谷坂隧道
村田鶴という人物がいます。
この人はごくごく一部の人たちにとっては、「西の村田鶴、東の三島通庸」と称される偉人です。
村田鶴は大正から昭和初期にかけての滋賀県庁職員です。
彼は隧道に熱意を燃やし、様々な隧道を滋賀の地にもたらしました。
彼の作品の中で有名な4つの隧道、
佐和山隧道
横山隧道
観音坂隧道
そして今回紹介する
谷坂隧道(たにさかずいどう)
前後の県道も合わせてレポスタート!
さて舞台のオープニングは国道365号(まだまだ出るよ!)。
自治体としては長浜市です。
長浜市は2010年に東浅井郡虎姫町、湖北町、伊香群木之本町、高月町、余呉町、西浅井町の6町を編入し、いっきに滋賀県最大の陸地面積を持つ自治体となりました。
敦賀市民としては、3年が経とうとしている今でも、隣が長浜ってのは変な感じがするもんです。
ちなみに陸地面積最大と書いたのは、琵琶湖内の面積を含めると1位は高島市になるという滋賀県ならではの理由があるからだったりします。
琵琶湖は滋賀県にとって何よりも優先される母なる存在です!
上の写真を左折した先がこの写真。
滋賀県道265号郷野湖北線(ごうのこほくせん)
実は先ほどの交差点は終点ではなく、国道8号が終点となる県道です。
この道、谷坂隧道を除く特徴を上げるとするなら、まさにこの写真のとおり。
ぐねぐね
ぐねぐね
ぐねぐね
ぐねぐね
酔うわ!
どういうルート設計やねん!!
右へ左へグネグネ曲がって、挙句の果てにはノーヒントの交差点!
もう直進という選択肢は消えております。
まぁよくよく見れば、曲がった先にヘキサもありました。
片側1車線の夢も泡沫の如く消え去り、いつもの平穏が戻ってきました。
少しずつ山裾が近づいてきましたね。
とくれば・・・!
ぐねぐね
ぐねぐね
いい加減にしてくれ!!!
しかし違う意味でグネグネしてきた県道は、隧道への期待を高めるに十分な線形で登っていきます。
廃線利用かと疑いたくなる築堤の上を走っていますが、そういうことでもない様子。
まぁあのグネグネ道を列車が走れるとも思えないので、まぁ無理ですよ。
しばらく走ると彼は程なく現れます。
しかし・・・
すっげえ存在感!!!
城かお前は!!!
中世の古城のような佇まいを見せる谷坂隧道。
蔦が垂れてるのがまたオシャレですね。
笠石にデンティル(のこぎり状の飾り)、扁額、ピラスター、全て揃ってます。
そしてその配置も美しい。
笠石と迫石も綺麗です。
これが冒頭に名前を上げた村田鶴の最高傑作にして最後の作品。
使われ始めたコンクリートを利用したピラスターと石材を使用した迫石の関係が面白いです。
いわゆるRC(鉄筋コンクリート)製と石作りが合体したまさに昭和初期ならではの隧道と呼べるのではないでしょうか。
内部は古いRC隧道に良く見られる光景が広がっていました。
ちなみに最近のトンネルにはPCが使われています。
RCはひび割れを想定した作り、PCはひび割れしない作りと考えられます。
つまりあと100年後も、2013年竣工のトンネルはひび割れも無い状態かもしれませんね。
廃を愛する者としては少しさびしい気も・・・。
村田鶴が滋賀県庁に勤務していた時代に竣工した隧道は他にもたくさんあります。
賤ヶ嶽隧道
百瀬川隧道
湖北隧道
鈴鹿隧道(拡幅工事済)
大崎2号隧道
檔鳥坂隧道
草津川隧道(開削済み)
などなど・・・。
これらの隧道もそんじょそこらじゃお目にかかれないような立派なポータルを持つ隧道たち。
きっとこれらの作品も村田鶴が設計したものであると僕は信じています。
この時期にこんな懐古主義的な隧道を量産したのは恐らく彼だけでしょうし。
「この道往けば」では今後も彼の足跡を辿り続けます!
これは!!
檜峠で発見した謎の石碑!!!
火葬場の跡って噂ですよ・・・。
同じもの初めて見た・・・。
そして明らかに古い橋を越えればゴールはもうすぐそこ。
滋賀県道264号高山長浜線(たかやまながはません・レポ未)にぶつかって今回のレポは終了です。
しかし貧弱な交差点・・・。
県道同士には見えない・・・。
さて先ほども決意を述べましたが、僕はこの村田鶴という人物の足跡を追いかけようかと考えています。
他にも調べてる方がいらっしゃるようなんですが、ある意味ただの公務員である彼の足跡をたどるのは並大抵ではないらしく、その多くは謎に包まれています。
何か情報をお持ちの方は是非お知らせください!
以上、谷坂隧道編