終りと始まり
2019.10.12 01:02
人は一度与えられた生の中で、そう望むなら何度でも生まれ変わることができる。
人生何度でも、いつからでも、そう望んだ瞬間から方向を変えられる。
『今ここ』にいる。
その場所と
その場所にいる人と
自分が一番心地よい状態でいる。
自分にウソがない状態でいる。
少しでも違うことはしない。
純度を上げることが光はより広がる。
より遠くまで届く。
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今年の春分の日の朝、『心と体について探求している限り答えは見つからない』とわかりました。
『無我夢中』の中に私の求めていることがある、とも言われました。
空はわかる。瞑想で行ける。
夢中もなんとなくわかる。
だからなんとなく『無我夢中』の意味もわかったような気になっていました。
けど、わかる、とわかったような気になる、は同じようで全然違う。
2日前、『無我夢中』の感覚が突然わかって、それは、いわゆる『ゾーンに入る』ことでした。
時間の感覚がわからなくなるほど没頭する。
私には、過集中のクセがあるのだけれど、それが私の無我夢中でした。
知らないうちに、体の感覚も頭の感覚もなくなるくらい、やっていることと自分が同化している。
『無我夢中』が、私にとって純度を上げていくカギ。
方向を与えてくれるものは『表現』。
次の世界は、この『ゾーンに入る』純度をどれだけ上げられるか。
それがテーマのような気がしています。
今まで長い間、体と心について探求してきたのは、次の世界を楽しむために必要だったからだなと思います。
次の世界でまたお会いしましょう。