九成宮醴泉銘 全搨本(製本・整紙本)展示
9月下旬の学園祭校内書道展では、書道の探究学習の一環として欧陽詢(おうようじゅん)の九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)の全搨本(製本・整紙本)を展示しました。
参考:「法帖と拓本 / 全搨本(製本・整紙本)の重要性」掲載記事
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書道で扱う素材は文字です。その文字は先人が叡智を結集して作り出し、長い歳月をかけてその文字に「美」を与えてきました。
その文字の「美」を学ぶためには、先人が遺し学ばれ続けてきた書の名筆(古典)を学ぶ必要があります。
文字の「美」を学ぶには、それらの書の名筆を鑑賞したり、その名筆を構成する様々な要素を実際に書いて学んでいくことが大切です。
その学びのためには、「法帖」が必要になります。
◆ 「碑法帖・集帖」や「製紙本・製本」を手に持つことの意義
我々が書道を学ぶ際には、名跡の石碑の拓本を介して先人の書蹟の書きぶりに触れる学習が必要となります。
特に名筆の臨書学習では、このような拓本の存在は必須です。また、過去の書家たちも多くこのような拓本の名品を蒐集・鑑賞・臨書したりすることによってその腕を磨き、自分の世界を確立して行きました。
拓本とは、石に文字や絵などを彫って石刷りしたものです。そのほとんどは文字を彫ったものですが、彫りこんだ石の上に紙をあてて、墨をつけた打包で叩くか擦るかしてうつし取ります。
ですから剥がした紙は、そのほとんどはちょうど黒板にチョークで書いたように、文字の部分は白抜きになります。
しかし、拓本は全体の大きさがはなはだ大きかったりするなど、体裁が学書に向かないことが多いものです。
このような拓本を学書に用いるには、手元で使えるように作り直さなければいけないことになってきました。
文字の「美」を学ぶ書道の学習では、原石に大きさのままの拓本を手元に置くことは不可能なので、全体の姿を行ごとに切り取り、本仕立てにして、学ぶ人の手元におけるコンパクトなテキストを作成する必要が生じてきたのです。
そこで、高等学校の書道の学習では、石碑全体を『全搨本(製本・整紙本)』、碑の拓本を用いやすい大きさに切り、紙へ貼りこんで法帖のように仕立てたものを『剪装本(碑帖・集帖)』と分けて、学んでいきます。
よく、書道の一斉学習で、先生が「今回学ぶ○○○碑の特徴をしっかり法帖を見て学習しましょう」と授業の場で伝えることがありますが、その意味は、正しくは「今回学ぶ○○○碑の特徴や書風を剪装本・碑帖・集帖からしっかり学び取りましょう」となります。