資本主義と共産主義って極端すぎない?
久しぶりに書く上に、あまり本編(自分の思想信条や記録など)とは関係のない話になるのだけれど。
国家の方向性として理想なのは資本共産主義にならないかなぁ、なんてよく思うんです。そんな言葉ないけど。
僕は比較的、国内では経済的に恵まれてこなかったけど、資本主義が好き。その方が夢あるし。
共産主義ってどうしても平安の代わりに前進もない気がするし、過去に独裁政権とかも生んじゃってるから、いくら平等と言われても推せないよね。
一方、資本主義は自由経済だけど、それが貧富の差を生むことが大きな問題。実際、その格差で救われない人は少なからずいるし、上に立つ人はそれをあまり気に留めてない印象。結局、お金がある人が勝つし、もしかして権力も握れちゃうなら共産主義と同じ独裁が可能になるんじゃないかって。そしたら極端な資本主義も推せないよね。
結論、僕は資本主義をやめないべきだとは思う(これは、自分が思う生きる意味についての話も関係している)けれど、格差がある、つまりスタート地点が生まれた時から違うというのはどうも納得いかないわけで…
恵まれた環境でぬるま湯に浸かってる人。
夢があるのに経済的な環境のせいにして諦める人。
僕はどちらも嫌いで、人にはもっと人間らしく生きて欲しいと常々思うわけです。人間らしくってなんだよ、という話についてはまたいつか…
結論の話だけど、資本共産主義とは、定義づけるなら、根幹は資本主義。ただし、持つものは持たざる者へ。持たざる者は持てる努力を。そして、経済に良い影響を持っていない、猫に小判状態のお金持ちの人からはお金吸い取っちゃうよ〜みたいなもの。
吸い取ったお金で、まだ若い人たちに教育(ビジネス教育や教養も含む)などの投資をして、スタートラインを合わせる。特に倫理観というのは、その後の人生に大きな影響を与えると思うから、知ってる人もいるなか何か自分だけ知らないことがあるというのは論外。知らないを言い訳にさせない方法。
この考え方の大事なポイントは2つ。
1つは、スタートライン合わせるから、各自努力してね。努力足りなかったら、将来それまでの生活になっちゃうよ〜というもの。
もう1つは、ありあまる富は分け与えなさい。ということ。この世界に生まれたことに感謝し、未来への投資に協力しなさい。というなんとも宗教ちっくだけど、人間の倫理にものすごく忠実(だと思われる)考え方。
資本主義との大きな違いは、子供時代に、教育や経験の面で貧富の差を起こさないということ。
共産主義との大きな違いは、あくまで平等なのは子どものうちで、大人になってからも同じだと思うな。ということ。
理想論かもしれないけど、これって取り入れ方によっては世界平和にも繋がると思うんですよね、倫理教育を平等に受けれるし、その上経済発展は途絶えないし。まあ、実際やってみたら違うみたいなこともあるだろうけど、そこは穏便に、ね。
クラファンや税金など、持ってる人が持てない人を間接的に支援している仕組みは今の世の中たくさんあるけど、そこだけを切り取って話したいわけじゃない。この記事で強調したいのは、スタートラインの話。
スタートライン、生まれてから自立するまで(早くて中学生かな、でもどんな遅くても成人するまで)の過程において貧富の差が影響していることによって、怠ける若者、それを良しとする大人(怠ける若者もゆくゆくはこんな大人になる)が社会を動かしている。その大人たちの多くは、地球で起こる社会問題をなんとも思わない。自分のことで精一杯。なぜそうなるか。意識低いんじゃないの?みんな。て思うし、その解決策としても、さらなる経済発展に期待を寄せる意味でも、資本共産主義社会があってもいいと思うんです。
スタートラインだけは、平等であるべき。人によってアドバンテージはあるにしても、ディスアドバンテージは絶対絶やすべき。
そしたらそれに救われた人の中から、未来をもっと面白くする人が現れるかもしれない。みんなが寄ってたかって社会貢献を意識するかもしれない。あるいは、個人規模でそれぞれが生きる幸せを、その人が望み努力する者なら誰でも叶う世の中になるかもしれない。
これが僕が思う、人間なら誰しもが、人間らしく生きられるための社会づくり。なんちゃって。