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風とたね

ママの家には帰らない

2019.10.16 02:21

「ママの家には帰らない」


2歳の娘が家出宣言をした。

そして実際に決行した。

満月の2日前のことである。


そもそも事の発端は、私自身がとても氣に入った保育園に娘を預けたことである。

10月1日、「保育園~♪」とドキドキしながらも喜んでいる様子の娘。

しかし、保育園に着いた途端「??」という顔。

先生に上手にあやしてもらいながら、不安げな顔で私と別れ、2時間後、門扉に張り付いてお迎えを待っていた。

先生によると「ママに電話して」とはっきりとのたまったらしい。

「ママのことだから信用ならん。忘れん坊だからね。」といったところであろうか。

園では「トイレはママと行く」「お茶も家で飲む」と、トイレボイコットにお茶ボイコット。

しかしながら徐々に慣れていく様子もあり、朝は大泣きするものの、先生ともしっかりお話ししているようだったし、お友達もとてもよくしてくれていたので、私は「これは案外とすぐに慣れて、楽しく登園できるようになるかもしれんな」と楽観視していた。

一度はお弁当の日もあり、公園に歩いて行って、お弁当を全部平らげてきた。

「全部食べたの?」

「うん!」

「おいしかった?」

「うん!」

「ママ、嬉しいよ~^^」

「うん!!」

誇らしげな娘。

成長を感じたし、これは良い調子だとホッとしていた私。


そんな中、2週目の金曜日に初めてのお昼寝トライ。

静かに寝始めるお友達の姿に不安になったのか、大声で泣き始め、祖母にお迎えに行ってもらうことに。

祖母の車の中で眠った娘はそのままうちに帰ってきて、寝続けていたのだが、寝ながらもず~っと泣いている。

何時間も泣いている。



そして土曜日の夜のこと。

娘ふたりは祖父母宅で日中楽しく過ごし、いざ帰らんとお迎えに行くと、

「ママの家には帰らない。ママはいやだ。」と泣き叫び、祖母の家から出ようとしない娘…。

私は静かにショックを受けた。

「いやーっ!!」と絶叫する娘を連れても行けず、とりあえず祖母の家にお泊りすることにしたのだが、これがまた初めてのお泊り。

どうせ夜中にでも、眠れずに「ママんとこ帰る」と言うだろうという大人たちの憶測をよそに、頑として帰る様相を見せず、そのまま眠ってしまったのであった。

そればかりか、朝の5時頃に目を覚まし「ねえねは?」とはっきりと祖母に尋ねたらしい。

祖母が「ねえねは家に帰ったよ。〇〇は泊まるって言ったたいね。」と答えると

ニタリと笑ってまた眠りに着いたとのこと。

なんという2歳児だ。


次の日は日曜日。

午前中は祖母宅の近くの公園で一緒に遊び、11時からショップだったので私だけ帰宅。

公園ではすぐに裸足になり、生き生きと遊びまわる。

まだ私に対して若干に抵抗感がある(ママ=保育園に連れて行く人)ものの、元気である。


ショップを閉め、祖母宅に行くが、やはり帰る氣はないらしい。

夜になると「いやー!!ママはいや!!帰らない!!」と絶叫。

これには参りました。

でも、このときには私、肚をくくってたの。

絶叫する娘を連れて帰り、落ち着くまで夫とふたり一階のキッズスペースで遊ぶ娘。

様子を見計らって近づき

「分かったよ。保育園には行かないよ。もう行かんでいいよ。」と伝えた。

「ん??」と疑わし気な2歳児だったが、何とかお風呂に入り、就寝準備をしていると、また不安になったのか「おばあちゃん家に行く」と・・・。

もう一度「もう保育園には連れて行かないよ。」と言ってから、ふと思った。

もしかしてこの子は、いとこの男の子(赤ちゃんの時からすっごく仲良し)と同じ保育園に行きたいと思っているんじゃないかな。と。

「〇〇はもしかしてMくんと同じ保育園に行きたいの?」

「・・・うん。Mくんと同じ保育園に行きたい・・・。」

「そっかぁ。そうだったのか。ママ、分からなくてごめんね。」

「・・・うん、うん。」


私は思い出した。

Mくんの通っている保育園の傍を通る時

「ここの保育園に行く。」と言っていたことを。

「Mくんとばあちゃんと、いっしょに行く。」と、あの子はずっと言っていたんだった。

それを私は、私だけの判断で「良いな」と思った保育園に決めてしまった。

「まだ2歳だから分からんだろう。」

「親が良いと思ったことが、きっと子どもにとっても良いことだ」と何処かで思っていたんだ。

娘のことを侮っていたんだ。

そしてその「まだ子どもだから」と侮っていた娘は、今、母親である私を信用できなくなろうとしている。


朝はまた起きてすぐに「おばあちゃん家に・・・」と泣き出した。

「大丈夫。今日もみんなで遊ぼう。」と1日たっぷり楽しんだ。


そして火曜日。

私だけで保育園を訪問し、事の次第をお話しした。

園長先生も、担任の先生方も本当に素晴らしい方たちで、私の話をしっかりと受け容れてくださり、

「将来が楽しみなお子さんです。」

「娘さんの意思を尊重されるお母さんの判断は正しい。」と太鼓判まで押してくださった。

本当に素晴らしい保育園でした。


今、たくさんの人に協力いただきながら、来年4月の入園を見据えて、彼女にしっかりと向き合いながら、見守っているところ。

わがままなところもあるのだけれど、それはきちんと話すと、時間がちょっとかかっても必ず理解するようになった。


今回の家出騒動で、本当に勉強になったことがたくさんある。

それは子どもに対しても、だけれど、自分自身に対しても。

そして反省点はあるけれど、この件が起こって本当に良かったなぁと思う。


娘が保育園に行っていた間、

部屋はすっきりと片付いたし、仕事ははかどった。

だけど、娘が「帰ってきたくない」と言った家は、いくら片付いていて整っていても、虚しかった。

今、またちょっととっ散らかった部屋を見ながら、ホッとする自分に気づく。


ひとをコントロールしたがる癖がまだまだあることにも気づいた。

「善かれ」と思ってやることがコントロールや期待になり、ひとを縛り付けてしまうこともある。

「こっちがいいよ」「こうしたらいいのに」って、相手の求めていないアドバイスや行動は本当に迷惑行為だよね。

大人に対しては極力やらないように氣をつけているこういう行為も、自分の子どもには発動しやすい。

親のコントロールに適応しよう、と努力する子どもは、後々かなりしんどい思いをする。


「こんなにすぐに辞めて、どう思われるだろう。」

ひとの目を気にするマインドもちょっぴり顔を出した。

肚をくくって話に行ったら、結局のところ、相手のものすごい愛の大きさに包まれたわけだけど、「どう思われるだろう」って、そもそもひとのことを信用してないよね。


今回の件でたくさんの人の愛を感じ、やっぱり世界は愛なんだなって実感した。

ひとに誠実である、ひとに向き合うって、

結局は自分自身に誠実であり、いつも向き合っていないと無理だ。

娘に向き合って、自分に向き合った2週間。


娘の小さな声は、私の内側に響く小さな声であり、

娘の絶叫は、私の絶叫でもあった。


聞いてよ!

聞いてよ!

ここにいるよ!!

わたしの声を聴いて。

無視しないで。と。


いやはや、子どもと自分自神に降参です。


Love,

Shoko