別の時代に生まれても歴史上の人物は、偉業を残すことができたのだろうか。
1978年に生まれた私の世代は、就職氷河期の真っ只中で、なかなか就職先が見つからなかった。私自身は就職活動自体をしていなかったので、実感はなかったが、それでも周りの友人たちは随分就職に苦労していたような印象を受けた。
2019年の現在、来年には東京オリンピックが行われ、消費税が増税された。人口減の問題が徐々に顕在化され、人手不足の問題も大きな問題になりつつある。
では、今の時代が良い時代なのか、それとも悪い時代なのかと問われれば、個人的には、良い時代のような気がする。多様性が少しずつ認められたり、テクノロジーの進化によってさまざまなものが便利になった。純粋にこれはこれで良い時代のような気がする。しかしいっぽうで、別の人から見るとあまり良い時代とは思えないのかもしれない。要は、人それぞれ受け取り方が、異なるだけなのかもしれない。
現代に坂本龍馬が生まれていたら、やはり大事を成し遂げていたのだろうか。龍馬を敬愛する孫正義のように一大事業を成し遂げていたのかもしれない。龍馬の性格上、おそらく会社員は難しいだろう。いずれにしても何らかの実業家や経営者になっていたかもしれない。
また織田信長が現代に生まれていたらどうなっていただろうか?実際の織田信長は、織田家の将来の棟梁として生まれた。現代でもどこかの政治家の2世として生まれていたら、立候補して大きな国策を提案し、国を変えていたのかもしれない。しかしながら、出自がごく平凡は家庭だったら、彼は平凡に生きていたのかもしれない。
なにかの偉業を生み出す時、個人のパーソナリティと共に、外的要因がとても重要だと感じる。
パーソナリティがあり、本人の弛まない努力、行動があり、そして周りの環境が良い作用を生み出す。致し方ない部分と共に、自分自身の力をつける努力が必要だろう。
そしてこういった偉人たちのパーソナリティを紐解いていくと、多少の差はあれども、それなりに周りにインパクトを残していたのではないかと推測される。それがたとえ歴史を変えるほどのことはなくても、周りの人間や周りの環境を大きく変えて、彼等独自の生き方で世の中を切り開いていくのではないだろうか。それが歴史的偉業となるかどうかは、外的要因によるところが大きいとしても。
私たちの生まれた時代を考えても、時代的背景はあれども、やはり自分自身でやるべきところはしっかりやっていかなければいけない。育った環境や外的要因があれども、それを言い訳にすることはできない。時代のせいにするのは、最後の最後なのかもしれない。