明日香 田居から都、そして田居
2019.10.03 10:22
この時期、葛城古道に劣らず彼岸花に彩られる明日香村。橿原市から南へ向かうと、藤原宮跡から広がる田んぼの中に、ぽっかり盛り上がった丘に出会います。
大和国中でこれくらいの森があると、だいたい古墳だったりするのですが、これは違う。飛鳥時代から存在した自然の丘でした。名前は雷丘(いかづちのおか)。ふもとには犬養孝さん揮毫の歌碑があります。
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも 柿本人麻呂
天武天皇を神格化して讃えた歌、とされますが、実際にこの低く、取り立てて特徴もない雷丘を前にすると、ただの言葉遊びだったような気もします。あるいは、現実の丘よりも「雷丘」の名に意味があったのでしょうか。
雷丘から東南に1キロ弱、多数の木簡が出土した飛鳥池工房遺跡の上に建つ県立万葉文化館。少し高台になったテラスから、7世紀の古代日本の政治の舞台だった飛鳥古京が一望できます。正面に見えるのは甘樫丘。田んぼの部分が、真神原と呼ばれていたようです。
ここにも犬養さん揮毫の万葉歌碑があります。
大口の 真神が原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに 舎人娘子
真神というのは、オオカミの意味です。オオカミが出るような広い原っぱ、家もないのに、雪に降られると右も左もわからなくなってしまう。
歌の構成は「苦しくも 降りくる雨か 三輪崎 佐野のわたりに 家もあらなくに」と似ています。さみしい、心細い風景。舎人娘子は持統天皇の三河行幸に従っています。この歌を詠んだときは、宮が飛鳥から藤原に移り、かつて宮殿もあったはずの真神原も、雪にすっぽり覆われたのでしょうか。
大君は 神にしませば 赤駒の はらばふ田居を 都となしつ 大伴御行
巻三に載っている雷丘の歌に対し、この歌は巻十九にあります。「水鳥の 巣だくみぬまを 皇都となしつ」とうたう次の歌とともに、馬が腹まで浸かり、水鳥が巣を作る沼田を都に変えた天武天皇を、派手に賛美しています。
真神原を空から見ました。青で囲んだのが飛鳥寺、緑が万葉文化館、黄が伝飛鳥板葺宮跡、赤がみそぎの場が発掘されたばかりの飛鳥京苑池遺跡。さらに右手(南側)には川原寺跡や橘寺が続いています。
1350年前の「田居」は壬申の乱を経て天武持統の都となり、そして30年余を経て再び田居に戻って、今に至る。稲穂と彼岸花の海の中に、古代の宮殿を見ることができるでしょうか。