我ここに立つ7-ライプツィヒ討論絶体絶命
2019.10.10 01:52
1519年1月17日、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が、後継者を決まらないまま崩御した。この時点でドイツは国主を失いバラバラになったわけである。ルターは教皇特使ミルテッツと、双方公的に意見を発表しない合意をして、事態は沈静化に向かうと見えた。
そして6月27日から、ザクセン候のもとで、ライプツィヒで討論を行うことにした。ヴァチカン側はルターも尊敬する神学者ヨハン・エックが立った。はっきり言って、こういうディベートは、何でも真正面からしゃべるルターは不利。最初は神と恩恵についての神学論争だったのだが。
討論は教皇権の問題に移った。エックは「教皇権を認めないなら異端ヤン・フスと同じではないか」と問うた。これに対してルターは、「フスにも福音的なものがある」と応え、最後には「教皇も公会議も、謝りを犯すこともあった」と言ってしまった。
してやったり、とエックが思ったかどうか定かではないが、明確に異端として処刑されたフスを絡めることにより、ルターが、自分はフスと同じ異端です、と認めたということになったのである。もうルターの破門の運命は決まってしまったと言っていい。