2008-09-01 慢性炎症性脱髄性多発神経炎の話(3)
この際なので、徹底的に総ざらいしてみることにしました。「慢性炎症性脱髄性多発神経炎」の病歴を乏しい資料と記憶を元に、これから何回かかけて、「the総括!」してみようと思います。
> いつもおいでくださってる方々、申し訳ないけどこれも話の流れってことで、しばしお付き合いいただけるととても嬉しいです。ご容赦くださいませ。
【CIDP発症と経過 その1(発症から入院まで)】
~私の場合~ 発症当時20歳女性
199×年 3月ごろ
突然右腕に痛みが出て、挙上(特に体側から横に腕を挙げる動き)ができなくなる。痛みが出るのは特に上腕三頭筋(外側の筋肉ね)で、体側から45度から90度の角度で疼痛がひどく、上までの挙上は自力では不可。→ 周囲の反応は「50肩じゃないの?」てなかんじ。(いま思っても、確かに動きの制限は50肩みたいだけれど、肩関節周囲が痛いことはなかったなぁ。)とにかく、上腕三頭筋の痛みと、不快な痺れ感があった。当時、運転教習所に通っていたので、「きっと無駄に緊張して余計な力が入るから、腕が痛くなっちゃったんだろうなぁ」と、考えていた。(でもね、免許が取れてからも痛みは取れないどころか、増悪したんだなぁ・・・)
199×年 5月ごろ
痛みと痺れは上腕だけでなく、前腕部にも広がる。食事のときにお箸を使うことが難しくなったり、ボタンかけが難しくなったり、巧緻性の低下。また、手が挙がらないので、箸を口に運ぶことができなくなり、その時点では比較的問題の少なかった左手で食事を取るようになる。→ 周囲も「なんかちょっとおかしい?」とは思っていたらしい。たぶん普通だったら、この時点で何かしらの医療を求めて病院に行くと思う。でも私は負けず嫌い、へそ曲がりだったなので、意地でも周りには隠し通すつもりでいた。(←ヘンな奴。だからいろんなことがこじれてしまうのだ。)
199×年 6月ごろ
階段を上るのが苦痛。なるべく駅の階段の少ないルートを選んで通学するようになる。手だけの痛みと痺れではなく、明らかに足にも症状が広がってきていることを自覚する。どこかで和式のトイレに入ったとき、しゃがんだまま、立ち上がれなくなった。お尻まるだし状態で。「どうしよう・・・この格好でこのまま便器に落っこちるわけにはいかないよねぇ・・・」
もうホントにとにかく必死。力が入らず、痛む両腕で、必死に壁を押さえて身体を支えながら、なんとか立ち上がった。なんだか、とんでもないことになっていることはわかったのだけれど、それでも「なんとかなるだろー」と、周囲には一切そのことは話さなかった。だって、そんなこと聞いたって困るでしょ?みなさん。(それでも絶対病院に行くつもりがなかったのだよ、私は・・・どうかしてるよね、といまさらながらに思う)
199×年 7月初旬(だったと思う)
駅の階段をなんとかかんとか必死に上っていたら、足がもつれてものすごい勢いでカエルがつぶれたみたいに両手を開いて転んだ。(階段を下りるのもたぶんこのころはもう怖かったんじゃないかと思う。あんまりもう記憶がないんだけど) 階段がとにかく苦しくてたまらない。足が上がらないのだ。ぜんぜん。これでさすがに観念して、母親に話をした。(ホントーにこのころ不仲でね。絶対に口をききたくなかったし、自分が病気だなんて弱みを見せるのは、とにかく耐え難いことだったのですよ。それが嫌で病院にも行きたくなかったわけです。それほどに母親のことは嫌いだった。これはもうなかなか他人様からは理解していただけないのですが、まぁそれぞれいろいろ事情があるってことで)
→ 近医にて受診。(このクリニックが入ってるビルの階段の傾斜がきつくてきつくて・・・上れなかったし、下りられなかった。腕が痛いから手すりにもちゃんとつかまれない。これを見て、親としてはただ事じゃない状況を理解したらしい) 即、紹介状が出て、大学病院送りになった。
→ 紹介状のあて先は脳神経外科だった。(ということは、最初にかかった先生は、中枢系の病気を疑ったってことですわね) 反射とかいろいろ、簡単な徒手検査とかをして、脳外の先生は一言、「あぁ、これはうちの管轄じゃないね」 ということで、今度は神経内科へGO! (いまだったら、まずは中枢系を疑って、違ったから末梢神経の問題だろうってことで、神経内科になったってことだとわかるけど、当時はそんなことわかるわけもなく、とにかく不安だった)
→ で、即入院。経口でステロイド(えーっとね、忘れもしないプレドニンでしたね)の大量投与を開始いたしました。
ということで、ここまでが入院前。以下また続く。(2008年9月1日)