2009-01-10 秘密
私がまだ勤務鍼灸師だった頃。
診療時間ももう終わりで、もう他には誰も居なくなった広い広い治療室で、治療の仕上げに仰向けで私に首の後ろのマッサージをされながら、その寡黙な男性は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「昨日、会社を休んで、死のうと思って出かけたんです。でも、最後の最後になって、怖くて、だめだったんです」
そのとき、一瞬あっと息を飲んだ私は、そのまま変わらずに手を止めずにいることがせいいっぱいで、そのあといったい何を話したんだっただろう。
そんなことをふと思い出した。
あのとき、どうすることが最善だったのだろう?
ときどき、そんなことを繰り返し思い出しては、考えるのです。
そうだな。
あなたなら、どうしますか?
答えは、、、わからないな。
答えはひとつではないよね、きっと。
身体は単なる物理的なモノであるだけではなく、ときに心と呼ばれる現象と不可分。無防備な相手の身体からは、ときとして、こちらが思いもかけない言葉や反応が出てくることがあります。
それにね、極端な話、相手の身体に何かすることによって、もしかしたら、こちらが悪意を持って、意図的に相手を操作することだって可能かもしれないわけです。(私にはそんな高度な技術はとてもないですけどね)
なんらかの身体技法を用いて、明るく、楽しく、ハッピーに、「キモチいい」「幸せ」「癒された」なーんてもろもろの現象を引き出すことはもちろん悪いことじゃないし、「癒し」とか「リラクゼーション」とかいう類の言葉が流通して、社会的な認知が高まった事には、良い面がもちろんたくさんあるんだと思うし、私自身だってその恩恵をたくさん受けている自覚があります。
だけど、だけど、だけど。
その影には、わけのわからん不合理とか、黒くて暗いものもいっぱいあるよ、ってことはちゃんと意識しておいた方がいいよなぁ、と思うのです。ときどき。
以前お世話になった先生が、カルト宗教の例を出して、「身体技法の怖さ、危なさをちゃんと認識した上で行おう」みたいなことを、何度も話していたのがありありと思い出されます。
うまく表現できないんですが...
怖いことあるんですよ。ときどき。
「科学や合理性を重んじる医療従事者」だと、こんなこと大きな声でいう人は少ないのかもしれません。ふだんは私もそんなこと全然考えてない。基本的には私は、ドライな合理主義者だと思う。
でも、そんな私だけどときどき、やっぱり厳然として、わけのわからん世界に、素手で触れている感触がはっきりとあるのです。なんなんでしょうね。
それにそもそも、相手が言っていることが、全て本当かだってわかりはしない。そうでしょう?
新年は明るく前向きな話だったので、ちょっと反動つけてみました。
光が明るければ明るいほど、影は濃くなるのですよね。
光と影。どちらもないとね。(2009年1月10日)