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【ESSAY #2】”自分の言葉で語る” ということ

2019.10.01 19:00

(※以下、出産前の2016年6月ドイツにいた頃に書いたものです。)


 先月、ドイツ語中級B1の資格試験を受けた。Hearing/ Writing/ Reading / Speaking (presentation) の4パートからなる、約5時間の大がかりなテスト。

 

  費用も時間もかけるからには!!と、

分厚い過去問を1冊仕上げ、Speaking以外は自分なりに準備したつもりだった。

 

  結果は不合格。

Speakingのプレゼン終了時点で、自分のポイントが各パートの合格ボーダー:6割をきっていたのだ。(57点)

 

  くそ~!プレゼン以外は、結構できたのに。

他のパートの点数も教えてもらえないで不合格なんて。


  受験勉強並に図書館に通い詰めてやった、

この1か月以上の苦労が水の泡。

正直目の前が真っ暗になった。

 

  また、一番苦手のプレゼン(「ニートをどう思うか?」、「オーガニック食品の是非」などのお題をその場で与えられ各自10分プレゼン+質疑応答)も、致命的なミスをした覚えがなかった。

 

  でも、いざ試験を振り返ってみると。

私の最大の敗因は、プレゼンを

【自分の言葉で語っていなかったこと】だった。

 

  グループで行われるプレゼン試験で、

私のグループは、前のグループが終了時間をオーバーしたため、幸いにもお題を受け取ってから【規定の準備時間:3分】の3倍以上、10分ほどの時間があった。

 

 そこで私がやったこと。

プレゼンメモを通常、箇条書きで用意するところ(3分では箇条書きが限度)、

時間があるの利用して、ガッツリ文章原稿を

用意したのだった。

 

 見事に、私のプレゼンは、

自分の用意した原稿を読み上げることがメイン。

詰まることなく、文法や言葉の間違いは極力避けられたと思いきや、突然、試験官がプレゼンの途中遮って、

こう言った。

 

 「あなたが今やっていることは、プレゼンではないですよ。紙を読んでいるだけ。それはプレゼンとはいいません。

今私達の目を見て、思っていることを話して。」

 

 うむむ、、そうなんだけどな…。

勿論分かってはいたのだが、

その後も最後まで、紙から目を離せず、

私のプレゼンは終了した。

 

 その間、頭の中にあったことは、ただ1つ。

”文法上ミスのないドイツ語を、途切れず話し続けること”。

 

 文法が複雑なドイツ語は、

途中で文法間違いに気を取られていると、

頭が真っ白になっていくのは目に見えていた。

頭がフリーズして次の言葉が、出てこない。

 それを避けるには、

”限りなく正しく話し、絶対に途切れないこと。”

それが、正解だと思い込んでいた。

 

 終わって、この状況をドイツ人の友達に話すと、

「いや、それは一番ダメだよね。」

 

  プレゼンを重視するヨーロッパでは、

幼稚園からプレゼン訓練を受ける。

 彼女のプレゼンの授業では、

「紙を読み上げた瞬間、0点」という

厳しいルールさえあったとのこと。

 

 場の空気をよく読み、臨機応変にその場に合う言葉を探して言う。

 伝わらなければ、間違っても別の言葉で言い換えて、何とか、自分の考えを伝えようとする。その”柔軟さ”や”反射神経”が最もコミュニケーションに大切な姿勢だと。


 文法や言葉が間違えていても、途切れても、

【自分の考えを伝えること】。

これが、私達に求められるプレゼンテーションだと。

 

 その言葉を聞いた時、恥ずかしさでいっぱいだった。

 日本人のプレゼンが昔から酷いのは、世界で有名な話。

 企業/官公庁の会見でも、誤認を恐れるあまりの、原稿ナレーションのようなプレゼンにすっかり慣れっこだ。

 

 しかし、そのプレゼンに熱が感じられるか。

プレゼンテーターの想いがどこまで伝わるのか。

たとえ間違いがあっても、

その場の空気を読み、言葉を必死に紡いだプレゼンと比べ、

聴衆にとって心に響くのは、どちらなのか。

答えは明らかだ。

 

 日本の教育や社会の基本は、

「予め用意された正解を求めること」。

「極力間違いを起こさないこと」。

 

 でも、本当に強いのは、

誤認や間違いを恐れず、

”臨機応変に、誠実に、話すこと”、

”自分の熱を伝えること”

なんだと思う。

 

 自分のプレゼン能力の拙さ、

 日本のプレゼン教育の重要性。

身銭をきって体験する、まさに身に染みるとは、こういうこと。

 

 この1か月強の勉強期間、

試験代の200ユーロ、くそー!!

悔しい気持ちはいっぱいだけど、

謙虚に実力不足を反省し、

これが学べただけでも大きかったんだろうな。

 

 これからは、たどたどしくても、

自分の言葉で、誠実に、

熱を伝えることを、

精一杯意識しようと思う。


 ▼B1試験を落ちた日、ドイツ人の友人がくれた手作りCertificate。笑 

→試験は落ちたけど、いつもドイツ語で伝えようとする気持ちは十分B1レベルだよ、と。オフィシャルのCertificates よりも、ドイツでこんな友達をつくれたことが1番の財産。



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