三坂基文、という人
私が「鹿児島デザイン協会」に所属したのは、たった2年間でした。三坂基文という人の縁で加入。三坂さんとは、デザイン百覧会での「Tシャツ百覧会」「オトナノカタリバ」の2つを立ち上げました。それと並行して第一回「ミュージックギャラリー」のキャスティング、制作にも関わりました。
あの2年間は、忘れることはありません。とにかくとても忙しかった。「忙」まさにこの字。正直言うと、私は心を失いかけました。
それでも頑張れたのは、信頼出来る人々との「確認作業」。私は私自身の「軸」がブレないように走りきりました。「たった2年間で何が走りきっただ?!」という人も居ました。けれど時が経つと、私のこれまでの動きを評価してくださる方々が現れたのも事実で。私はデザイン協会を辞めてから1年以上経った頃に初めて評価されました。
辞める、という決断は、三坂さんにはとても伝え難いものでした。私との話の後に三坂さんがSNSに上げた「気持ち」は、誰と書いていなかったものの、私への事で。今でも私の心にカサブタのように刻まれていて。けれどそれでも、こんなに「出会えてよかった」と思える人はいません。
「オトナノカタリバ ケース3」
私自身がレポートした、オトナノカタリバの三坂さんの記事。もう何年も前のものですが、これは本当に改めて、残していてよかったなと思えるモノです。
鹿児島において、文化としてのアートを先頭で引っ張ってきた三坂さんの功績は、簡単には追い越せないものばかりです。近頃はキュレーターという存在も「軽く」なってきましたが、こういう人が居たからこその今と思えば、全く意味が違います。
「ホワイトギャラリー」という場所は、出逢いと学びを与えてくれました。三坂さんだけでなく、あの場で会えた人々全てに感謝したいです。三坂涼子さんにも。大いなる「花」を手向けたいです。
三坂基文という人が居たこと。
鹿児島の下竜尾町にギャラリーが在ったこと。
今でも不思議な気分なのは、
私だけじゃないと思います。