帝国対王国19-ウィーン二重結婚で帝国誕生
2019.09.28 02:06
皇帝マクシミリアン1世は、1513年ついに宿敵ルイ12世をブルゴーニュのギネガテで破り一矢報いた。この地はまだ21歳のマックスが、ブルゴーニュの姫を守り、フランスを撃破した地であった。今や50歳を過ぎ、皇帝は兜を脱いで白髪を見せ「まだ老いていないことを見せよう」と敵陣に突進したという。
またこの戦いにはヘンリー8世も参戦した。これは大法官トマス・ウルジーの戦略で、大陸に覇権国を出さないという英国の基本戦略である。しかし若い英王は自分のデモンストレーションのつもりだったようだ。
ルイ12世はミラノを放棄したが、新王フランソワ1世になるとあっさり奪還してしまった。16年に皇帝は兵をあげたが、最新鋭の大砲に全く歯が立たず退却した。そしてフランスはヴェネツィア連合軍と、その勢いのまま、プレシア、ヴェローナをまた皇帝から奪還した、何というシーソーゲーム。
しかし結婚政策は強いハプスブルク。ハンガリーとボヘミア王ウラースーロ2世の嫡男ラヨシュが皇帝の孫マリアと結婚、マリアの兄のフェルディナンドがウラースーロ2世の娘アンナと結婚した。このウィーン二重結婚によって、もう少しするとボヘミアとハンガリーがハプスブルクに転がりこみ、ハプスブルク帝国ができあがるのである
下はウィーン2重結婚