BETTAKO -其の132-
また…終売か。
そう連絡を受けたのは、つい先日。
昨年…終売されたとか。無念でなりません。
それは2006年頃から、鹿児島や宮崎などでは、
製造する蔵がサブ代用し続けた銘柄達が、
終売をし続けている。
1997年。
鹿児島県は薩摩半島の、廃業した蔵のご家族と
街に佇む小さい居酒屋で話をしたことがある。
父は大変でした。
売れなくても、作らなくてはいけない…。
必要とする人がいる限り、作らなくては…と。
少しの笑みを浮かべ、照れてるようにも見える
その表情は、当時の苦労と心労、造りという
自縛からようやく解き放たれた安堵感、自分には
到底判ることのない、葛藤があったのだろう…。
そう感じ得た笑みだった。
焼酎の蔵元は、今だに売れて欲しい…。
そう2019年になった今でも、その切実な思いを
ラベルの裏側で叫び続けている。
◎旧ラベルの復刻投入
◎季節限定品の投入
◎飲み方の自由化
◎クソ小洒落たラベルの投入
売れるためなら何でもする。
主権というドス黒い権力を持つ、都府県の酒屋
その手の上で今だに転がされているのが実情。
あらゆる手段を投じ、もう一度当たって欲しい、
希望の光眺めていても、大人の諸事情で、
古き良き昭和の銘柄達は、新しい記憶に
塗り重ねられ、終売し続けている。終売という
その流れは、もう誰も止められない。
それは、「日本酒」も同じこと。
お酒自体は消費者の手元や口元には届く。
しかし本当の実情は、けっして届くことはない。
昔…。
池袋の炉端焼で言われたことがある。
今は亡き黒瀬安光杜氏からの言葉。
踊るか踊らないかは、自分で決めるもの。
力のある者から言われ踊り狂えば、それは
猿回しと一緒。
自分をけっして見捨ててはならぬ…と。
自分が今…この2019年。何ができるのだろう。
自分が焼酎と共に歩み続けてきた28年。
構想10年。
本当の焼酎とは何なのか…。
そう企画書を友人と投げ合っている。
感謝です。地場産業の人達よ。