愛知県の前方後円墳
2019.09.01 02:55
魏の歴史書「魏志倭人伝」によると
魏の皇帝が邪馬台国の王 卑弥呼に239年、「親魏倭王」の称号と金印
銅鏡百枚を下賜したとする記述があり、その権威を背景に卑弥呼は国内を治めました。
3世紀後半ごろ、各地に大きな墳丘をもった古墳が出現し
4世紀後半頃には、九州南部から東北地方南部におよび、多くは
前方後円墳で、墳丘の表面には葺石がしかれ、埴輪がめぐらされていた。
愛知県では、西尾市正法寺古墳、豊川市船山1号墳、名古屋市熱田区断夫山古墳
などが造られました。
古墳をつくった各地の王が、大和地方の王を盟主として政治的な連合体を形成して
大和王権が成立します。
参考文献
愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編1』愛知県(2016)
東京書籍『新選日本史B』尾藤正英ほか(2011)
〈愛知県ゆかりの地〉参考リンク
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