ではない。


付き合いは12、3年くらい。


彼の授業も彼のクラスも見たことがない。


彼は、ぼくの授業もぼくのクラスも見たことがない。


大学も違う。教員同士として関わり合うことも当時は思いもよらなかった。


宮崎亮馬の語ること、物の見方、レポート、それはほぼ「人」に焦点を当てた語りである。


どんなにテーマが決まっていても、自分の実践というより、教科論というより、「人」が出てくる。


もっというと彼が語るのは、大学時代あるいは教師になってから彼が出会った「あこがれの人」である。


本で出会い、実際に会い、そしてまた新たな文章から「あこがれ」を深める。


ぼくも面白そうだと思って、彼の「あこがれ」を読み、「あこがれ」る所へついていった。


それがまた、面白くて(新たなことを知るわくわくや勤務校の外にある新鮮な風を感じた)


ぼくはぼくで新しい「あこがれ」をもった。


創造的な実践を続ける姿勢、子どもに対し愛おしい気持ちで接する姿、優しくまっすぐな人柄、ユーモア、雰囲気、などなど。


そして、この職を前向きな気持ちで継続できているのは、「あこがれ」の支えが大きい。


病休5000人以上。ここには自分がよく知る人も入っている。両手の指は超えた。


自分だって、今ではそんなこともあったなぁという程度の記憶でも、その時はめちゃ辛いと思ったことは何度もある。


同僚に対してだったら「大丈夫ですよ、長い目でみましょうよ」とか言いそうなのに、自分の学級のことになると、なかなかそうは思えなかったりする。


1年あれば、そりゃ嫌なこともある。

・理不尽なこと。

・「今年、本当にこの子たちとうまく行くのかなぁ」と不安に思ったり。

・「学級が崩れないか不安だ」とフライング気味の指導が入ったり。

・けがさせたり、鬼ごっこしてて子どものメガネを壊したり。

・遅く帰る日が続いたり、疲れが取れなかったり。

・せっかく子どもと決めきったことに、大人の都合が入ってきたり。


上のようなことがもしも長期的に続いたらぼくも。休んだかもなぁと思うことがある。


とくに、ぼくは学級の子どもとのすり合わせに時間がかかって、5月6月までうまくいかないなぁという思いをすることが度々あった。


そこから、立ち上がり、学校楽しむぞモードに入るのは、たいてい夏休みだ。


夏休みに「あこがれ」にふれるからである。


「あこがれ」にふれるとエネルギーがたまる。


本来の楽しさを思い出す。


エネルギーがたまると、不安だという気持ちが、吹っ飛ぶ。


チャレンジしたいことや楽しみたいことでいっぱいになるからだ。


「あこがれ」にふれると、まだ30年辛い辛いが続くのかぁと思っていた気持ちが吹っ飛ぶ。


まだまだ未熟ものだということを心地よく感じ、がんばらねばと思う。


「あこがれ」にふれると、魂が喜ぶ仕事をしなくてはと、大切なことを思い出す。


物理的に不可能だと思っても、少しの時間を割く。


それが心地よい。


そしてエネルギー充電状態の夏明けに、子どもたちに会うとなんとも不安ばかりが膨らんだなぁと、反省もする。


久々に会うと安心する。心配はどこへやら。


まだまだ旅は続く。


自分の足と「あこがれ」に支えられて。