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人物紹介 その4

2019.10.11 06:25

相良五郎(70歳)

精神構造分析を始めて、ことしで55年になる。

分析に取り掛かったのは、中学3年の9月、ちょうど東京オリンピックの年だった。

9人兄弟の末っ子だった私は、長崎港外の端島(通称・軍艦島)で生活していた。

最盛期のにぎわいは失われていたとはいえ、気象が荒い炭鉱マンが数多く生活していた島には、特殊な人間関係があった。こうした生活環境の中で育った当時の私は、言動が粗暴で、思っていることと行動することのバランスが取れずにいた。

そうした中、精神構造分析を始めたのは「思うとは何か」「行動するとは何か」と考えたことかがきっかけだった。

思いを巡らせる中で「思考と行動の関係は何か」「思考の成り立ちは何か」「自分とは何か」「心とは何か」「心の仕組みはどうなっているのか」と自問自答していった。

その後、自分なりの答えをノートに書き留め、さらに、実際の行動と考えを記録するようになった。

次に自分だけではなく、周りの人の言動もつぶさに記録していった。

書き留めたノートは、膨大な量になった。

結果的に、この行動が精神構造分析につながったと考えている。

もちろん思春期真っ只中の少年にとって、心配事や悩み、不安がなぜ突然、心に出現するのか、その解決方法は何か、分からないことばかりだった。

宗教心理学や哲学などの本を読みあさったが、求める答えは見付けられなかった。

答えを探し出せないと焦りが生まれ、時には周囲にあたることもあった。

答えがない時、自分自身に言い訳して逃避していた。

こうした状態が40代半ばまで続いた。

その途中で知ったのが、東京慈恵会医科大の初代精神科教授の森田正馬氏が提唱された森田療法だった。

うつ病改善の精神療法として多くの病院で取り入れられていた森田療法に、私も30年以上取り組んだ。

精神障害者の福祉施設を開所した後は森田療法を用いて自分や入所者の心の改善を試みたが、思うような成果を得ることができなかった。

その原因が、森田療法はうつ病の予備軍には有効だが、うつ病になっている人には効果がないからだという結論に達したのは、しばらくたってからだった。

納得いく回答を得るため、複数の精神科医や保健所の職員、大学教授などと何度も膝を突き合わせて問答を続けた。

一途に、心の仕組みを追求する中で、自分なりに導き出したのが、自分の意識(思考方法)を当たり前ではなく「ありがとう」から考える「さがら療法」だった。

よく「一番の苦労は何か」と聞かれるが、ひたむきに「心の仕組み」を追い求めて来たので、苦労を感じたことはない。

強いて挙げれば、うつ病の原因や誘因、キッカケを見つけた後が私にとっては苦痛だった。

自分だけでなく周りの人も楽になってほしいと考えたが、医療という壁に突き当たったからだろう。

うつ病に対する多剤投与には、多くの心ある精神科医も警笛を鳴らされている。

しかし、代わりの治療方法を見つけられず、やむなく投薬治療が続けられていることが最も辛い。

精神科医をはじめ医療関係者が、うつ病の原因は脳内の情報伝達物質であるセロトニンが不足していることにあるとして、うつ病を脳内の病気としてとらえている。

確かに分裂病(統合失調症)や躁うつ病(双極性障害のⅠ型やⅡ型)、認知症は脳内の情報伝達に問題がある。

しかし、うつ病の場合、脳内の情報伝達は正常に行われている。

心の免疫機能が正常に機能しているため、心の¥に喜怒哀楽が生じるのである。

現状の医療でうつ病は病気だと定義されているが、正常だからうつ気分になるのだと認識を改めなければ症状は改善しないというのが私の結論である。

現代社会に必要なのは、うつ病の治療よりもうつ病の予備軍にいる人々の心(考え方)を健康にすることだと考えている。

私の願いはただ一つ。

さがら療法を通じて、社会から不登校や引きこもり、いじめ、虐待、DV、犯罪、自殺、摂食障害といった「心の癖」をなくすことである。