《紀行文》大入島 おおにゅうじま 2018・後
2018年3月26日
一週間ぶりに、大入島にやってきた。(前回の記事『《紀行文》大入島 おおにゅうじま 2018・前』)
一週間前に訪れた大入島時は、季節戻しの北風で真冬のような寒さだったが、今日は一転、理想的な春の陽気に包まれていた。春霞の淡いカーテン越しに見る島肌には山桜がほころんでいる。あの日とは見違えている。
あれからの1週間は、保戸島と無垢島へ渡るという濃い日々を過ごして来たので、再び海の駅・食彩館の前に立った時は、既にほんのり懐かしい。あの日がもうずいぶん昔のような気がする。行きの船の中では、先日お世話になった食彩館のIさんと嬉しい再会。娘のことも気遣ってくれる方で、心強い存在だ。
あれから、instagramなどのSNSで改めて大入島を調べていて、情報が大幅にアップグレードされている。情報のひとつに、目を釘付けにしたinstagramの投稿があった。@k.katsufumi氏の大入島オルレの様子を撮影した動画だ。「オルレ」とは、韓国・済州島から始まったいわゆるトレッキングコースの呼び名で、九州では韓国に倣い『九州オルレ』として幾つかコースを整備している。その中のひとつが大入島の「さいき・大入島コース」で、何とこの3月に登録されたばかり。@k.katsufumi氏の動画は、「舟隠し」と呼ばれる小さな湾にある防潮堤を歩いている様子で、まるで海の中を歩いているような空想的な映像だった。この動画に出会ったことが、再び大入島へ渡る発端となった。この日の夜のフライトで羽田に戻る予定なので、本来なら大分空港に近い別府か大分に移動しているはずだったが、こうして戻ってきてしまった。
時間が限られているので、Iさんに舟隠しまでの道を入念に確認した。食彩館から舟隠し入口まで850mほど。食彩館から湾を挟んだ向こう側にわずかに山の木々の切れ目が見えていて、舟隠への細い道が確認できた。なかなか楽しいサイクリングになりそう。
いざ舟隠しに向けて、出発!
道すがら神社に寄ったり、自転車を停めて風景を眺めたり。サイクリングを楽しんだ。
それにしても、山の桜が見事だ。桜並木もいいけど、私が思う桜の真骨頂は自然の山並みで咲く遠景の桜。ため息が出るほど美しく、このタイミングで来られて良かった。考えてみれば、一週間前はここまで開花していなかったな。
山で咲いている桜はいくつか種類があるようだが、遠目にはわからない。でもソメイヨシノと思える木もいくつかあるように見える。今は森に還っているが、以前はその辺りに住居か畑があった証なのかもしれない。
やがて、舟隠しへの入り口にやってきた。道路沿いの木に、オルレコースの標識にもなるリボンが結ばれている。私たちのために準備してくれたかのように結び目が新しい。ここに自転車を停めて歩いて入っていく。
嵐が来ても波風の影響を受けない入り江を舟隠しと呼び、その名の通り船を隠しておく泊地(はくち)であり、全国各地に存在している。島の中にその名があるのなら、出来る限り訪れているつもりだ。穏やかで美しい入り江が広がっているに違いない。と、信じられるからだ。
樹々に覆われた道を歩き始めてすぐ、舟隠しの入り江が見えてくる。それはまるで池のような湖のような……
海と森に響くウグイスの声以外、何も聞こえない。風がないので水面が静まり返り、山が鏡のように写り込んでいる。透明度も抜群だ。魚の群れや、海底で移動するヒトデの姿もよく観察できる。なんて場所だ!
海の細道。これが舟隠し湾を横切る堤防で、大入島オルレに併せて整備し直した形跡が見られた。堤防は潮の干満のために途中途中で切れて外海と繋がっているが、人が湾の向こうまで歩けるようにコンクリートの橋を架けてある。ここをオフィシャルコースにするとは、凄い決断をしたものだ。でもこれ以上のルートはないだろう。今月から始まったオルレコースに人がたくさん訪れるようになれば、この誰にも知られていない絶景はあっという間に大人気になるだろう。なにしろ写真映えする。
大入島を再訪してよかったと、心の中で繰り返していた。
「足元を魚が泳ぐなんて素敵!」
娘は口ではそう言っているけれど、半分は落ちないか不安なようで始終すり足で歩いていた。堤防の真ん中まで頑張ったところで、お菓子タイム。犬走りの段差がある湾の内側に向かって座ってお菓子を食べた。ここなら万が一落ちてももう一段あるから大丈夫。
「あぁ、気持ちよくて最高!」
舟隠し、離れがたい。
一旦、食彩館へ戻った。14時40分頃の船で戻る予定だが、まだ時間がありそう。Iさんのススメで、もう一走りしてきたらと言うので、島の東の方にある荒網代浦の“東島”まで行くことにした。帰ってきたら、ごまだしうどんを食べよう。
白浜、竹ヶ谷、塩内浦……自転車は幾つか集落を通り過ぎる。大入島は歩いて周るには大きい島だが、集落は海岸線にしか形成されておらず、路地以外に道路が内陸に入っていくことはまずなく、キツイ坂がない。島一周道路は自転車の為にあるようものだ。
途中、心惹かれる建造物の写真を撮っていると、漁師さんに声をかけられる。
「東島に行くの?なんで?何にもないよ」
島巡り、それを言っちゃぁおしまいよ!でも、島人のそのアドバイスは“あるある”だ。土地の人が何の価値も感じない景色に豊かさを見出だせるのは、よそ者しかいない。とは言っても、特別に何か求めているわけではなく、私はただそこに島があるから行くだけの話である。
「取りあえず行ってみます!」
ちなみに、これまでの経験上、“何もなかった”試しは、ただの一度もない。
連続するトンネルを抜け、荒網代浦にやってきた。目の前には、目指していた東島が。ここは大入島では初めてやってきた南向きの海岸線で、トンネルを抜ける前と後では気候が違う島のような印象で――そう言えば前回の日向泊の先のトンネルを抜けた時も北風が吹き荒れて別の島のようだった――空が開けて太陽の光が燦々とふりそそぎ、眩しかった。荒網代浦の港では、大入島の中でも広く防潮堤が築かれていて、東島は防潮堤の一部に取り込まれている。そのため、陸続きという位置づけになるのだろうが、ポッカリ浮かんでいるような島姿は健在だ。
港前の恵比須神社や石造物を抜かりなく見学した後、東島へ向かう。ガードレールのない防潮堤を自転車で走るのは、少々恐ろしかった。
東島には東島山王権現社があり、これが想像以上に立派で驚いた。
格天井に描かれた絵の数。鳥や猿などの動物に花、赤穂浪士の絵など100枚以上が上がっている。薄暗くてよく見えないが、大きな絵馬もある。近世の終わり以降のものだろうか。何とも立派。謂れはさっぱりわからないが。
「以前は島だったろうから」
という理由だけで東島に来たわけだが、想像以上に心に残る場所になった。
境内にはソテツが植わり、南向きのせいか南国っぽい雰囲気が漂っている。錯覚ではないだろう。
小さな島でも、北端と南端、或いは西端と東端に立った時、全く違う自然環境で驚かされる事がある。北海道と沖縄のように、とは言い過ぎだけれど、吹く風、寄せる波、太陽の光線が同じ島でも全然違う。文化的な面でも、建築構造が変わる――北向きの集落は冬の強風に強い構造が必要になる――こともあるし、沖縄の南大東島や、トカラ列島の諏訪之瀬島などには島に2か所以上の港があって、お互いが島内で相反する位置関係にあり、季節(風向き)によって利用する港を使い分ける。抗えない自然の力を受け入れつつ、生活を確保する知識が港の向きひとつにも表れているのだ。海近くに住んでいる人にとっては当たり前過ぎることだが、私は街の中で生活をしているので、人間の技術は自然を制圧し、自らの生活の安全は永遠に確保されたと錯覚している節があった。しかし、近年増加する大災害を目の当たりにし、「自然の力」に抗えない事を改めて痛感する日々だ。海と言う大自然と生活を共にしていれば、ここまで傲慢な意識を持つことはなかったのかもしれない。最近の島歩きでは、省みる機会を与えられているということ。つくづくそう思う。
食彩館に戻る途中の小さな浜に寄り道した。貝殻ベースの砂が、小波でチャリチャリ踊っている。透明度も高く、見ているだけで心満たされる。
「豚肉!あれ豚肉だよ!なんで海の中に豚肉があるの?」
興奮した娘の目線の先に、波に翻弄されカラカラと回転する赤みがかった貝殻が。だいぶ洗われて原形はなくなっているけれど、二枚貝の何かだろう。波が引いた瞬間にヒョイと取り上げ、娘の手に載せる。それを娘は不思議そうに眺めている。
「かたいね!これは豚肉じゃないね。何なのだろう?」
豚肉とはよく言ったもので、言われてみればサシの入った生の豚肉にそっくり。貝殻か何かだろうと容易に察した私からは、豚肉という発想は出てこない。小さな子供の視点は新鮮で、ダイヤの原石を見付けてくれることもしばしば。欲しいよね、その感性が。やがて娘からも消えてしまうのだろうか。
食彩館に戻って、再びのごまだしうどん。相変わらず美味しかった。Iさんの顔を見て、ホッとした感じ。
船の時間まで、コーヒーを飲んだり、娘はソフトクリームを食べたり。今日は、大きく舟隠と東島の2か所しか訪れていないのに、島の多くを見たような充実感で満たされていた。実際には東島から南の海岸線は未踏だし、大入島オルレのコースが走る島の山間部は全く手が付けられていない。コースガイドの写真を見ると、とても景色が良さそうなので行けなかったのは少し残念だ。まぁ、小さい娘と一緒では充分過ぎるほど巡れたのだからこれ以上は望まない。ただ、この腹八分目の感覚は、年月を重ねると、いつか大入島を再訪する時の原動力へと変わっていく。と、いいな。
Iさんに懐いた娘は、船に乗ってからもしばらくは、「また来よう」と繰り返していた。大入島の記憶がどの程度残るのかわからないが、いつかアルバムの写真を見て、舟隠の景色に感動し、Iさんと楽しそうに笑う写真を見て大入島に想いを馳せてくれたらいいね。私の方は、舟隠の小さな絶景を、死ぬ時も昨日のことのように思い出すことだろう。それくらい舟隠の虜になった。ずっと変わらず、島を訪れるたくさんの人を感激させてほしい。
大入島、また来よう。
2019.12.26 更新