~その歌声はビロードのような光沢ジェシー・ノーマン~
1945年9月15日 - 2019年9月30日)
アメリカ合衆国のソプラノ・メゾソプラノ歌手
オペラ歌手として世界的に著名であった。ソプラノ・ドラマティコの声質と圧倒的な声量を持ち、アイーダやカッサンドル、アルチェステ、レオノーラなどの厳粛な役柄を得意としていました。
ジョージア州オーガスタの出身。両親は揃って音楽愛好家で、ピアノを得意とする母親と、地元の教会で聖歌隊員をつとめた父親との間に生まれました。
彼女は、ハイスクールまでを地元オーガスタで過ごし、幼少期にすでにノーマンは歌うのが好きでした。彼女は、マリアン・アンダーソンとローザ・ポンセルに深く感銘を受けました。そして、彼女は奨学金を得てワシントンにある名門黒人大学のハワード大学で音楽を学んで卒業しました。その後、彼女は、ピーポディ大学とミシガン大学でも学びました。翌年1969年にベルリン国立歌劇場にてリヒャルト・ワーグナーの《タンホイザー》のエリザベート役により、オペラ歌手としてデビューを果たしました。
彼女は、その後もドイツやイタリアのさまざまな歌劇場に出演を重ね、
メトロポリタン歌劇場には、同歌劇場の創立100周年を記念して行われた定期公演のうち、ベルリオーズの《トロイ人》の上演によって初出演を果たしました。
1972年に、彼女はクラウディオ・アバドの指揮の下でジュゼッペ・ヴェルディ「アイーダ」をミラノ・スカラ座で歌いました。
1981年からは彼女は、ザルツブルクフェスティバルに招かれリサイタルに度々出演しました。
1983年には二ューヨークのメトロポリタン・オペラに初出演しました。1987年に彼女は、
ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮の下でオペラ「トリスタンとイゾルデ」を歌いました。
1982年、彼女はヘンリー・パーセルのオペラ「ディドとアイネアス」のオペラの舞台に出演しました。1983年、彼女はメトロポリタンオペラに初めて出演しました。そこで彼女は、ヨハン・シュトラウス作曲「ナクソス島のアリアドネ」作品60を歌いました。
1985年、彼女はウィーン国立歌劇場でも「ナクソス島のアリアドネ」を歌いました。
1980年代と1990年代にかけて、彼女は、主にスカラ座(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演)、ロイヤル・オペラ・ハウス、ザルツブルク音楽祭などに招かれました。
彼女は、オペラ歌手としての活動の他、リサイタルではアリアや芸術歌曲、黒人霊歌を謳っていました。1990年代以降、彼女はクラシック以外のジャズも歌い始めました。
1990年代初頭からは、ニューヨーク州クロトン=オン=ハドソンに移り住み、「ホワイト・ゲーツ」と呼ばれる屋敷で暮らしていました。
2019年9月30日、脊髄損傷の合併症による敗血症性ショックと多臓器不全のため亡くなりました。74歳でした。
2013年ジェシー・ノーマンとキャスリーン・バトル
1980年ジェシー・ノーマンとキャスリーン・バトル