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『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』感想 〜リメイク作品のあるべき姿【ネタバレ】

2016.04.10 07:25

本日見てまいりました。

いやーよかった。よかったですよこれは。


僕はこの映画を見る前に、旧作の方を復習として見ていて、その感想もTwitterに

載せたんですが、何が良かったかって、

旧作の不満点がほぼ解消されていること!

もっと言えば、不満点を解消するだけでなく、

リメイクとしてよりよいものに昇華させていること!

これに尽きます。以下で詳しく書いていきます。



〈あらすじ〉

史上最大の家出!? 7万年前の日本へ!!

家出を決心したのび太たち5人は、タイムマシンで、誰もいない7万年前の日本に行くことに。原始時代の日本で、自分たちだけのパラダイスを作り、たっぷり遊んだのび太たちは、いったん家に帰ることにしたが、なぜか現代で原始人のククルと出会う。どうやら時空乱流に巻き込まれて現代に来てしまったらしい。そして、ククルの家族がいるヒカリ族は、精霊王ギガゾンビとクラヤミ族に襲われたという。ククルとともに原始時代に戻った5人は、ヒカリ族を救うため立ち上がる! 史上最大の家出から、史上最大の冒険が始まる!!

(公式ホームページより転載)



〈感想〉

前述のとおり、僕はまず旧作を見ているので、その感想と絡めながら書いていこうと思います。(※Twitterに投稿したツイートをそのまま引用します)


旧作から変わらなかったこと

①とにかくスケールが壮大だ

ドラえもんの魅力はなんといってもそのダイナミックさです。

「あんなこといいな できたらいいな」を、本当にやってのけるのがドラえもんなわけで、この作品でもその魅力が存分に発揮されています。ドラえもんは少年の夢を叶えます。

史上最大の家出とはよく言ったもので、子供の家出が結局日本誕生の物語になるというこのダイナミックな運び。藤子先生の頭の中はすごいですね。

もっと言うと、旧作はそのスケールのデカさでもっていたようなものだと思います。


②大人でも楽しめる仕掛け

この映画では、教養になる話がいろいろ出てきます。新作では、旧作よりもそういった話が多く出てきたように思われます。大人でもへぇ〜と言ってしまうような知識が得られることでしょう。

この辺も旧作同様、よく演出されていましたね。旧作のほうが演出は淡白なので、その分怖さは増しているのですが、それでも新作はけっこうホラーを出せていたと思います。ギガゾンビの恐ろしさもよく描写されていました。



以上のように、この新・日本誕生は、オリジナルから変わっていない部分も多くあります。ここで僕がすごいなと思ったのは、

どこを変えて、どこを残すかの選択がうまい

ことです。これが、リメイクとしてオリジナルをより良いものに昇華させることにつながっています。



旧作から変わったこと

①テーマがきちんと描かれる

旧作は、手放しに褒められるものではありませんでした。そのもっとも大きな理由の一つが、「得られるものがない」ことでした。

言ってしまえば、見終わった後に、「この話は何を伝えたいんだろう?」「結局何が言いたいの?」というクエッションマークに囚われるのです。

その原因は明白で、テーマの圧倒的な描写不足と、中途半端さによるものです。

旧作は、のび太とそのペットたち(ペガ・グリ・ドラコ)が、涙ながらに別れる場面で終わってしまいます。ククルとの関係はあまりフィーチャーされず、家族との関係も描かれません。ギガゾンビもタイムパトロールに捕まって終わり。つまり、のび太とペットの関係にテーマが置かれていることになります。

しかしながら、非常によろしくないのは、のび太とペットの絆の描写が、あまりにも不足していたことです。このために、最後のシーン、旧作のテーマが置かれる惜別のシーンで、何の感傷も起こらないことになります。目の前でのび太は泣きじゃくっていて、イイカンジの主題歌も流れているのに、視聴者は「あ、そう?」となり、温度差を感じざるを得ません。結果として、「まぁ楽しい話だったけど、それだけだな」という感想を抱く可能性が高くなります。

僕は、ククルやギガゾンビといった魅力的なキャラクター、そしてなにより「史上最大の家出」という、主題を置くにはもってこいの装置がいくつもあるのに、なぜペットとの関係に焦点を当てるのかよくわかりませんでした。家出がらみで家族愛を描くもよし。ククルとの友情を描くもよし。なのに提示されたのはペットとの惜別......。これではあまりにも惜しいです。


それに比べてこの新・日本誕生はどうでしょう。

僕がやって欲しかったことを全部やってくれました。

まず、ペットとの絆の描写・のび太のペットへの愛の描写。これがかなり追加されています。グリと一緒に遊んだり、ペガにブラシを当ててやったり、寝付けないペガとグリとドラコのために、のび太が一緒に寝てやったり......。のび太の「僕は君たちのお母さんだよ!」というセリフからも感じられるように、新作でののび太は、ペットに対してもはや友情や絆というより、母性愛を感じる域にまで達しています。これが最後の惜別のシーンに効いてくるわけです。

「家出」というキーワードも上手く利用されていました。というのも、新作では家出をされた親側の視点が描かれるのです。ここに、母親の息子への強い愛情を感じることができます。更に、この映画は、ペットとの惜別のシーンで終わるのではなく、家出から帰ってきたのび太に、のび太ママが「おかえり、のびちゃん」と言うシーンで終わります。良い変更だと思います(後で詳しく書きます)。

ククルとの友情もよく描かれています。なにせ、この映画のキャッチコピーの一つが「友情は、七万年の時をこえる」ですからね。クラヤミ族追跡シーンで、ペガに乗っていたのは、旧作ではのび太としずかちゃんでしたが、新作ではのび太とククルに変更されています。こういう何気ない変更にも、ククルとの友情を描く気概を感じます。

ギガゾンビはどうでしょう。そもそも旧作では、ギガゾンビへの対処はタイムパトロール任せという興ざめなオチでした。しかしながら、新作ではドラえもんたちがギガゾンビを追い詰めます。そしてギガゾンビを倒す決定打になるのが最後のドラえもんの攻撃です。このシーンも、かなり教訓めいた、示唆的なもので、この映画のテーマに直結しているように思われます。あっけなくギガゾンビにやられ、洞窟に閉じ込められたので、タイムパトロールを呼んで解決!!な旧作とはエラい違いです。

以上のように、新作で新たに追加された描写で、この映画のどのようなテーマがどのように見えてくるのか。それは後述しようと思います。


②戦闘シーンが迫力満点!

旧作の残念なポイントの一つに、「戦闘シーンの迫力に欠ける」というものがありました。ツチダマの衝撃波はチャチいし、ギガゾンビとドラえもんの戦闘なんて五秒で終わりです(誇張でなく本当に五秒なので見返してみてください)。

それに対し、新作ではそもそもツチダマの数が増えています。衝撃波は見てるこっちまでふっ飛ばされそうになるわ、実際にのび太は崖から落っこちるわ、ヒラリマントで衝撃波を跳ね返す描写も迫力あるわ......。そして新作での新要素として、ツチダマ以外の敵が現れます。具体的にはマンモスの顔をした巨大ロボットなのですが、この倒し方も新ドラでお馴染み、「映画の冒頭に出てきた道具を上手く使う」というもので楽しめます。新ドラは本当に道具を伏線的に使うのが好きですね。その後、ドラえもんはギガゾンビとヤリで戦いますし、しかも前述のとおり、その戦闘シーンにちゃんとこの映画のテーマを絡めてきています。

個人的に嬉しかったのは、

ドラ「22世紀の武器が通用しない...」

ギガ「こっちは23世紀だぞ!」

ドラ「1世紀負けた!!」

のやり取りが復活したことです。漫画で読んだ時に好きなやり取りだったのに、旧作ではカットされていて非常に残念だったので、新作で復活して嬉しかったです。


③かゆいところに手が届く

今作では、つじつまを合わせる努力が見て取れます。旧作で分かりづらかった部分や、ご都合主義的だった部分にも、ちゃんとした説明や理屈がついています。まさに「かゆいところに手が届く」、良いアレンジだと思いました。具体的には、

・毎度おなじみ、のび太による「ドラえも〜〜〜〜〜ん!!」への流れが自然(旧作では、ククルが時空乱流に巻き込まれたのち、何の前触れもなく突然のび太の叫び声だけ聞こえるという不自然な流れだった)

・クラヤミ族追跡にどこでもドアが使えない理由が説明される

・タケコプターが使えない理由が説明される

・タイムパトロールが来る経緯が旧ドラより無理がない(旧ドラでは、雪山で遭難したのび太の前にいきなりタイムパトロールが現れ、タイムパトロールを呼ぶボタンを渡すというなんともご都合主義的なものでしたが、新ドラではツチダマの解析をしたドラミによってタイムパトロールが呼ばれるという、旧作よりいくらか自然な説明がついていました。それでもなぜピンポイントにギガゾンビの基地の場所がわかったのか不明ですが......)


④示唆的な演出が物語の深みを増す

冒頭で、のび太はいつものようにママに0点の答案片手に叱られます。その答案の裏に、のび太はペガサスの絵の落書きを書いていて、更にママに叱られてしまいます。テストで測れないのび太のこのユニークさ・発想の豊かさが、後々ペガたちを生み出し、そのペガたちが物語のカギを握ることになると考えると、なんとも示唆的なシーンではないでしょうか(ちなみに、その後この0点の答案はドラえもんによって四次元ポケットにしまわれます。これにより、雪山でのび太を探すシーンで、ドラえもんが都合よくのび太の答案を持っていたことの説明がつくようにもなっています。うまい)。

ハムスターの世話を任されたパパのセリフもなかなか示唆的です。のび太が家出からなかなか帰ってこないと心配するママに対し、パパはハムスターをカゴから出しながら「いっつもかごの中だと窮屈だよなぁ」と言い、安心させようとします。家出も悪いことではないのだ、たまにはカゴから出るのも良いことだ。しかし、最後には子は親の元へ帰ってくるだろう。これは、この映画の主題ではないでしょうか。

この他にもまだまだ深みを感じさせる演出は多々あります。それについても後述しようと思います。


⑤のび太の優しさが描かれる

新作ではのび太の優しい面・素直な面が多く描かれます。ペガたちに対する愛情もそうですし、一人で起きていると言い放つククルに、むかつきながらも毛皮のマントを投げてやるなど、他の登場人物にはないのび太の優しさ(=強み)が描かれることで、ギガゾンビの魔の手からドラえもんを救いに来るのび太の活躍に説得力がつきます。

さて、以上のようなことを鑑みると、どうでしょう。新作での変更点はかなりうまく作用しているといえるのではないでしょうか。旧作の不満点を挙げた僕のツイートを載せてみますと、

このうち下から二番目の不満点以外全て解消されていることが分かります。



残念だった点

ここは、箇条書きでパッパと書いていきます。

・キャンプの後を追いながらクラヤミ族に近づいてゆくシーンは、もっと緊迫感があってもいい。BGMでドキドキ感を増やすとか

・神隠しの説明。旧ドラよりおどろおどろしさが少ない。◯◯年のどこどこで人が消えて〜みたいに、具体的な事例を挙げたほうがよりリアルで怖い(旧作では神隠しエピソードがいくつか説明された)

・ギガゾンビとドラえもんたちは、歴史を遡って土地を自分のものにしようとしていたという点では、同じことをやっているのだが、そこには明確な差がある。この差をもっと強調して欲しかった

・そういう意味で、例えばドラえもんたちが荒らした部分は元に戻すとか、洞穴住居を埋めて家に帰るシーンを挟むとかすれば、より締まりが良くなるだろう

・のび太とドラえもん以外の見せ場も作ってやろうよ

・おじいちゃんとのび太に言われて不思議がらないククル(ここは譲れない。細かいところに理屈をつけている今作だからなおさら)

・メッセージが多すぎる(ある意味嬉しい悲鳴。1個に絞ったほうが理解しやすいし、まとまりのよい作品になるだろう)

※家出したくなるタイミング良すぎだろとか、毎回家出する前にタイムマシンで戻れば怒られないじゃんとか、歴史への影響とかどうなのとか、あんな犬笛聞こえるかよとか、偶然たどり着いた洞窟がギガゾンビの基地って運良すぎだろとか、23世紀のギガゾンビがなんで負けんだよとか、タイムパトロールガバガバだろとか、そういうことにいちいち突っ込むのは......野暮かな。



この物語のテーマとは

リメイクに際しての種々の改善のおかげで、旧作に比べ圧倒的にメッセージ性の増した今作。では、この作品が伝えたかったことは、なんだったのでしょうか。なにせ印象深いシーンが多いので、これがこの作品のテーマだ!と一つに決定するのは困難です。というか、そんなものは視聴者がそれぞれ思い思いに解釈すればいいわけなのですが、それではこのブログの意味が無いので、ここではあくまで僕がこの映画から受け取ったものを書きたいと思います。


帰るべき場所

ペガとの別れを拒むのび太に、ドラえもんは言います。「ペガたちにとって何が一番幸せかかんがえなくちゃ。」結果、のび太はペガたちを空想サファリパークへ送ることに承諾します。ヒカリ族は日本という新たなホームを見つけ、クラヤミ族もギガゾンビの呪縛から開放され、もと住んでいた場所へ帰ってゆきます。ギガゾンビもタイムパトロールによって未来へ帰り、パパが世話を任されていたハムスターも飼い主のもとへ帰ります。そして、のび太たちも、史上最大の家出から帰還するのです。我々には、帰るべき場所がある。それが、いかに恵まれていることか。これを知らしめる映画、という側面を、僕は感じました。僕は旧作を見たあと、なぜペットとの惜別のシーンで終わらせるのか甚だ疑問でした。しかしながら、今作では最後のシーンにたどり着くまでに、丁寧に積み木が積み立てられ、同一のテーマのもとに様々な要素(それは、ペットとの別れであったり、ククルとの別れであったり、家出であったり)が有機的に結びつくことで、最後のシーンの意味や、映画の主題というものを効果的に訴えかけることに成功しているわけです。


連綿と繋がる歴史

もう一つのテーマは、歴史でありましょう。今作には、ジャイアンとスネ夫が、新しい住処をつくろうとするヒカリ族に、未来の便利な道具を貸そうと思いつくも、ドラえもんに断られるというシーンがあります。このときドラえもんは言います。「人間は、工夫をして、じょじょに便利な道具を生み出していくんだ。未来の道具なんか貸したら、歴史がめちゃくちゃになっちゃうんだよ。」いや、旧石器時代にテーマパークを作ろうとしてたお前が言うなというツッコミは置いておいて、この言葉はある意味至言といえるでしょう。ライターを使えるのは、火を発見した祖先がどこかにいたからだ。今のわれわれは、連綿と繋がった祖先あっての存在なのであり、それを忘れてはいけない。それを忘れていたギガゾンビは、ドラえもんの攻撃の前に倒れます。原始的な石ヤリを軽視して、ドラえもんの持つ22世紀のひみつ道具としての石ヤリばかりに気を取られていた結果、ギガゾンビは祖先の偉大な力の前に敗れるわけです。


自立は大事だが、仲間も必要

この映画は、登場人物(とくにのび太)の成長物語ともとれます。「誰の力も借りずに家出する」ことを目論んだのび太でしたが、雪山のシーンで挫折するわけです。もちろん、ククルに貰った犬笛を吹いて、自分で助けを呼んだという観点から見れば、確かにあのシーンはのび太の自立シーンとも言えそうです。しかしながら、あれは成長であって自立ではない。言ってしまえば、犬笛を持っていたのはククルに貰ったお陰だし、救助されたのは、犬笛の音を聞きつけたペガたちのお陰です。大事なのは、犬笛をくれるような友達をつくれるか、自分の助けを聞きつけるほど慕ってくれるペット(家族)を育てられるか、だと思いました。ギガゾンビとの対決シーンでのドラえもんのセリフ、「一世紀の違いだって、仲間がいれば怖くないぞ!」は、このことを端的に表しているように思えます。




以上、この映画について長々と語ってきましたが、まだまだ語りきれていない部分は多いように思います。まさに、見なおせば見なおすほど、新たな発見のある映画です。そして、この映画は大人もバカにできない。むしろ、大人も進んで見るべきだし、かといってもちろん大人向けの映画ではない。旧作よりも出てくるひみつ道具の数は増えているし、見所もたくさんあり、子供はかなり楽しめるだろう。家族揃って見るべき映画の一つと言えるでしょう。




P.S.

↑旧作のこのシーン、新作にもカットされずに入っていましたね。満足。