8. 自己否定は必要ない
昨日は"腐った性根(しょうね)をむしり取って捨てる"なんて過激な表現をしてしまいましたが、言いたかったのは
イヤだと感じるのは『部分』
ということです。
例えば、人は失敗なんかしちゃうと
「自分はなんてダメな人間なんだろう」
と、人間である自分の存在を丸ごと否定したりします。
そして
「どこで人生間違えたんだろう」
とか
「生きてても意味ない」
とか
生きてきた事実も含めての、まるごとの自己否定。
こんな自分がイヤだ、と思うことは、そりゃああると思います。人間だもの。
けれど、それは、その部分だけ。
その部分が、『あなたの理想とするあなた』と違うからイヤだ、感じるだけ。
だったら、そこだけ捨てればいい。
どうやって捨てるのかというと
「そうなんだねー」
と思って、手放す。
手放す、というのは、執着しない、ということです。
そこで忘れてしまう。
流れを書いてみます。
(すべて自問自答です)
「こんな自分がイヤだ」
↓
「どこが?」
↓
「人の悪口言っちゃうところ」
↓
「そうなんだーそんな風に思うんだねー」
↓
「うん」
↓
手放す(忘れる)
すべて、自問自答です。
そうして、これができるようになると
自分とは違う価値観や意見も受け入れられるようになってきます。
(スピリチュアルの話にはよく『手放す』という言葉が出てきますが、『手放す』には『受け入れている』ことが前提です。
持ってもいないものを手放すことはできないんですから。
だから、自分の嫌なところや違和感があったら目を背(そむ)けないでください。
「手放しチャーーーーーンス ! ! 」
と喜んでください。)
「そうなんだーそんな風に思うんだねー」
と受け入れた後に
「でも、他にも良いところいっぱいあるよ」
とか無理矢理ポジティブに持っていく必要はないです。
というより、やらないでください。
自己啓発的な自分磨き的な本やブログには
こういうポジティブというか前向きにする考え方が多いですが
このブログは『宇宙的な考え方』が基本です。
宇宙にはポジティブもネガティブもありません。
失敗も成功もないし、原因も結果もないし
良い悪いもないし、正しいも間違ってるもない。
すべてあるがまま。
で、善(よ)し。
じゃあどうして、私たちは自分のことが時々イヤになったりするのか。
自分を責める自己否定なんてしてしまうのか。
次回はそのことについて書いていきたいと思います。