ZEISS(ツァイス)④
著者は、ツァイスレンズについて、豊富な知識を持った方です。本書には、ツァイス・イコンカメラの傑作や、ツァイスレンズの設計者たちについての詳しい記述が見られます。しかし、本書の見所は、著者が東ドイツを訪れた紀行文だと思います。
1977年に訪れたベルリンでは、駅の周囲に鉄条網がはりめぐらされ、ほぼ10m間隔で多数の兵士が立っていたそうです。また、兵士は手に自動小銃を持ち、通過する列車を監視していました。列車が停車すると警官が列車に乗り込み、あっという間にドアが施錠され、パスポートのチェックが始まりました。これらは全て、不法移民を取り締まるためのものです。20~30分の停車の後、発車した列車の車窓から見た東ドイツ領のベルリンは、大戦中の空爆で破壊された教会が、まだ真っ黒な姿を晒していたようです。
著者は、東ドイツ消滅直前の1989年7月にも、再度東ドイツを訪問しています。再訪したベルリンは、以前ほどの警戒感はなかったものの、入国審査は厳しく、「ビザが切れた場合は逮捕するぞ」と脅されたそうです。東ドイツ領内では、東ドイツマルクへの両替で2時間待ちの列、列車の切符購入でも長蛇の列と、たいへんな苦労をされました。
カール・ツァイスイエナ工場では、写真レンズの歴史や開発のエピソードを尋ねても返答はなく、新製品の宣伝ばかりが語られたようです。国営企業となっていたカール・ツァイスイエナ社は、外貨獲得が経営の最大の目的になっていたのでしょう。
著者の見た消滅前の東ドイツは、おんぼろグルマと黒い排煙、活気のない商店街、車窓から見えた雑草の目立つ荒れた農地。そこに、社会主義の破綻を見たような気がしたと述べています。
40年余りの長きにわたって、東ドイツ領内の国営企業カール・ツァイスイエナ社は、社会主義国という環境で開発や生産を続けました。しかし、東西ドイツが統合された際には、経営上破綻の危機を迎えます。その危機を救ったのは、西ドイツのツァイス社です。西ドイツツァイス社は、わずか1マルクで国営企業カール・ツァイスイエナ社を買収します。ツァイス社の歴史は、ドイツの歴史そのものだと私は感じます。
(ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月9日。ドイツ民主共和国(東ドイツ)が消滅したのは、1990年10月3日です。)
参考文献:カール・ツァイス 創業・分断・統合の歴史,小林孝久,朝日新聞社