【本当に必要なものはなんですか?】
こんにちは、からだとこころの調整屋 つちだです
2月頃からのまったりおやすみ期間では、こちらの【身の廻りを整える】でも書いたのですが、使っていないものを手放す、要は断捨離みたいなことをやっていました
GWに実家に帰省もしていたので、実家の物と、東京の住まいの物を両方ともですね
僕が今回、残すものと手放すものとの基準にしたことは
それがもう既に『自分の中に在る』と感じるかどうか、と、それが今現在ではなく『過去の物』かどうか
過去好きだったものを今も好きで良いのですけど、大体そういうものって、もう必死でかみ砕いて咀嚼して飲み込んできたので既に自分の血肉になってたりするんですよね
血肉になってると、目をつぶれば質感や感情など鮮明にいつでも思い出せます。
じゃあ、これもう持ってなくていいんじゃね??って事でどんどん手放していきました
ちなみに逆にまだ『自分の中にない』と感じるなら咀嚼しきっていないものです
学びきっていない、みたいな事ですね。なのでそういうものは残しておきました。
新しいものを招き入れるためには、今在る物を手放していくことが大切とはよく聞く話ですが、今回やってみて気付いた点をいくつか
・必要「かも」、使う「かも」、というものがあまりにも多い。それが無くなっても案外気にならない。(本や衣服、紙の書類が主で、半分以上処分しました。テレビも手放しました。すっきり。)
・思い出のものを増やすことで自分を満たした気になっていた
(本当は新しいことで満たしたいのにその手間や一歩踏み出す怖さを回避する為の代替え品としての思い出で満たそうとしてた。結果こころの奥底は満たされません。)
・物置にしまっているくらいなら、もっと必要としてくれる人に渡った方が嬉しい
(子供の頃のおもちゃやプラモをヤフオクに出品し結果15万くらいになりました。驚きと共に保管指示出した昔の自分とそのまま置いといてくれた親に感謝)
・手放していった結果どうしても捨てられなかったものや残ったものは、結構自分にとって大事なもの
(例えば僕の場合は、プラモもういらないかなと思ってたけど、未完成のだけ残りました。完成したプラモは必要ない。未完成のプラモは想像力を掻き立てられワクワクするので必須みたい。施術、仕事も手放してみようかと思ったけどそれはしっかり残りました笑。そういえば人間関係も気づいたら関わらなくなった方も結構多い。)
そんなわけで、身の廻りに在る物事の「好き」「必要」という精度が上がり、自分自身の人生に対してより丁寧に取り組むことが出来るようになりました。
「好き」「必要」とか「ワクワク」とかそれ以外のものはもういらないかなって思います。
こころがとっ散らかっている時は家もとっ散らかって居ることが多いので、なんだか最近スッキリしない方や、物事が進まない、停滞してるなんて時はまず身の廻りの整理から始めると良いかもしれませんね。