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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 もう親子関係が遺伝子とか血のつながりということではなくなったフランス国民議会の決定

2019.10.04 22:00

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 もう親子関係が遺伝子とか血のつながりということではなくなったフランス国民議会の決定

 今週も土曜日のエロの日である。

今週は、またさまざまなニュースがあったような気がする。それでも山梨の行方不明の少女の話と、拘置所から脱獄した恐喝犯人の話というような「社会面」の話が主流であったような気がする。実際に政治や外交は今週はあまりなかった。まあ10月4日に国会が開会し、来週所信表明、そして代表質問、その後、委員会というような感じで来週以降国会が正常化することになるので、そのことから政治面は来週以降になるのであろう。

その国会で話題になるのは小泉進次郎大臣の答弁であろう。まあ、セクシーがどうなったかとか、具体策はどうなるのかなど、まあ様々なところで面白い話になるのではないか。基本的に「保守」と「革新」というような二つの内容があり、内閣が保守寄りの場合に、革新に近い考え方をした大臣は、「与党政権で側である」ということから、間違いなく、野党からは攻撃の対象とされ、また、与党からは「左翼的である」として、誰からも助け船を出してもらえないということになる。その状態を「抽象的」な受け答えで何とかなると思っていては間違いであろう。単なるヒラの議員と大臣とは全く責任の重さが違う。また大臣になったことで「期待感」ではなく「実績」や「実行力」が評価の基準になってくる。単純に「人気」というだけでなんとかなるというようなものではない。その状態で、どれだけうまく国会を乗り切ることができるかは、かなり楽しみなところであろう。

一方、海外に目を向ければ、当然に「香港のデモ」である。特に10月1日の国慶節(中華人民共和国の建国記念日)における香港デモで、高校生が警察の放った実弾に斃(たお)れた。まあ、命に別状はないということではあるが、将来の若者に関してかなりさまざまな問題があるということになる。実際に「犠牲者」が出ればデモは収拾がつかなくなる。「取り返しがつかないこと」をすれば「その責任を誰かが負う」か、あるいは「最後までその路線を進む」ということになる。つまり、香港のデモは今後対立が激化するという予想になる。天安門事件のようになるのはいつのことであろうか。

まあ、そのような感じの中で、「エロ」を追求するのである。


女性の同性愛者や独身女性に体外受精認める法案、仏下院で可決

【AFP=時事】フランス国民議会(下院)は27日、女性の同性愛者や独身女性が、提供された精子を使って子をもうけることを認める法案を可決した。この法案は国内で物議を呼んでおり、既に来月抗議デモが予定されている。

 同国では現在、体外受精などの生殖医療技術を利用する権利は異性愛カップルに対してのみ与えられている。

 法案が成立するためには、今後上院で可決される必要がある。

 この法案は、エマニュエル・マクロン氏が2017年に大統領就任後、最大となる社会改革を象徴するものだが、これにより「父親のない」子どもたちが生まれるとして、保守層だけでなく与党内部からも怒りが噴出している。 【翻訳編集】AFPBB News

AFPBB News2019年09月27日22時07分

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/afpbb/world/afpbb-3246787?fm=ranking


 さて、またフランスである。

先日、土曜日のエロの中で「フランスの裁判所が出張中の売春婦とのセックスで労災を適用するという判決を出した」ということで、話題にした。どうもフランスというのは、「性」とか「家」という概念に関してかなり寛容なのか、あるいは「多様性を認めている」といえばいいのか、それとも、先進的といえばいいのかよくわからない。いずれにせよ、私のような少し古いタイプの日本人には到底理解できない話が少なくない。

まあ、フランスというと、19世紀松に「世紀末芸術」というような、ひとつの時代の転換期に特有な文化的な現象や諸形態、とりわけ終末観あるいは終末の予兆を指しているといわれており、デカダンス(退廃)やスノビズム、懐疑主義などとほぼ同義で用いられる内容の芸術が少なくない。まあ、その芸術品としての価値に関しては、私は全くよくわからないというような感じなのであるが、一方で、「世紀末=退廃的」というのは「終末思想」に近く、またその終末思想が「タブーに対して寛容になる」というような感じになるのではないかという気がするのである。

ではタブーとは一体何なのであろうか。

ある意味で旧約聖書の「ソドムとゴドラ」において、ソドムの罪(ホモ・セクシャルときにソドミー)については、古来、『創世記』19章前半、特に19章8節のロトの提案内容から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。新約聖書においても、「ユダの手紙」において「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、淫らな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています 」との記載があり、ソドムやゴモラが「不自然な肉の欲」によって罰されたことを古代のユダヤ地方が伝承していたことが確認できる。このように、 旧約聖書では創造神ヤハウェは、男と女が結ばれるべきだと命令している。

しかし、なぜか時代を経て、いつの間にか同性愛は「人権の一部」ということになり、そして、今回は「同性愛者や独身女性に体外受精を認める」という法律ができたのである。ある意味で、「自分の子供の父親がわからない」という状態が「正常化する」ということになる。もちろん「エロい性行為」なしに子供ができるのであるから、それはそれでよいのかもしれないし、女性しか愛せない女性にとっては良いことなのかもしれない(私自身が女性ではないので全くその価値観はわからない)。しかし、ある意味で生まれてきた子供がある程度大人なって成人した時に「自分の父親はだれなのか」ということを疑問に思ったときにどのようにするのであろうか。

ある意味で「子供が欲しいが結婚したくはない」という人権を認めたということになるのかもしれないが、それは現在生きている人の人権を認めたことにすぎず、これから生まれてくる子供たちの精神的な内容まで考えたことではないのではないか。そのように考えた場合、子供たちの育て方などに関する内容まで、国家が何らかの法案で保護するのかどうかということが大きな問題になってくることになるのである。

つまり、「父親のない子供たちが、育った時に、どのように国が保護するのか、又は精神的なケアをするのか」ということが大きな問題になる。

また、これはもう一つの男女差別を生むことになる。つまり、「女性は体外受精できるが、男性同士の同性愛カップル、または男性の独身者は、どのように子供を作るのか」ということを全く考えておらず「男性に著しく不利益をもたらす法案」ということになる。そして「家」「家庭」とか「血統」というような概念をすべてうちこわし、個人というような感覚でしか物事を考えないような状況になってしまっているのではないか。

旧約聖書のヤハウェは、当然に、そのような「個人の権利の将来生まれてくる子供の権利」をどのように考えるかということを言っているのであろう。「現在の人々の享楽だけを追求することに制裁をする」ということが大きな問題であったはずだ。しかし、そのことが全く見えていない状況で、このように「人権」という言葉で、将来の子供たちのことを考えない法案が出てよいのかはかなり疑問である。また男性に著しく不利というのは、男性として面白くはない。

もっと単純に言えば、ここまでやるならば父親がわからなくても構わないということになるのであるから、究極的には「フリーセックス・フリーマタニティ」というような感じで、女性が誰の子供を宿したかもわからず、子供は一か所に集めて、社会が育てるというような、要するに家庭などということをすべて否定して、「人間が子供を産む工場、社会が子供を育てる工場のようにする」というような状況になってきてしまうのではないか。ある意味で、「古い概念」に縛られないといえばそれまでだが、そのようなことでよいのか。非常に疑問である。