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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

我ここに立つ6-ルターと枢機卿の「悲劇」

2019.10.09 01:37

アウグスブルクの帝国議会はハナから険悪なムードだった。ヴァチカン側の使者であるカイェタヌス枢機卿は、オスマン十字軍のために金が欲しいと言うが、諸侯は「どうせ贅沢のための金だろう」と受け付けなかった。相当ヴァチカンは嫌われていたのだ。

ルターの招請も、ヴァチカンはローマにするつもりだった。しかしザクセン選定候フリードリヒ賢公は場所をドイツせよと主張した。このザクセン候は、教皇レオ10世の思惑では次の皇帝候補だった。教皇は、ハプスブルクもフランスも強大な力を持つのは望まなかった。

一番驚いたのはルター当人だった。「論題」はあくまで神学的討論のためであってこんな大ごとになるとは思わなかった。ところがヴァチカンは枢機卿に、ルターが撤回しなければ逮捕か破門という権限を与えていた。枢機卿は神学の大家であったが、ルターを誤解し、ルターは枢機卿の考えに慣れていなかった。ルター派とカトリックの共同文書はこの出会いを「悲劇」と書いている。

ルターは「取り消さないが今後沈黙している」と言った。そこで妥協すりゃよかったのに、なおも取り消せと迫り、あとは押し問答で終わった。ルターは数日間滞在し、枢機卿への手紙を書いたが、友人の手引きでこっそりヴィッテンブルクに帰った。

下は枢機卿とルター