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Tomoco KAWAGUCHI 川口智子

多和田葉子『夜ヒカル鶴の仮面』リーディング

2019.10.07 11:46

【2020年継続中のプロジェクト】



2019年11月16日(土)多和田葉子 複数の私 vol.04 関連企画として、多和田葉子さんの戯曲リーディングを行います。


昨年11月、多和田葉子さんの『動物たちのバベル』をくにたち市民芸術小ホールにて上演しました。今年は、引き続き、geisho stage creationというシリーズで、多和田さんが1994年に発表した『夜ヒカル鶴の仮面』のリーディングを行います。

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私にとって、劇作家との出会いは、とても大事なことです。

多和田さんの著作はもう何年も前から読んでいて、特に『エクソフォニー――母語の外へ出る旅』(2003年、岩波書店)は大好き。何度でも、読み返したくなるし、何度読んでも、新しい発見がある1冊。

多和田さんのことばには、音と、言葉と、音楽と、意味がある。それがバッハのように奏でられることもあれば、ワーグナーのような大きな空間で響くこともあれば、日本語の童謡のように話しかけられる時もある。

そんな多和田さんのことばと出会い、いつか上演したいと思っていたのが、今回の『夜ヒカル鶴の仮面』。2000年に講談社から発刊された「光とゼラチンのライプチッヒ」に収録されていて、同書の中に収められている『捨てない女』も大好きな1篇(こちらは戯曲という体裁ではないけれど)。

『夜ヒカル鶴の仮面』を上演してみないかとお話をいただき、正直、普通の創作プロセスではかなわないと思いました。実は、2016年に東京学芸大学の演劇ゼミ(学生の自主的な集まり)にて『夜ヒカル鶴の仮面』の試演会を行っていますが、本当にこの戯曲は手ごわい。ただ、あの時、学生メンバーのつくった仮面のクオリティが素晴らしかったこと、発語される戯曲のことばがユーモアにあふれていて本格的に取り組んでみたいと思ったことが、これから始まる一連の作業の礎となるので、当時の学生メンバーにはとても感謝しています。

そんなわけで、この先すこし長い期間をかけて、この戯曲の上演に取り組んでいきたいと思います。その第一弾が今回のリーディングです。

リーディングというと、舞台上に並んで座った俳優が台本を読む、とか、台本を持ったまま半分立ち稽古のような形での上演と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、リーディングという演劇形式の可能性はそれにとどまらず、一番大切なのは戯曲の存在を明らかにすること、だと思っています。

その戯曲が、そのことばが、その背景にある作家の身体が、そこに存在すること。その存在の仕方を可視化(可聴化)できるのがリーディングではないかと思います。そのためには俳優たちの身体と共に、演劇として遊び倒していく必要があります。

今回の『夜ヒカル鶴の仮面』のリーディングは、まさにPLAY、どんな遊びが開発できるか、出演者と一緒に劇場で遊びながら作っていきたいと思います。

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それから、この企画を共に推進してくださっているのが、TMP(多和田/ミュラー・プロジェクト)です。

詳しくはこちらのTMP設立宣言をご覧いただければと思います。

ドイツ演劇研究者の谷川道子さんを中心に、多和田葉子とハイナー・ミュラーをめぐる様々な演劇実践と研究が、つながり、共に作業し、何かを織りなそうという、そんな壮大な取り組みの一端でもあります。

今回のリーディングの企画においても、このために小松原由理さんがドイツ語から訳し下ろされた『オルフォイスあるいはイザナギ』が、小山ゆうなさんの演出で上演されます。ほかにもたくさんの企画が繰り広げられておりますので、是非、あわせてご覧いただけましたら嬉しいです。

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【11月7日 追記】

11月6日、多和田葉子さんと一緒に朗読ワークショップを行いました。

「わたしのことば、わたしのくにたち 朗読会」と題された会の内容は18名の参加者があらかじめ書いてきた400字詰め原稿用紙×5枚までの文章を、集まった人の前で朗読するというもの。え、それだけ? と思われそうだけれど、シンプルで豊かな時間でした。

集まった文章は、詩、小説、エッセイ、写生のように情景を浮かばせるものもあれば、音楽が流れてくるようなことばもある。統計のような硬めの体裁をとったり、シナリオのように複数人の台詞を書いたものもありました。

「朗読」とか「リーディング」というと、書いたもの、書かれたものを音読する、それ以上に定義がないように思うけれど、18人18色の朗読を聞いていると、「文学」における朗読の幅の広さに気付く。

当たり前のようだけれど、聞く朗読もあれば、見る朗読もある。一緒に読む朗読もあれば、一緒に書く朗読もある。それぞれのテキストが、それぞれの朗読という行為を形づくるし、もちろん、読む人からの働きかけもある。

ことばそれ自体、も聴こえながら、読んでいるその人、も見えて、音楽のようになったり、写真のようになったりもする。そして、作者自身が読んでいるという特有の緊張感が朗読の空気を支えていた。

さて、いよいよ来週末は『夜ヒカル鶴の仮面』のリーディング上演。

4人の俳優たちと一緒に、戯曲を読むという遊びをやってみたいと思っています。

そんな遊びを考えようと、お稽古前少し早くついた国立。昨日の朗読を聞いたせいか、最近よく通っていた国立が少し違って見える。いつもは、駅前のコーヒー店ですませてしまうけれど、ちょっと冒険をして昔ながらの喫茶店に行ってみよう。

2階建てのレトロな喫茶店、もっと静かな場所だと思っていたら、マダムを中心に大変な賑やかさで、20人くらいの人が一斉に喋っている。笑い声が響き、ひとつひとつの言葉はほぼ聞き取れない、日本語ではない言葉もある。近くの人より遠くの人の声が聞こえたりもする。人の声を聴いているのが心地よい。

そういえば、昨日の朗読の中でも「声になる/声がある」ということを感じたりしたんだった。

ノートに残したメモを見返すと18人の朗読がよみがえってくるから、やっぱりとても豊かな時間だったのだと思います。

『夜ヒカル鶴の仮面』リーディング上演は11月16日(土)15:00から、くにたち市民芸術小ホールにて。終演後に多和田さんとのトークもあります。是非、お運びください。


みなさまのお越しを、劇場でお待ちしております。

川口智子